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【短編】不足

 ぬかるんだ草むらを這っていると、体の上半分、頭から尻尾にかけて温かさが沁みていった。数日ぶりのお天道さんとのお目見えらしい。
 晴れた日が続くのも困りものだが、先程までの堰を切ったような、息をするのもやっとの雨も迷惑だ。知り合いも獲物も皆引きこもってしまうので面白くない。

 いつも通る道が塞がっていないか、池はどれくらい嵩が増したか等々。周囲の被害を確認しながらしばらくぶらついていると、木の陰から声が聞こえた。樹皮の隙間に隠れられるくらいの小さい虫のようだ。
「やーっと晴れた。ったく、溺れるかと思ったよ」
 子どもっぽい口調と、そもそも人の言葉を理解しているのに興味を持ち、話しかけた。
「おまえさんも人間だったクチかい?」
「うん。1ヵ月前くらいに、気づいたらこうなってた。おじさんもそうなの?」
 まだまだ「お兄さん」だと思っている自分の心に小さな傷がついた。が、大人だから何でもないようなふうを装える。
「ああそうだ。こうなったのはいつだったかねえ……まあ、とにかく遠い昔のことさ」
「ふうん」
 聞いてきたわりには関心のなさそうな返事だ。質問しただけで満足したのか。と思えばまた別の疑問をぶつけてくるのは、彼がまだ子どもだからなのだろう。

 しばらくやりとりを繰り返しているうちに分かったのだが、どうやら相手は蜘蛛であるようだ。
「ねえおじさん、手とか脚がないってどんな感じ? おれは余計に4本多くなっちゃってさ。巣も自分で張らなきゃいけないから、こんがらがって大変なんだよ」
「案外悪くないよ。こういうなりで生き残っているだけあって、ちゃんと生活できてる。でも、そうさねえ」
 答えを紡いでいるうちに、この問答で紛れていた疼きが鎌首をもたげてきた。いつも胸に巣食っている底なしの穴だ。
「こういうときに限って、ぱっと摘まめる指が欲しくなる」
 そして唐突に、蜘蛛の目の前で大きく口を開いて迫った。当然、命の危機を感じただろう彼は慌てて逃げだした。情けない叫び声が可笑しくて笑ってしまう。揶揄いたかっただけで別に食べるつもりなんてない。あんな蜘蛛一匹で腹が満たされるわけではないのだから。
「足るを知らないのが蛇なのさ。永遠に満たされない奴の犠牲になるのが嫌なら、軽率に近づかないことだな」
 踏めば潰れるし、噛めば破裂する。叩けば泣くし、優しくすれば期待の眼差しを向ける。予測がつこうがつくまいが、どんな反応を返されても味気ない。それでも求めたくなる性は、人間だったときから変わらない。それが蛇になって手足を失くした分むき出しになったように思う。

 近くで、よく食べる種類の蛙のにおいがした。水中に引っ込む前に探し当てなければ。
 そういえば蛇が腹這いなのは、腹を潰せば空腹を紛らわせるからかしら。ふと浮かんだ思考は、こちらに背を向ける蛙を認めた途端にかき消された。


お借りした写真
photoACより くのしまさま提供 imageID:29950740


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