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【コラム】その釣果投稿、本当にイケてるか?SNS時代の釣り師が胸に刻むべき3つの掟

おう、最近どうだ?釣れてるか?…いや、釣れすぎちゃって困ってる、なんて奴もいるかもしれねぇな。 特に、SNSを覗いてると景気のいい写真が毎日わんさか流れてくる。クーラーボックスからはみ出すほどの魚、地面にびっしりと並べられた釣果、仲間と掲げる「大漁」の旗。そりゃあ、たくさん釣れりゃ嬉しいし、誰かに自慢したくなる気持ちは、俺だって痛いほどわかる。

だがな、ちっと待て。 最近、どうもその「自慢」が、ただの自慢じゃ済まなくなってきてる気がしてならねぇんだ。 まぁ、どこの誰とは言わねぇし、具体的な炎上の話を持ち出すつもりもねぇが、毎日のように「タチウオ50匹」「仲間と尺アジ100匹」みたいな投稿を繰り返してる若いのを見ると、ちっと眉をひそめちまう。本人は「法律の範囲内だし、食べるから問題ない」なんて言うかもしれねぇ。だが、本当にそうか?

こいつは法律の話じゃねぇ。マナーの話であり、もっと言えば「未来」の話だ。アンタが何気なくアップしたその一枚の写真が、回り回って俺たちの愛する釣り場を殺してるかもしれねぇって、考えたことはあるか?

今日は、そんなSNS時代の釣り師たちが胸に刻むべき、3つの掟について、ちっとばかし説教させてもらうぜ。

掟その1:己の影響力を知れ
掟その2:法律じゃなく、未来に筋を通せ
掟その3:敬意を釣れ、数を釣るな

耳が痛い話かもしれねぇが、本気で釣りが好きなら、最後までしっかり聞いていきな。



#1: なぜアンタの「爆釣」投稿は嫌われるのか?問題の正体

打ち捨てられたスマホが、SNS投稿の無責任さや虚しさを象徴

まずハッキリさせておきてぇのは、たくさん釣れること自体が悪なんじゃねぇってことだ。たまたま時合いに当たって、腕も冴えてて、結果的に大漁になることはある。そいつは釣り人冥利に尽きる、最高の瞬間だ。

問題なのは、その「結果」の見せ方と、その裏にある「魂胆」だ。 アンタの「爆釣」投稿が、なぜ他の釣り好きから白い目で見られたり、時には批判されたりするのか。理由はいくつかある。

●理由1:魚への敬意(リスペクト)が感じられねぇから

地面のアスファルトや乾いた砂の上に、釣った魚をズラリと並べてる写真、よく見るよな。夏の炎天下なら、魚はすぐに火傷しちまう。リリースする気があろうがなかろうが、命を奪った相手に対する扱いがそれか?って話だ。クーラーボックスにギュウギュウ詰めにされて、ヒレも折れ曲がった魚の山。そいつを見て「お、すげぇ」と思う前に、「雑な扱いしやがって」って感じるベテランは少なくねぇんだ。釣った魚は、俺たちに楽しみを与えてくれた自然からの授かりもんだ。食うにしろ逃がすにしろ、最後まで敬意を払うのが釣り人の最低限の礼儀ってもんだろ。

●理由2:「場所のプレッシャー」を無自覚に上げてるから

「昨日はここで爆釣でした!」なんて、背景に特徴的な堤防やテトラ、看板なんかを映し込んで投稿しちまう。親切のつもりかもしれねぇが、そいつは最悪の「情報漏洩」だ。 次の日、どうなるか想像つくか?アンタの投稿を見た何十人、いや百人以上の釣り人がそのポイントに殺到する。駐車場は溢れ、ゴミは散乱し、地元住民とのトラブルも起きる。静かだったはずの漁港が、週末のバーゲン会場みてぇになっちまうんだ。そうなると、漁師さんの邪魔になったり、最悪の場合は釣り禁止になったりする。アンタ一人の「いいね!」稼ぎが、みんなの遊び場を一つ潰す可能性を秘めてるってわけだ。

