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「フォロワー」より「フォロー」が多い方が、なぜ“徳”が高いのか? 仏教の菩薩に学ぶ、本当の“繋がり”








​「フォロー中」と「フォロワー」、その数を比べて、疲れていませんか?

自分のSNSのプロフィール画面を、じっと見つめたことはありませんか?


「フォロー中」と「フォロワー」。二つの数字が並んでいます。


​フォロワーの数が多いと、少しだけ誇らしい気持ちになる。逆に、自分がフォローしている数の方がずっと多いと、なんだか必死な感じがして、少し気恥ずかしくなる…。


「フォローを返してくれないあの人は、私のこと、どうでもいいのかな」

「フォロワーを増やすには、どうすればいいんだろう」


​私たちは、この小さな数字のバランスに、知らず知らずのうちに心を揺さぶられ、人間関係の価値まで測られているような気になって、疲れてしまってはいないでしょうか。


​もし、その価値観が、全くの“逆”だとしたら?


もし、「仏教の視点に立てば」、フォロワーの数を気にするよりも、自らがフォローする数の多さこそが、心の豊かさの証だとしたら…?


​さとるくんと和尚さんの対話が、SNSという現代のツールを通して、古くて新しい「人との繋がり方」を教えてくれます。




​「わしはフォローされるより、したい」和尚さんが語る、SNSと“仏の道”

「和尚さん、SNSのプロフィールって、その人の性格がなんとなく分かる気がしない?」


スマートフォンをいじりながら、さとるくんが和尚さんに話しかけました。


「僕はね、自分がフォローしている人の数と、フォローされている人の数が、同じじゃないと、なんだか落ち着かないんだ」


​「ほう、それはまた、どうしてじゃ?」


「だって、フォローしている数の方が少ないと、誰か大事な人を見落としているみたいだし…。逆にフォローされている数の方が少ないと、誰か気に入らない人がいるから、その人をフォローしないんだって思われないかなって…」


​「なるほどのう。さとるくんは、随分と周りの人の心に気を配れる、優しい子じゃな」

和尚さんはにこりと笑います。


「和尚さんはどうなの?やっぱり、フォロワーの方が多い?」


​「いやいや」と和尚さんはゆっくりと首を振りました。「わし個人の好みとしては、どちらでも良いんじゃが、仏教を学ぶ者としての観点から言えば、圧倒的に、わしが“フォローしている数”の方が多い方が、心が安らぐのう


​「えっ、どうして!?」


​「考えてもみよ」と和尚さんは言います。


「仏様というお方は、この世の生きとし生けるもの全てを、一人残らず救いたいと願っておられる。だとしたら、仏様は、この世の全ての人を、まずご自分から“フォロー”しようとされるはずじゃ。分け隔てなく、全ての人に関心を持ち、その幸せを願う。それが仏様の慈悲じゃからな」


​和尚さんは、少し照れたように続けました。


「逆に、わしをフォローしてくださる数の方が多かったとしたら、それは『和尚さん、あなたの慈悲の心は、まだその程度ですか』、『あなたの努力は、まだ足りませんよ』と、皆から言われているような気がして、恥ずかしくなってしまうかもしれん」


​「和尚さんも、結構気にしてるんだね」


「ああ、そうかもしれんのう」と和尚さんは笑いました。


「だから、疲れるんじゃ。いつもわしから手を差し伸べる(フォローする)数が多くないと、『まだまだじゃな』と、自分を戒める。それは、わしにとって大切な修行の一つなんじゃよ」




​すべての人は“仏”である。「普賢菩薩」が教える、究極のフォロー精神


​和尚さんが語った「自らフォローする方が良い」という、一見不思議な価値観。これは、大乗仏教が理想とする「菩薩(ぼさつ)」の生き方そのものなのです。


​1. 菩薩の誓い「すべての人を救うまで、悟らない」

​菩薩とは、自らの悟り(成仏)を目指すだけでなく、「この世のすべての生きとし生けるものを救うまでは、自分は仏にならない」という、壮大な誓いを立てた聖者のことです。


その誓いを「四弘誓願(しぐせいがん)」といい、その第一番目に「衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)」という言葉があります。これは「苦しみの海にいる衆生は数限りないが、私はそのすべてを救い切ることを誓います」という、究極の利他の精神の表明です。


自分のフォロワー数を気にするのではなく、まず自ら全ての人をフォローしにいく。和尚さんの姿勢は、まさにこの菩薩の誓いを、現代のSNSで実践しようとする姿なのです。


​2. 究極の教え「すべての人を“仏”として敬う」

​そして、仏教にはさらに深く、あまり知られていない、しかし感動的な教えがあります。それは、普賢菩薩(ふげんぼさつ)という、慈悲の実践を象徴する菩薩の誓いです。


その誓いの一つに、「礼敬諸仏(らいぎょうしょぶつ)」というものがあります。これは「すべての仏様を、敬いなさい」という意味です。


​「なんだ、当たり前じゃないか」と思うかもしれません。しかし、大乗仏教の根幹には、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」という思想があります。これは「すべての生きとし生けるものは、その内側に仏と同じ清らかな性質(仏性)を持っている」という意味です。


つまり、「すべての仏を敬う」ということは、とりもなおさず、「すべての人々を、未来の仏様として敬いなさい」ということなのです。


​3. 「フォロー」は、相手の“仏性”への合掌

​この教えに立つ時、SNSでの「フォロー」という行為の意味は、全く変わってきます。


それは、単なる興味や義理の表明ではありません。相手の投稿が面白くても、つまらなくても、その人のことが好きでも、嫌いでも、その人の内側に眠る、かけがえのない「仏性」に対して、「あなたを、一人の尊い仏として敬います」と、静かに手を合わせる(合掌する)行為となるのです。


​フォロワーの数という、他人からの評価に一喜一憂する世界。


そこから一歩踏み出し、まず自らが、出会うすべての人を敬い、慈しみの心で繋がろうとすること。


その小さなクリック一つが、あなたのSNSを、菩薩としての尊い修行の場へと変えてくれるのかもしれません。




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