蘇我入鹿の母は推古天皇であり父は物部守屋(用明天皇)である
蘇我入鹿の母は推古天皇であり父は物部守屋(用明天皇)である
入鹿池に墜落した自衛隊機T-4 96-5625の事故は、乙巳の変で殺された蘇我入鹿の無念の御霊を成仏させてほしいと私にせまって来るようです。
それを言ってくるのは、その真相を知っている空海である。
そのことは、通称ドルフィン(イルカ)と呼ばれる練習機T-4がイルカ池に墜落しただけでも私には蘇我入鹿の墓である阿武山古墳とを結んでフェニックスコードを描くことを促してきた。それを書き上げるにはそれほど時間はかからなかった。奇怪な事件や事故は、いつも「血洗の滝」に結ばれることが多かった。安倍元首相暗殺事件もそうでしたし、自衛隊小銃乱射事件も京都アニメーション火災も血洗いの滝に結ばれていました。
最初に描かされたのは、入鹿池と蘇我入鹿が埋葬された阿武山古墳と血洗の滝だった。
蘇我入鹿の墓から入鹿池までと血洗の滝までは、共に140.8㎞の二等辺三角形を描く。

次に空海の生誕地との関係だった。
蘇我入鹿の墓から入鹿池までと空海の生誕地までは、共に140.8㎞の二等辺三角形を描く。

そして、その二つの図形はきれいな図形を作り上げた。
蘇我入鹿の墓から入鹿池までと血洗の滝までと空海の墓までは、共に140.8㎞である。

一番霊山寺から空海の墓までと入鹿池までは、共に263.75㎞の二等辺三角形を描く。

大日山から入鹿池までと蘇我入鹿の墓までは、共に105.9㎞の二等辺三角形を描く。

三郎岳と蘇我入鹿の墓と入鹿池は直角三角形を描く。

三郎岳と蘇我入鹿の墓と空海の生誕地は、直角三角形を描く。


・・・
20日未明、私は入鹿池に墜落した自衛隊機(T-4)96-5625の意味を解くことを要求されているようで、PCを開いて地理院地図とニラメッコした。
それはやはり、阿武山古墳の被葬者は、蘇我入鹿であり、入鹿の母が推古天皇であり父が物部守屋(用明天皇)であるフェニックスコードを書き上げよと響いてきた。
(T-4)96-5625の解読
そのイルカが入鹿池へ飛び込んだ。
そして搭乗員2人が乗った96-5625は、96はコム・・神です。
56は、イム・・忌む・イム・・仏。
25は、フイ・・団結・また会おう!です。
神仏団結せよ!・・また会おう!
入鹿池に自衛隊機T-4練習機を墜落させてまで蘇我入鹿の真実を伝えようとする何者かに乙巳の変の真相を知らなければならないと霊界から迫って来るようである。それで、今まで私が教えられていることを纏め整理しなくてはと思います。
蘇我入鹿の生母は推古天皇であるということ。
2022年2月27日(日)
「私はここに居ます。ここです!」という人あり。
以前そこに私は行っていたような記憶があります。
引っ張られて行っていましたねぇ。
第33代推古天皇です。女性天皇としては最初の天皇のようです。
卑弥呼さんは女王でしたからね。
そうそう、推古天皇は女王卑弥呼の血を受け継いでいましたよ。
022年3月25日(金)
卑弥呼には孫娘二人が居ました。
下の孫娘は、稲日大郎姫命陵に祀られています。
その稲日大郎姫命の姉の墓は、兵庫県姫路市林田町上伊勢に在ります。
二人の母親(卑弥呼の嫁)の墓は、兵庫県神河町長谷の山にあって、この三点(赤い図形)は、キッチリと直角二等辺三角形を描いています。
そして推古天皇の墓と、卑弥呼の嫁の墓と稲日大郎姫命の姉の墓の三点(黄色い図形)は、二等辺三角形を描いています。
推古天皇は、稲日大郎姫命の姉の血筋であると言っていますね。
そして推古天皇の墓と光明皇后の墓と卑弥呼の墓の三点(青色)は、2:1:√3の直角三角形を描いていますが、このことから推古天皇も光明皇后も「卑弥呼の血統である」と言っています。