●理由3:「数の競争」を煽ってるから

SNSってのは恐ろしいもんでな。「いいね」の数やフォロワーの数で、自分の価値が決まっちまうような錯覚に陥りやすい。釣りの世界も同じだ。誰かが「50匹釣った」と投稿すれば、別の誰かが「俺は60匹だ」と対抗する。いつの間にか、釣りの目的が「自然の中で過ごす楽しみ」から、「他人より多くの数を釣るゲーム」にすり替わっちまう。 こうなると、もう末期だ。釣りの本質を見失い、ただただ数字を追いかけるだけの作業になる。周りが見えなくなり、マナー違反やルール違反も平気でするようになる。承認欲気モンスターの完成だ。アンタの投稿は、そんなモンスターを育て、増やしていく片棒を担いでるかもしれねぇんだぜ。

これらの理由は全部、繋がってる。魚への敬意を忘れ、場所への配慮を忘れ、ただただ数字を追い求める。そんな投稿を見て、純粋に釣りを楽しんでる人間がどう思うか。不快になるに決まってるだろ。それが、アンタの投稿が嫌われる本当の正体だ。


#2: 「合法だろ?」で思考停止するな。漁師と俺たちの決定的な違い

広大な海を前に、一人たたずむ釣り人の後ろ姿

さて、ここで必ず出てくる反論がある。「法律や県のルールは守ってる。何が悪いんだ?」ってやつだ。タチウオを50匹釣ろうが100匹釣ろうが、漁業法や県の遊漁規則に違反してなけりゃセーフだろ、と。さらに、「俺たち遊漁者が釣る量なんて、毎日網を入れてる漁師に比べたら屁でもねぇよ」なんて言う奴もいる。

一見、正論に聞こえるかもしれねぇな。だが、そいつは決定的に間違ってる。思考停止も甚だしい。いいか、漁師と俺たち趣味の釣り人(遊漁者)は、全くの別物だ。

●目的が違う:「生活」と「娯楽」

まず大前提として、漁師は「漁業」という生業、つまり仕事で魚を獲ってる。生活がかかってるんだ。彼らは魚を獲って市場に供給することで、俺たちの食卓を支えてる。 一方、俺たちは「遊漁」、つまり遊びだ。明日食う米に困るから釣りに行くんじゃねぇ。楽しいから、好きだから釣りに行くんだ。この「生活」と「娯楽」って目的の違いは、天と地ほどデカい。

●ルールが違う:「厳しい規制」と「個人の裁量」

漁師は、生活のために魚を獲る代わり、国や県からめちゃくちゃ厳しいルールを課せられてる。
漁業権: どこで漁をしていいか、厳密に決められている。
漁期・禁漁期: 魚種ごとに、獲っていい時期とダメな時期が決められている。
漁具・漁法の制限: 使っていい網の目の大きさや、漁の方法が厳しく制限されている。
漁獲量の報告義務: 獲った量を報告し、全体の資源が管理されている。 これらは全て、魚という資源を枯渇させないように、持続的に利用していくための知恵だ。彼らはこの雁字搦めのルールの中で、生活を立てている。

じゃあ、俺たち遊漁者はどうだ?たしかに県ごとの遊漁規則で、獲っちゃいけない魚のサイズや期間、場所が決まってることはある。だが、漁師に比べりゃ、そのルールは圧倒的に緩い。ほとんどの部分が、俺たち個人の「自由」と「裁量」に任されてるんだ。何匹釣るか、何匹持って帰るか、どんな釣り方をするか。ほとんどが自己判断だ。

●責任が違う:「公的な管理」と「個人的な倫理」

ここが一番大事なところだ。漁師は厳しいルールの下で漁をする代わりに、その責任は国や自治体が管理している部分が大きい。 だが、俺たち遊漁者は違う。ほとんどが自由だからこそ、その行動の一つ一つに対する責任は、全て自分自身にある。 「ルールに書いてないからOK」じゃねぇんだ。「ルールに書いてない部分を、どう自分で律するか」が問われてるんだよ。

