「副業」の甘い罠 あなたの中の『もっと欲しい鬼』を鎮める仏教の智慧
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インターネットを開けば、毎日のように飛び込んでくる、甘く、魅力的な言葉の数々。
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心のどこかで「そんなうまい話、あるわけない」と警報が鳴っていても、「もしかしたら…」という淡い期待から、ついクリックしてしまった経験はありませんか?
なぜ私たちは、怪しいと分かっていながらも、そのような「おいしい話」に心を惹きつけられてしまうのでしょうか。
それは、私たちの心の奥底に、誰もが飼っている“ある鬼”の仕業なのかもしれません。

これから語るのは、純粋な少年、さとるくんとお寺の和尚さんの、ささやかな会話の物語です。この物語は、現代社会に渦巻く甘い罠の正体と、それに飲み込まれないための、古くて新しい智慧を、私たちにそっと教えてくれます。
「副業って何?」少年の疑問に、和尚さんが語った“甘い言葉”の怖さ

ある晴れた日の午後、さとるくんがスマートフォンの画面を覗き込みながら、縁側でお茶を飲んでいた和尚さんに話しかけました。
「和尚さん、最近ネットで『副業』って言葉をよく見るんだけど、闇アルバイトと何が違うの? なんだか、すごくおすすめされてるみたいで、僕もやってみようかなって」
「はっはっはっ」
和尚さんは、楽しそうに笑いました。
「さとるくんでも、そんな言葉を目にする時代か。さとるくんには、まだまだずいぶんと先の話じゃよ」
和尚さんは湯呑みを置くと、さとるくんに分かるようにゆっくりと説明を始めました。

「『副業』というのはのう、主となるお仕事の他に持つ、もう一つのお仕事のことじゃ。例えば、わしがお寺の住職をしながら、大学で仏教を教える先生をしていたら、その先生業が『副業』になる。わしが近所のスーパーで品出しのアルバイトをするのも、立派な副業じゃな」
「へぇ、そうなんだ」

「ただな、さとるくん」
和尚さんの表情が、ふと真剣なものに変わりました。
「気をつけねばならんことがある。近頃はな、『副業のやり方を教えること』を副業にしている悪質な者たちがおる。そして、そういう甘い言葉から、人を騙したり、犯罪に加担させたりするような、恐ろしいビジネスに誘い込まれることがあるのじゃ」
「え…、闇バイトと同じなんだ」
「きちんとした者もおるんじゃがな、中には『簡単に稼げる』、『絶対に損はしない』。そんな甘い言葉で人を誘い、気づいた時には、大切な家族に迷惑をかけたり、信じていた友達をみんな失ってしまったりする。そういう悲しい話がたくさんあるんじゃよ」
和尚さんの静かな言葉に、さとるくんはゴクリと唾を飲み込みました。
「悪いことを企む者は、とても巧妙で用心深い。すぐには牙を剥かんのじゃ。中には、三年もの間、普通の友達付き合いを装って、相手の信頼と安心感をじっくりと育ててからのう。そして、相手が何かに困ったり、心の隙が生まれたりした瞬間を、決して見逃さないと聞く」
「さ、三年も…?」
「そうじゃ。わざわざ『儲かるよ』と勧めてくるのには、必ず勧める側の理由がある。たいていは、声を掛けられる者のためではない。勧める者自身が、一番大きな利益を得るためなのじゃ」
「なんだか、すごく怖いね…」
さとるくんの声が少し震えます。
和尚さんは、そんなさとるくんの頭を優しく撫でました。

「まあ、心配するな。さとるくんは、まずは自分の『本業』をきっちりと見つけなければならん。そのためには、今は学校でたくさん学び、心を耕すことが一番大切なのじゃ。それが、将来どんな甘い言葉にも惑わされない、一番の力になるからのう」
和尚さんの温かい言葉に、さとるくんは大きく頷くのでした。
あなたの中にもいる「もっと欲しい鬼」“貪り”の心を手なずける方法

和尚さんが語った「甘い言葉の罠」。なぜ、多くの人がその罠に陥ってしまうのでしょうか。仏教では、その根本的な原因が、私たち自身の心の中にあると説きます。
仏教の教えの中に、私たちの心を構成する様々な要素(専門的には「心所(しんじょ)」と言います)を分析したものがあります。その中に、誰の心にも潜んでいるとされる、根本的な煩悩の一つが「貪(とん)」です。
「貪」とは、読んで字のごとく「貪る心」。
もっと欲しい、もっと楽をしたい、自分だけが得をしたい、という、際限のない欲望のことです。
この「貪」を、心の中に住む『もっと欲しい鬼』だと想像してみてください。

「副業で楽して稼ごう」と人を誘う側。彼らの心の中では、この『もっと欲しい鬼』が、「他人を利用してでも、もっと金儲けがしたい」と暴れています。
そして、その誘いに心が揺らいでしまう側。私たちの心の中でもまた、「汗水たらさず、もっと楽にお金が欲しい」と、同じ『もっと欲しい鬼』が騒ぎ立てているのです。
つまり、人を騙す側と、騙されてしまう側の心には、同じ「貪」という鬼が潜んでいるのです。

詐欺などの甘い罠は、相手の心の中にある『もっと欲しい鬼』を巧みに呼び覚まし、共鳴させることで成立します。
では、どうすればこの鬼から身を守れるのでしょうか。
仏教は、鬼を無理やり退治しろとは言いません。まず大切なのは、「自分の中にも、この『もっと欲しい鬼』がいる」という事実を、静かに認めることです。

「自分は欲張りではない」と否定するのではなく、「ああ、今、自分は楽して得をしたいと思っているな」「もっともっと、と心が渇いているな」と、自分の心の動きを客観的に観察するのです。
この観察の目を、仏教では「正見(しょうけん)」(八正道の一つ)と言い、物事や自分自身をありのままに正しく見る智慧を意味します。
自分の心に鬼がいると分かっていれば、外から別の鬼がやってきて「一緒に騒ごうぜ!」と誘ってきても、「おっと、こいつは同族の悪い誘いだな」と冷静に見抜くことができます。
甘い言葉に心が揺れた時、一度立ち止まって、自分の心に問いかけてみてください。
「今、騒いでいるのは、私自身か? それとも、私の中の『もっと欲しい鬼』か?」
自分の心の鬼の存在に気づき、それと上手に付き合っていくこと。
それこそが、どんな巧妙な罠からも自分自身を守る、最強の護身術となるのです。

和尚さんが言うように、まずは自分の「本業」…つまり、日々の生活や学びを地に足つけて行うことが、その大切な第一歩なのかもしれません。
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