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​「『一杯だけ』が命を奪う」 友を亡くした和尚さんが語る ブッダが飲酒を禁じた本当の理由







「楽しいお酒」が「悲劇のお酒」に変わる瞬間


​気の合う仲間と酌み交わす、楽しいお酒。

一日の疲れを癒す、静かな晩酌。

お酒は、私たちの文化に深く根付き、コミュニケーションを円滑にし、人生に彩りを与えてくれる存在です。


​しかし、私たちは同時に、お酒がもたらす恐ろしい側面も知っています。

​「一杯だけなら」という油断が生んだ、取り返しのつかない飲酒運転の悲劇。

「飲まないと失礼だ」という同調圧力が引き起こす、アルコールハラスメント。

そして、その一杯が止められなくなり、自分自身と大切な家族の人生をも破壊してしまう、アルコール依存症という病。


​私たちは、この「魔力」と「魔性」を併せ持つ液体と、どう向き合えばよいのでしょうか。

お酒は悪なのか、それとも、楽しむ側の心の問題なのか。

「適量」というラインが分かっていながら、なぜ人はその一線を越えてしまうのか。


​これは、お酒によって大切な友人を失った一人の僧侶が、自らの悲しみと向き合いながら、人間の「欲」の本質を見つめる物語です。




「わしは酒を恨んでおる」友を亡くした和尚の、痛切な告白


​「和尚さんは、お酒を飲むの?」

ある日の午後、さとるくんが縁側でお茶をすする和尚さんに、ふと尋ねました。

​「おやおや、どうしてまた、急にそんなことを聞くのじゃ」

​「だって、お坊さんって、お酒も飲まないし、お肉も食べないし、厳しい修行をしてるイメージがあるから」


​和尚さんは、湯呑みを置いて静かに答えました。

「わしはお酒は飲まんよ。まあ、元々飲みたいと思う欲が、あまり無い体質なんじゃがのう」


​「へえ、じゃあ和尚さんは、お坊さんとして模範的な人なんだね!」

​さとるくんの無邪気な言葉に、和尚さんは、少し寂しそうに首を横に振りました。


「そうではないんじゃ。むしろ、飲みたいという強い欲が全く無いのは、僧としてはありがたいことかもしれんが…。飲みたくて飲みたくて苦しんでいる人の気持ちが、本当の意味では分かってあげられん。それは、人として、とても残念なことじゃとも思っておる」


​「…複雑だね」

​「そうじゃな。お酒を飲みたいと思う心は、我々人間が持つ、どうしようもない『欲』の一つじゃ。それ自体を否定することはできん。お酒の文化そのものを、わしは否定するつもりもない」


和尚さんは、そこで言葉を切り、遠くの空を見つめました。

​「じゃがのう…。わしには、お酒を飲まない、もう一つの理由があるんじゃ」

その声は、少し震えていました。


「わしの大切な友人がのう、若い頃、お酒が原因で…命を失ってしまってな。それ以来、わしは…。すまんが、お酒を心から楽しむという気持ちには、なれんのじゃ」


​さとるくんは、息をのみました。

「…和尚さん、お酒のことを、恨んでいるんだね」

​その言葉に、和尚さんは、かぶりを振っていた手を止め、さとるくんの目をまっすぐに見ました。


​「そうかもしれん。そして、そう思ってしまう、わしのこの心を、仏様はきっとお見通しじゃろう」

和尚さんは、自嘲するように、ふっと笑いました。


「どれだけ仏教を学び、どれだけお経を読んでも、大切な友を失った悲しみや、その原因となった酒への恨みを、心のどこかで手放すことができん。わしもまた、さとるくんと何ら変わらん、悩み苦しむ愚かな凡夫(人間)であることに、1ミリも変わりがないということじゃよ」




なぜブッダは酒を禁じたのか? 「不飲酒戒」と、ある弟子の失敗


和尚さんが亡き友を思い、自らを「凡夫(愚かな人間)」と呼んだように、お酒には、どれほど修行を積んだ人間の理性であっても、たった一杯で崩壊させてしまう恐ろしい力があります。

​仏教には、信者が守るべき大切な約束事として「不飲酒戒(ふおんじゅかい)」があります。

これは単に「お酒を飲んではいけない」というルールではありません。ブッダは、お酒が私たちの心から、人間として最も大切な「智慧(ちえ)」と「尊厳」を奪い去る猛毒であることを、ある弟子の失敗を通じて痛感し、この戒めを作られたと言われています。


​その弟子とは、サーガタ(娑伽陀)という長老です。

彼は、神通力(超能力のような力)を持つほどの優れた修行僧で、荒れ狂う毒龍さえも手懐けてしまうほどの、立派な徳を持っていました。

​しかし、ある時、村人たちから接待を受け、勧められるがままにお酒を飲んでしまいました。


その結果、どうなったでしょうか。

あの立派だったサーガタ長老は、泥酔して意識を失い、道端に倒れ込み、自分の嘔吐物にまみれてしまったのです。さらに、あろうことか、尊敬してやまないブッダの方角に向けて足を投げ出して寝てしまうという、弟子としてあるまじき醜態をさらしました。


​その姿を見たブッダは、他の弟子たちに静かに問いかけました。

「皆よ、見なさい。サーガタは以前、恐ろしい毒龍と戦い、これに打ち勝った。しかし今の彼に、毒龍どころか、一匹のカエルと戦う力があるだろうか?」

​弟子たちは答えました。「いいえ、ありません」

​ブッダは言いました。

「その通りだ。酒は、人が積み上げてきた徳や理性を、一瞬にして奪い去る。ゆえに、私は酒を禁ずる。一滴たりとも飲んではならない」


​これが、不飲酒戒が定められたきっかけです。

お酒の恐ろしさは、酔っている間、その人が「自分自身でなくなってしまう」ことにあります。

仏教が目指すのは、常に心を澄ませ、正しく物事を見る「気づき(マインドフルネス)」のある状態です。お酒は、その真逆である「放逸(ほういつ)」(心が緩み、だらしなくなる状態)へと、強制的に私たちを引きずり込みます。


​和尚さんの友人も、普段は素晴らしい人物だったに違いありません。しかし、お酒という「理性を奪う水」が、その人らしさを奪い、悲しい結末を引き寄せてしまったのです。


​ブッダが「飲むな」と厳しく禁じたのは、私たちを縛るためではありません。

私たちが人間としての尊厳を保ち、大切な命と人生を、愚かな過ちによって台無しにしないように守るための、慈悲に満ちた最強の「盾」なのです。




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