漁師が1トン獲るのと、俺たちが100匹釣るのを、同じ土俵で比べることが、いかに無意味で馬鹿げてるかわかるか? 漁師の1トンは、管理された「引き算」。俺たちの100匹は、野放図な「引き算」だ。その100匹が積み重なれば、あっという間に管理の枠を超えちまう。趣味で、娯楽で、未来の資源を食い潰す権利なんて、誰にもねぇんだよ。 「合法だろ?」って言葉は、自分の行動から目をそらし、考えることを放棄した、一番ダセェ言い訳だってことを肝に銘じな。


#3: 海外じゃ常識だぜ?未来の魚を釣るための「嗜み」

「Leave No Trace」の精神

「じゃあどうすりゃいいんだよ」って声が聞こえてきそうだ。法律以上の何かが必要だってことはわかった。だが、その「何か」がわからねぇ。そういう奴らのために、ちょっと海外に目を向けてみようぜ。アメリカやヨーロッパの釣り文化には、俺たちが学ぶべき「嗜み」がたくさんある。

彼らの根底にあるのは、「釣りの価値は、数やサイズだけじゃ決まらねぇ」って考え方だ。

●思想:「Leave No Trace(足跡を残さない)」

これは釣りだけじゃなく、アウトドア活動全体の基本思想になってる考え方だ。直訳すれば「足跡を残さない」。つまり、「そこを訪れる前よりも、美しい状態にして立ち去る」ってことだ。 自分のゴミは必ず持ち帰る。 当たり前だよな。 他人のゴミも拾って帰る。 これができて一人前だ。 環境へのインパクトを最小限にする。 魚をリリースする時は水中でする、無駄に藪をかき分けて進まない、とかだな。 この思想がガキの頃から徹底されてるから、釣り場がキレイに保たれる。釣り人自身が、釣り場の最高の管理人なんだよ。

●行動規範:「Code of Ethics(倫理綱領)」

海外の大きな釣り団体、例えばアメリカの「Trout Unlimited」やバス釣りの「B.A.S.S.」なんかは、独自の「倫理綱領」を掲げてる。そいつは法律じゃねぇ。会員たちが自主的に守る約束事だ。 その中には、キャッチ&リリースの推奨、魚へのダメージを最小限にする方法、他の釣り人や地域住民への敬意、若者への教育なんかが具体的に書かれてる。彼らは、自分たちの遊びが、常に自然や社会と共にあることを理解してる。だから、自分たちで自分たちを律する文化が根付いてるんだ。

●企業の姿勢:環境への貢献がブランド価値になる

パタゴニアみてぇなアウトドアメーカーは、有名だよな。彼らは「私たちは、故郷である地球を救うためにビジネスを営む」なんて公言してる。フライフィッシングの部門でも、売上の一部を環境保護団体に寄付したり、ダムの撤去運動を支援したりしてる。 釣具メーカーのAFTCOなんかも、漁具のリサイクルプログラムや資源保護活動にめちゃくちゃ積極的だ。 こういう企業は、目先の売上だけじゃなく、釣りという文化が100年後も続くことに投資してる。そして、釣り人たちも、そういう企業をリスペクトし、その製品を選ぶ。企業と釣り人が、一緒になって未来を作ってるんだ。素晴らしいじゃねえか。

こういう海外の事例を見ると、日本の釣り文化がまだまだ「獲ること」に価値を置きすぎてるのがよくわかる。彼らは、自然と対話し、そのプロセスを楽しみ、フィールドを守り育てること全体を「釣り」だと捉えている。その境地に立てば、クーラーボックス満タンの写真をSNSにアップすることが、いかにちっぽけな自己満足か、わかるはずだ。


