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頑張れないときにそれでも頑張ったら人は死ぬ

頑張るな。

そもそも頑張ってはいけない。
頑張るということは、無理をするということだからだ。

そりゃ、どうしても頑張らざるをえないときはある。
自分の尊厳がおびやかされたときとか(わたしにとってのここ一年だ。一年間これに立ち向かうことで、わたしはわたしでなければ死んでいたレベルに削られている)、平和や安全が危機にあるときとか。つまり今だが。

でも、どうしても頑張らないといけないときだって、四六時中頑張り続けていたら人間は壊れるし、死ぬか、死ぬよりひどい目を見ることになる。

これはわたしの体感だ。わたしは死ぬよりひどい目を見た。幸いにしていまはなんとかなっているが、それでも常時12%くらいずつ精神を削られ続けているので、これに耐えられるのは死ぬよりひどい目を見たおかげだと思う。

どうしても頑張らないといけないときにちゃんと頑張るために、余計なことを頑張っている場合ではないのだ。

生活をして、自分の日常を守ったうえで、余力のうちで頑張らなくてはいけない。大義のために死んだら、だれがその大義を受け継ぐというのだ。

人間は24時間戦えない。

8時間は眠り、8時間は好きなことをしなくてはいけない。
そもそも8時間も労働している場合ではない。

たとえ何かを頑張るのだとしても、生活を削ってはいけない。
頑張る以外のことを忘れてはいけない。

わたしが一年間壊れずに戦い続けていられるのは、封書の開封をまとめてしたり、問題に向き合う時間を制限したり、「戦わない」時間を大切にしているからだ。

戦わなくてはいけないのなら、戦うのをやめたり、休むことを忘れてはいけない。

怒り狂い、問題点を整理し、追及する文書を作り、情報を集め、次の一手を考えたなら、あとは手を放して好きなことに没頭するのがよい。

そうしないと一年も戦い続けてなんていられない。

命を守るのが先だ。戦うのはあとだし、いつでもできる。いつでもできるくらいの時間しか戦い続けてはいけない。死ぬからだ。

もう頑張れない、ちょっと疲れた、と思うのであれば、頑張るべきではない。少なくともその瞬間は。

「もう頑張れない」が消えるまで、好きな飲み物を飲むだけでもいい、趣味関連の資料を眺めるだけでもいい、頑張ることから離れるべきだ。

四六時中何かを頑張っている人間が多すぎる。職場では仕事を頑張り、家では家事を頑張り、眠るときさえ効率のよい睡眠のために頑張っている。

もう頑張るな。

頭が頑張りたいと考えているのだとしても、身体が悲鳴をあげていないかちゃんと聞いたほうがいい。
「頑張れない」という声を無視して頑張り続けると人は死ぬ。

そもそも「頑張る」というのは「やりたくないことを」から導き出される動詞だ。

やりたくないことでもやらなければいけないときはある。当然だ。
当然そうだとして、やりたいことをすべて我慢する理由にはならない。
むしろやりたいことをやるために、やりたくないことをやむを得ずやっているだけのはずだ。

やりたいことをひとつもやらずに、やりたくないことだけ頑張り続けるのは生きているだけで罰を受けているのと同じだ。

本当に頑張らなくてはいけないのか?
頑張るにふさわしいやりがいや報酬はあるのか?
それを頑張ればやりたいことができるのか?

人間はやりたくないことをするために生まれてこない。
向き不向きを生まれ持つのは、向いていることをするためで、向いていないことを克服するためではない。

やりたいことができないのに、やりたくないことをやってはいけない。

だから、頑張るな。

頑張ってもいいけど、頑張る以外のこともちゃんとしろ。
頑張るだけの人生なんてすぐ終わる。物理的に頑張れなくなる。

頑張り屋さんは褒め言葉じゃない。少なくともわたしはそうとらえない。
わたしが頑張らざるをえなかったのは、ずっと侵害され続けていたからだ。危機におかれていたからだ。生きるために、ただそれだけのために、頑張らなくてはいけなかった。

そんな人間おらんほうがいいに決まっている。

わたしはまだ生きるために頑張っている。
頑張りながらそれでも生きるために、頑張らないことが必要だとわかっている。

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