2022年3月21日・祝春分の日に推古天皇の墓へと行きました。























黄金をキャッチする5m×5mの空間を凡そ1mほどの壁で取り囲むように石室が存在し、その周りは巨大な空洞になっています。
いままで私が計測した中で、ダントツで巨大地下神殿の様相でした。

また、近くのお寺の敷地内にも、1.5m×1.5mほどの黄金をキャッチしました。でも・・入口はずっと離れた場所に存在している様子でした。




居母山から推古天皇の墓と蘇我入鹿の墓とは二等辺三角形を描く。
ハトホルの地上絵から推古天皇の墓と蘇我入鹿の墓とは二等辺三角形を描く。

推古天皇は垂仁天皇の系譜であるということをフェニックスコードで教えます。推古天皇陵と推古天皇の墓と垂仁天皇の墓は直角三角形を描きます。

空海は蘇我入鹿の生れ変り
2022年7月25日(月)
ずっと謎だった長年のモヤモヤがすっきりしました。
伊勢に大王崎があって、その先に大王島があります。
「大王って誰なんだろう」と思い続けていましたが、蘇我入鹿の墓(阿武山古墳)から大王島までと空海の生誕地までが同距離で二等辺三角形を描きます。
この図形は、「私は蘇我入鹿の生れ変りである」と聞こえてきます。
そしてそのことを証明するかのように、推古天皇の墓から蘇我入鹿の墓までと空海の生誕地までの距離は同距離で二等辺三角形を描きます。
不思議な不思議なお話ですねぇ。


役行者は『お祖父さんが長老だ!』と
2022年4月6日(水)
5月28日に役行者ゆかりの地であり絶対的ベンチマークポイントの役行者堂へと行きます。
以前このポイントから比叡山延暦寺根本中堂とイエス・キリストの墓とで正三角形を描いていることを知らされましたが、今度はもっと大きな正三角形が現れました。
この国の『長老とは誰だ!』と役行者は言ってますよ。
役行者の父は、聖徳太子=蘇我入鹿=皇極天皇でしたが、その聖徳太子が建立した四天王寺で手を合わせて祈る場所は『長老ヶ岳』でした。
四天王寺の場所と建築配置は絶妙な設計の上に造営されています。
役行者は、『お祖父さんが長老だ!』とおっしゃっていますが・・、お祖父さんって誰!? つづく




伝 物部守屋墓に呼ばれた・・そして
2023年6月13日(火)
10日(土)は、PM8:00から泉佐野駅の近くのカイロベーシック スタジオからのユーチューブライブでした。
神戸からは結構な距離と時間がかかる場所でのライブなので、「どうして私は泉佐野まで行くのだろう、どうして泉佐野なのか?」と、前日の夜に思い立って、六甲道の我社と泉佐野のカイロベーシック様との関係を調べることにしました。
・・すると! 真っ先に浮かび上がったのが、カイロベーシック様から六甲道までと、高野山弘法大師廟までの距離が共に34㎞と同距離で二等辺三角形が描けました。
そして、カイロベーシックとT.T.Cとで正三角形となる場所に、伝 物部守屋墓が浮かび上がりました。・・これは大変です。
スタジオと空海の生誕地とイエス・キリストの墓とが直角三角形を描いています。 まだまだ浮かび上がってきました。T.T.Cの事務所から蘇我入鹿の墓までと伝 物部守屋墓までが同距離で二等辺三角形を描きますし、スタジオと蘇我入鹿の墓と生野の地下神殿も直角三角形を描いています。
ちなみに、本当の物部守屋(用明天皇)の墓は、用明天皇陵と伝 物部守屋墓まで同距離となる場所に造営されました。
これはもう私は、カイロベーシック様のスタジオに入る前に絶対に八尾市の伝 物部守屋墓に行ってからでないとスタジオには入れないと思い、当日はちょっとだけ早く六甲道を出て、八尾駅まで行って、駅前で待てどタクシーも来そうにないので、「偏角地球儀」をキヤリーに載せて引きずりながら目的地を目指しました。先ず目指したのは、伝 物部守屋墓の前を通り過ぎて大聖勝軍寺まで行きました。そこの境内でコアロッドで360度調べると、通ってきた物部守屋墓の方向にだけ金反応を示しました。・・ので、時間もあまりないのですぐさま引き返して、守屋墓の前でコアロッドを取り出して金探査を試みました。すると・・墓碑を中心として3.5mほどに金反応を示しました。このポイントこそ重要な場所であることの証明をみました。そこでゆっくりする時間もなく、八尾駅までキャリーバックを引きずりながら帰り、新今宮まで行って、南海電車で泉佐野まで行って、スタジオにたどり着いたのは、約束の6時過ぎに到着しました。どんより曇り空ではありましたが、顔は日焼けしたようでした。どうも、目には見えない何者かがスタジオまで一緒に行った感じがした私でした。
「間違ったことは絶対にダメですよ」とスタジオで何者かは言ってたようでした。
そして・・生配信が始まってまもなく、「間違ってる!」と、動画は途切れてしまいました。あなたはこの不思議な話、信じられますでしょうか・・。