#4: 明日からできる、イケてる釣り師のSNS作法と心得

大量に並べるのではなく、一匹の魚を大切に、そして美しく記録しようとする姿

長々と説教しちまったが、結局、大事なのは「じゃあ、俺はどうすりゃいいのか」ってことだ。頭でわかっても、行動に移せなきゃ意味がねぇ。だから最後に、明日から、いや、この記事を読んだ直後から実践できる「イケてる釣り師」になるための具体的な作法と心得を伝授する。難しいこたぁねぇ。ちょっとした意識で、アンタの釣りも、SNS投稿も、見違えるはずだ。

【SNS投稿の作法】
SNSは使い方次第で、最高の仲間と繋がれるツールになる。だからこそ、見せ方を工夫するんだ。

作法1:魚はキレイに、カッコよく撮れ

地面に並べるのはもう卒業だ。
●魚の下にはタモ網や濡らしたマットを敷く。
●なるべく水辺で、魚体が乾かないうちに素早く撮る。
●血や汚れは、海水でそっと洗い流してから撮る。 こういう一手間が、魚への敬意の表れだ。美しく撮られた一匹の魚の写真は、雑に並べられた50匹の写真より、ずっと多くの人の心を打つぜ。

作法2:場所の特定に繋がる情報は隠せ

親切心で場所を教えるのは、もうやめだ。
●背景は空や水面だけにするか、アプリでぼかす。
●特徴的な建物や看板が映り込まないアングルを探す。
●「〇〇漁港」みてぇな具体的な地名は書かない。「近所の海で」くらいでいいんだよ。 本当にいい場所ってのは、自分で探し出すから価値がある。ヒントは与えず、ロマンだけを与えるのが、イケてる釣り師だ。

作法3:数ではなく、物語を語れ

「〇匹釣れた」という結果報告だけじゃ、ガキの使いだ。
●その一匹に至るまでのプロセスを書く。「どんなルアーで、どんなアクションで、どんな駆け引きの末に釣れたか」とか。
●その日の海の様子、風の匂い、感じたことを言葉にする。「夕日がキレイだった」でもいい。
●釣果以外の写真も混ぜる。使ったタックル、休憩中に飲んだコーヒー、釣り場の猫とか。 アンタの「体験」を共有するんだ。そうすりゃ、釣果の数なんてどうでもよくなる。共感してくれる、本当の仲間が見つかるはずだ。

【釣り場での心得】
SNSの外、リアルなフィールドでの振る舞いこそが本質だ。

心得1:キープは「食べる分だけ」を厳守

「ご近所にお裾分けするから」ってのは便利な言葉だが、本当に全部配りきれるのか?冷凍庫がパンパンになってねぇか?一度、胸に手を当てて考えてみな。基本は、その日の晩に家族で美味しく食べきれる量だけ持ち帰る。それが命をいただく者の責任だ。

心得2:リリースは「蘇生術」のつもりで

キャッチ&リリースは、ただ逃せばいいってもんじゃねぇ。
●魚に触れる前は、必ず水で手を冷やす。
●フックはバーブレスにするか、ペンチで潰す。
●弱ってる魚は、水中でエラに新鮮な水を送り込み、自分で泳ぎ出すまで優しく支えてやる。 生きて帰すための、最大限の努力をする。これもまた、魚への敬意だ。

心得3:来た時よりも美しく

自分のゴミを持ち帰るのは、呼吸するのと同じくらい当たり前のこと。その上で、落ちてるラインや空き缶を一つでも拾って帰る。その小さな行動が、釣り場を守り、アンタ自身の心も豊かにする。


まとめ:釣りの未来を守ろうや

釣り人の手から未来(大海原)へと帰っていく、生命の力強さ

ここまで長々と付き合ってくれて、ありがとな。 結局、俺が言いてぇのはたった一つだ。釣りの本当の価値は、数やサイズで決まるもんじゃねぇ。

アンタがどんなに素晴らしいタックルを持ってても、どんなに魚を釣るのがうまくても、周りへの配慮や未来への想像力が欠けてたら、そいつはただの「魚を獲るのが上手い人」でしかねぇ。本当の意味での「イケてる釣り師」とは、決して言えねぇよ。

