好きな日本語のことば
日本語を勉強している人と話すことがよくあり、そういう話の流れでしばしば「好きな日本語の言葉は?」という質問を受ける。
好きな日本語。これがまぁ、なかなか、難しい。
この問いへの答えは、翻訳不可能性とともに挙げられることが多い。
「木漏れ日」は外国語に翻訳できない、日本語ならではの感性があって云々、みたいなやつ。とはいえ、説明できるんならそれは「翻訳不可能」ではないのでは? とも思わなくはない。1語対1語にしにくい、という意味でならまぁそうなのかもしれないが。とはいえそれなら「刺身」も難しいのではないか。手元の和英辞書では"sliced raw fish"と出てきた。「『刺身』が好きです!」という人、いるんだろうか(ただの好きなもの表明になってしまっている気もする)。
しかし、そもそも「木漏れ日」だって意味でバラそうと思えば「木-漏れ-日」とバラせるわけで、まったくもって1語というわけではなさそうだ(専門的なセルフツッコミを入れるなら、国研のコーパスで1語(短単位)扱いになっているし、1語扱いなのは別にいいのでは)。たとえばこれ(「木の葉っぱの間を抜けて落ちる陽の光」を指す語)が意味のバラしようのない語、たとえば「しゃ」とか「すい」とかだったら、もう少し納得がいく。その点、フィンランド語の”sisu”とかはレベル(何の?)が高いなと思う。
シンプルな翻訳不可能性が推しポイントになる、ということだったら、”kalsarikännit”に推し感情を抱くフィンランド語話者というのもいるんだろうか。
「ありがとう」とか「どういたしまして」のようなコミュニケーションにおけるフレーズを挙げる例もあるけれど、それは語そのものが良いというよりは、〈感謝表明〉、〈感謝表明への応答〉みたいなコミュニケーション上の機能、ひいてはコミュニケーションがなされること自体に良さや美しさを覚えているだけなのでは、と思う。それはいよいよ日本語に限るものでもなくて、DankeでもСпасибоでもよさそうだ。日本語コミュニケーション特有の便利表現には伝家の宝刀「よろしくお願いします」があるが、ただただ便利に使っているだけであって、じゃあそれが「好きなんですか」と問われると、なんだか違うような気もする。
ど、ごたごた考えてしまってなかなか答えを見つけることができなかったのだが、ついにここに来て、自分なりの(暫定の)答えを見つけることができた。
ぬめり
ぬめり。どうだろう。この、ひと目見ただけでなんだかこう、ぬめぬめと来る、この感じ。
言語学を学ぶ人がおおよそ必ず触れるネタの1つに「ブーバ・キキ効果」というものがある。ぐねぐねしたものとつんつんしたものを見せて、「どっちが『ブーバ』でどっちが『キキ』ですか」と問うと、ほとんどの人が「ぐねぐね」を「ブーバ」、「つんつん」を「キキ」と答える。

これは、音の響きと視覚的印象が繋がっているからだ、というもの。こういう、「音によってイメージが喚起されること」を「音象徴(おんしょうちょう)」と呼ぶ。
ぬめり に戻ろう。説明も要らないと思う。この、ひらがな3文字で対象の特徴すべてを引き受けている佇まい。
またも手元の和英辞書を引くと、slimeというのが出てきた。"remove slime from taro"(里芋のぬめりを取る)という例文が添えてあった。それは「ぬめぬめする物体」であって、「ぬめり」ではない気がする。この、直接的な物体としての「ぬめぬめしたもの」ではなく、その「ぬめぬめさ」という、あるんだかないんだか分からない、ほんのり形而上的な段階に足を突っ込みかけた絶妙なラインの存在感であることも、ポイント(何の?)が高い。
「ぬめぬめ」のほうが、「ぬめ」が2つでお得なのではないか、とも考えた。しかし感覚的な方に傾きすぎているようで、なんだか安直なような気がしてしまう。
どうだろう。「ぬめり」。共感覚的に呼び起こされる、ぬめっとしたテクスチャ。もちろん日本語のオノマトペなんてだいたいそんなものなんだろうとも思わなくはないが、爽やかとは言い難い、なんとな~く「ヤ」な感じまで漂わせる、パワー。そういうものが、「ぬめり」にはある。これはやはり、なかなかユニークな語なのではないだろうか。これが、「ブーバ/キキ」のようにどれほど母語を超えて理解されるかは分からない。でも、これは自分の好きなものの話だから、自分だけ、広がったところでせめて日本語話者くらいに共感が貰えればいいのだ。「それってあなたの感想ですよね?」と訊かれても、私の感想が一番大切なコンテクストなのだから、それでいいのだ。
ちなみに、英語だったら何が好き? というのもだいぶ前に訊かれたことがある。
しばらく(数ヶ月単位)考えた上で出てきたのは、fifth。「五番目」のfifth。日本語の「ふ」[ɸ]とはまた違うエフの音[f]が続けざまに2回出てきたと思ったら、それに続くth[θ]。舌も歯も唇も、普段日本語では駆り出されない働き方をさせられて、忙しそうで、いかにも英語喋ってる(≒日本語の発音ではない)な~~~という発音で、面白いなぁと思った。ので、それにした。割と気に入っている。
というのを色々と考えて、やはり「好きな〇〇語」というのはある程度その言語に通じていないとたどり着けないような気がする。いや、まぁ、初学者が「この音なんか好き」でもいいとは思うけど。でもやはり、色々と触れていく中で「やはりこれ!」と選び出されたもののほうが説得力が出て、面白いのではないだろうか。
先日発売された『ニューエクスプレスプラス カザフ語』(白水社)を買った。カザフ語が主に話されるカザフスタンは自分が初めて「外国」体験をした国なので感慨も強め。感慨を覚えるくせに、じゃあカザフ語を勉強してきたのかと問われると、あんまり教材もないし~でやや遠巻きに眺めるで済ませていた。しかしこの度めでたく学習書が出たということで、マスターするかしないかは置いておいて、せっかくだからしっかり向き合ってみようと思った。そういう流れ。
ついでにセルビア・クロアチア語も買った。狙ったつもりはないけれど、期せずしてキリル文字言語(セルビア語)の同時購入になってしまった。
今後の人生、どれだけ「好きな〇〇語のことば」が得られるだろうか。
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本とか買います。