外さなかった日
部長は、いつも笑っていた。
高校の美術部で2年から彼は部長だった。
何を言われても笑う。口に手を当てて、細い黒縁がアクセントのメガネの奥、大きい目を緩ませて、あはは、と。
男にしては喋りが柔らかくて、女っぽい口調だった。それをからかう男子もいたけど、部長は美術室の窓際に座って、それにも、やぁねぇ、あはは、と笑った。
高校生にもなると、そういう存在を認めつつも、当たり障りのない反応をする人が大半だった。
部長はそれにもニコニコしていた。
笑いで、全部を平らにしていく人だった。
文化祭に絵を出そう、と言い出したのも部長だった。みんなでさ、出しましょうよ。そう言って部員を見回す。
私はといえば、彼女がいるから美術部に転がり込んでいるだけの居候で、勘弁してくれ、と手を振った。
部長はまた笑って、いいのいいの、見てるだけでも、と言った。
私は毎日、美術部に通った。彼女の隣にいたくて行っていたはずなのに、気づくと部長と喋っていた。筆より口の方が達者なんじゃないか、というくらい、よく喋った。
何を話したかは、もう覚えていない。毎日笑っていたことは覚えている。
姉がいる、という話は時々した。一度も会ったことはなかったけれど。でも両親のことは、一度も話さなかった。聞いても、笑って、別の話になっていた。
部長はタロットもやった。女子が、ねぇ占ってよ、とせがむと、やぁねぇ、と言いながら、カードを並べる。私は興味が無かったが、色んな女子が相談に来て、わーきゃー言って帰っていくのをよく見た。
いつだったか、誰かが言い出した恋バナの流れで、部長が私の方を見た。それから、隣の彼女を一度見て、また視線を私に戻して言った。
私はね、あなたみたいな見た目が好みだわ。あはは、と笑って、それだけだった。隣で彼女が、へえ、と笑っていた。私も、俺みたいなのがタイプなのかよ、と笑った。部長は見た目ね、と。それ以上は、誰も何も言わなかった。
部長は、自分の絵の前に立つ時だけ、メガネを外した。
普段はかけている。喋る時も、笑う時も。描いている時も、かけたまま。外すのは、描き上げた絵と向き合う時だけ。一歩下がって、目を細めて、裸眼でじっと見る。私はそれを、毎日見ていた。
部長の絵は、イメージとは真逆だった。鮮やかじゃない。暗い緑と青の色で、人を人じゃないように描く。口から機械が伸びて、脳にプラグが繋がって、拘束されている。
毎日あんなに笑っている人の手から、それが出てくる。上手いのは、分かった。ただ、上手いということ以外、私はその絵をどう見たらいいのか分からなかった。
文化祭の日、私は部長と並んで、その絵の前に立った。
人が来ては、立ち止まり、過ぎていく。部長の家族は来たのだろうか。それともこれから?
どちらにせよ、関係ないわよと部長は笑うんだろう。
私は、この絵のことを、何か聞かなきゃいけない気がして、でも何も聞けなかった。これは何なんだ、とも、お前は大丈夫なのか、とも。
部長の方を向いた。
今日は、メガネをしている。自分の絵の前なのに。外すはずなのに。
「メガネ」
私は、それだけ言った。
部長は、こっちを見て、口に手を当てて、笑った。
「伊達よ」