釣りってのは、突き詰めりゃ自己満足の世界だ。だがな、その自己満足が、他の誰かの楽しみや、まだ見ぬ次世代の釣り人の楽しみを奪うものであっていいはずがねぇ。 SNSの「いいね」の数で、アンタの価値は決まらねぇ。釣り場に落ちてるゴミを拾うその背中、リリースする魚を優しくいたわるその手つき、そういう姿にこそ、本当の「いいね」が集まるんじゃねぇのか。

アンタが今日釣るその一匹は、10年後の未来から借りてきてる魚かもしれねぇ。そのことを、絶対に忘れんなよ。

最後に、鍋に弾丸を受けながらって漫画で学んだ一言をひとつ

「Um peixe vivo vale muito mais que um morto」
日本語にすると
「一匹の生きた魚は、一匹の死んだものよりもずっと価値がある」

どうか日本でも広がってほしいなと俺は思う。

#未来のためにできること


FAQ:よくある質問


Q1. 自分で食べる分や、人にあげる分を釣って持ち帰るのは、何が問題なんですか?
A1. 食べる分をキープすること自体は、全く問題ねぇよ。問題になりがちなのは、その「量」のさじ加減だ。SNSで称賛されたいがために、必要以上に「配るから」という大義名分を掲げて、自分の処理能力を超えた量をキープしちまうケースが問題なんだ。本当に責任を持って消費できるのか、配る相手は本当にそれを喜んでるのか、一度立ち止まって考えることが大事だぜ。

Q2. 個人のSNS投稿一つで、釣り場環境や魚の資源がそんなに変わるものですか?
A2. 一人の力は小さいかもしれねぇ。だが、SNSはその小さな力を、一瞬で何千、何万倍にも増幅させる力を持ってる。アンタ一人の投稿が、何百人もの釣り人を同じ場所に集めちまう可能性があるんだ。まさに「ちりも積もれば山となる」。逆に言えば、アンタ一人がマナーを発信すれば、それもまた大きな影響力を持つってことだ。

Q3. 法律で「一人〇匹まで」と、もっと厳しく規制すればいいんじゃないですか?
A3. それも一つの考え方だが、問題はそんなに単純じゃねぇ。魚種や地域、季節によって状況は全く違うし、全ての釣りに網をかけるような規制は現実的じゃねぇんだ。それに、何でもかんでも法律で縛るのは、釣りの「自由」ってもんを奪っちまう。大事なのは、法律で決められるから守るんじゃなく、釣り人一人ひとりが自分で考えて、自分を律する文化を育てることなんだよ。

Q4. 釣果を自慢したい気持ちは、どうしたらいいですか?
A4. その気持ちは、釣り人なら誰だって持ってる自然なもんだ。無理に抑えつける必要はねぇ。たまに爆釣したってんなら問題ねぇしな。素直におめでとうだ。大事なのは「自慢の仕方」を変えることだ。この記事で紹介したみてぇに、数や量じゃなく、その魚との出会いの「物語」や、使ったタックルのこだわり、その日の景色の美しさなんかを自慢してみるのはどうだ?そういう投稿には、きっと質の高い「いいね」が集まるはずだぜ。

Q5. ベテランぶって説教してるけど、アンタは完璧にできてるんですか?
A5. いい質問だ。完璧な人間なんて、どこにもいやしねぇよ。俺だって昔は、数を追いかけて周りが見えなくなってた時期もある。たくさん失敗してきた。だからこそ、今こうして偉そうに語ってるんだ。大事なのは、完璧であることじゃなく、常により良い釣り人であろうと学び続け、考え続ける姿勢だ。俺もアンタも、一生勉強中の身なんだよ。

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カゴ釣り完全ガイド|初心者から上級者まで役立つ釣り情報をお届け 記事を最後まで読んだな?これでてめぇもボウズ卒業だ。もし俺の愛あるお節介が役に立ったなら、少しばかり応援していきな。もらったチップは、新しい仕掛けの人柱代や、次の釣れるロジックを検証するガソリン代に使わせてもらうぜ。てめぇらの釣果を爆アゲする記事を書き続けてやる!

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