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「桑名城」 ~佐幕派の夢の跡~ 

 三重県の桑名城跡を訪れました。

 1601年、関ヶ原の合戦に勝利した徳川家康は、徳川四天王であった本多忠勝を桑名10万石に封じ、忠勝は、桑名城築城とともに城下町として整備していきました。

 1701年、松平定重が藩主のとき、大火により天守は焼失し、その後復興はされませんでした。

 幕末には、京都守護職の松平容保の実弟である松平定敬が藩主となり、京都所司代として兄と共に京都の治安を預かりました。

 大政奉還後、鳥羽・伏見の戦いに敗れた旧幕府軍とともに定敬も江戸に向かい、藩主不在の桑名城では抗戦か恭順か激論となりました。

 上層部では抗戦と決定しましたが、下級藩士の猛反発にあい、結局は無血開城となり、明治政府軍は辰巳櫓を焼き払い開城の証としました。

 桑名城は、明治維新後いち早く破却され、現在は九華公園となり、石碑が残るのみとなっています。

 九華公園から、東海道五十三次桑名宿で有名な「七里の渡し」跡、鹿鳴館時代の洋風建築が残る「六華苑」があります。

「お堀と九華公園」
「本多忠勝像」
「桑名城跡:案内」
「七里の渡し跡」
「七里の渡し跡:案内」

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