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【短編】足

 1か月前に消えたぼくの友達は、蜘蛛になって帰ってきた。

「よう、元気?」
「いや何してんだよ、ここぼくの家なんだけど」
 部屋の天井の隅に何か黒い点が蠢いていると思ったら、彼だと分かって文字通り腰を抜かした。糸の端を天井に張り付けて、呑気にぶら下がっていたのだ。
「ここに置いてくれよ。世話してくれなんて言わないし、金もかからないしさ。この間みたいな大雨を、また命からがら生き延びるなんてごめんだね」
「……まあいいけど。きみの家族に伝えなくていいの?」
 彼が失踪して多くの人が動いた。それは彼にとっても想像に容易いはずだ。しかし当の本人は、やはりぷらぷらと吊られているだけである。
「母さん蜘蛛嫌いだし、おれだって分かっても追い出すと思う。だから言わなくていい」
「言わなくていいって……まあ、間違って殺しちゃったら寝覚めが悪いから、掃除のときとか気をつけてよ」
 そこからぼくと彼との奇妙な生活が始まった。
 
 友達と暮らすには、何の害もない代わりに何のメリットもなさそうだった(監視されているみたいでちょっと嫌ではあったが)。ところが、少し暑くなってきたこの頃は窓を開けており、網戸をしていても小さい蠅がそれを抜けて入ってくる。そんなうっとうしい奴らを彼が捕まえてくれていたので、ぼくは何も言わなかった。
「今日のお前んちの夕飯ハムカツかあ。いいなあ、おれハムカツ大好きなんだよ」
「その体の小ささだったら、ハムカツの『ハム』1ミリか『カツ』のパン粉ひとくずでお腹いっぱいになっちゃうんじゃないの?」
「ええー! 両方あってこそのハムカツなのに? それじゃあ意味がないな」
 部屋にぼくしかいないのに会話をしているものだから親に心配されたが、友達と電話していると説明したら納得してくれた。スマホを持っているからできた言い訳だった。ただ、夜間などそう頻繁に「電話」するのも怪しまれるので、ぼくらは小声で話し合った。
 今日もこうして友達とくだらない話をしていた。ネタが途切れ、顔を洗う彼をじっと見つめているうちに疑問が湧いた。せっかく知り合いが蜘蛛になったんだから聞いてみたい。
「蜘蛛って脚が8本あるんだっけ。正直どうなの?」
「脚と腕が2本ずつあれば足りるって分かってるから、ちょっと? いや、かなり? 面倒くさい」
 彼は、出来立ての巣の中心で身じろぎしてみせた。
「最初の方は4本脚で過ごしてたんだ。ちょうど人間が這いつくばるみたいにな。でも、それだとうまく引っ付いていられなくて、すぐに落っこちそうになる。体重だって軽すぎて、風が強いとすぐに吹っ飛ばされるから、隅っこで小さくなっていなきゃいけない」
 巣の端の方で、捕らわれてじたばたしていた蠅が、ついに諦めたのか動かなくなった。
「つい先月まで人間の体だったもんね」
「この巣だって、張り方は分かるんだけど、体を動かすのがどうにも難しくてさ。時間かかっちゃった」
 さあ飯だ飯、と彼が脱力した蠅の方に向かい始める。ちょうどお母さんがぼくを呼んだので、ぼくもご飯を食べに部屋を出た。

   ◇ ◇ ◇

 しばらく経ったある日のこと。最近の友達は言葉少なになっていた。聞きたいことも聞きつくしたか、あるいはうだるような暑さのせいだと思っていた。
 彼が突然、こう呟くのを耳にした。実に1週間ぶりのことだ。
「分かっちゃったんだよ」
 しかし、ぼくは重要な課題をこなす手を止めず、生返事をした。
「ん?」
「蜘蛛はこの体じゃないと足りないんだって」
 これが彼の最後の言葉だった。振り返って声をかけても反応しない。友達はただの蜘蛛になってしまったのだ。

 そうと知れた途端、ぼくはティッシュを使って蜘蛛を捕まえ、蜘蛛だけ窓の外に放った。尻から伸びた糸が風に煽られ、すぐに黒い点は景色に溶けて、見えなくなった。


お借りした写真
photoACより かずたか写真館さま提供 imageID:29920072

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