読書日記|門はあいている、だが入れない、と言う。あなたは招かれた、だがあなたはもう招かれていないと告げる。
気になっていた、永井玲衣さんの『世界の適切な保存』を読んでいる。
タイトルに使わせていただいた文章も、本書の中から引用させていただいている。
なんておもしろいのだろう、としみじみ思っている。
永井さんの、世界への眼差しがとても興味深くて、スルスルと読んでしまう。
まだ読み途中だけれど、妙に響いた一節があって。
招かれていないのにノコノコ来てしまうことほど、みじめなことはない。呼ばれていないのに応答してしまうこと。あなたではない、と言われてしまうこと。あなたは余計ものであると告知されること。
(中略)
……だがそのまなざしは、本当は自分に向いていた。あなたは余計ものだ、という声は、あなたに投げているようで、本当は自分に跳ね返った。
この話は、チケットの昼公演と夜公演を間違えて来場してしまった男性を描いているシーンなのだけれど。
間違えた男性の、右往左往している様子が、グッサリと、今の私には刺さる。けれど、「刺さっている」ということも、いずれ私は忘れてしまう。
呼ばれていないのに、応答してしまうこと。
間違えたことを知って、右往左往すること。
行くはずだったこと。けれど行けなかったこと。
書かれること、書かれないこと。
あるはずだったこと、でもなかったこと。
映画から、本から、ドラマから、省かれていく日常。
読みながら、その世界の中で私はたゆたっている。
他者に呼びかけられたとき、わたしたちはどのように橋を渡るのだろうか。その呼び声に気がつくことはできるのだろうか。門はずっとひらいている。
残せること、忘れていくこと。
残ること、消えていくもの。
今この瞬間から、世界は生まれてはうしなわれていく。
もとには戻らない。
その時は、その時にしか存在し得ない。
今しかない。
けれどうしなわれていく。
てのひらからさらさらとこぼれて落ちていくかのように。
忘れられてしまうものにこそ、価値があると言いたいわけではない。ひとびとが見落としているものを、きちんと拾い上げて、大切にしようと、そこにこそ現代人がないがしろにしている価値があると主張したいわけではない。それがただあるということがある。それだけのことだ。
それを保存するということもまた、何の意味もないことなのだろう。出会ってしまったからには、保存せざるを得ないという、応答としての保存。
ただあるというだけのこと。
そう、ただあるというだけのことで。
それでも。
世界を、適切に保存することはできるのだろうか。
そんなことを、ぐるぐると考えている。
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