物部氏の財宝はユダヤの財宝
2022年10月27日(木)
10月22日(土)、私はコアロッドを取り出して、物部氏の財宝を入れ込んだ山に向かって探査を開始した。
もうすぐさま反応しましたねぇ。そして一歩、二歩、三歩・・・31歩在りました。 31mの黄金の反応でした。
イスラエルから来日されたら長野県諏訪にある守屋山に手を合わせて礼拝されるといわれます。
なぜなのでしょう・・。
それは、ユダヤの12部族の足跡を追いかけている人達が探し求めているものの手がかりが「守屋・モリヤ」にあるからです。
守屋と言えば、私に響いてくるのは、「物部守屋」です。物部守屋は、用明天皇でした。そして・・、物部守屋の墓へと先日、墓参に行きましたが、その物部守屋と守屋山へ全く同距離で二等辺三角形を描く場所に、黄金の反応があるか否かを確かめに行きましたが、31mの反応を確かめた次第でした。そして・・まだまだユダヤの財宝は岐阜に隠されているようです。

達磨寺本堂の下に3m×5mの金の反応
2021年10月18日(火)
10月2日(日)物部守屋の墓から達磨寺へ行きました。達磨寺本堂の下には、古墳が在るとのことですが、私のコアロッドは、本堂北北西の角に3m×5mの金の反応をキャッチしました。
達磨寺から推古天皇の墓までと孝謙天皇の墓までは共に138㎞で二等辺三角形を描いています。そして・・、仁徳天皇が国見の歌を詠んだ太鼓山から推古天皇の墓までと、孝謙天皇の墓までは共に114.3㎞と同距離です。そして太鼓山から見下ろすすぐ下に、秦始皇帝の地下神殿が在ります。これらのことが分かった上で、いよいよ孝謙天皇の墓参りと調査に行けるようです。牧浦さんありがとうございました。









静かにたたずむ物部守屋の墓
2022年10月10日(月・祝)
道鏡の墓に行ったのは、9月11日(日)でした。それから、「道鏡さんはどこへ行きたいのだろうか・・」と、ずっと思い続けていました。それが先週の金曜日ごろ突然、「うちの娘がTVを見ていて、達磨寺が出ていてそれを見て、上森さんに知らせなくては・・と、言うので・・」と牧浦さんから電話がありました。牧浦さんはいつも神様なのか宇宙人なのか・・そのような目には見えない存在からのメッセージを届けてくれるので、娘さんも同じような役割を担っていると思って、国土地理院地図を開いてポイントを打って、空海コードが浮かび上がるか調べると、達磨寺から車でだったらそう離れていない場所に物部守屋(用明天皇)の墓があって、その場所と道鏡の墓と土塔との空海コードと、物部守屋の母である蘇我堅塩姫の墓とのコードなど一ケ月前には浮かび上がっていたので、「これは急いで、物部守屋の墓に行かなくては・・」と思い、「お願いします」となって、10月2日(日)に行った次第でした。牧浦さんはお墓に持って行くお供えも用意してくれていました。道鏡さんは物部守屋の血を引いていると言ってますねぇ。
降り立った王寺駅から向かった先は、物部守屋の墓だった
022年10月9日(日)
先週の日曜日(2日)、奈良県の王寺へと行った。初めて降り立つ駅でした。駅に着いたのは12:40少し前でした。
待ってくれていたのは、牧浦さんと娘さんでした。そして先ず向かった先は・・、物部守屋(用明天皇)の墓でした。
・・・
・・・
ああ・・あ!2020年11月23日 王寺駅には、降り立っていましたぁ、ペコリです。

ここですかぁ・・。 やっと来ることができました。 それで早速コアロッドを取り出して、目指す山の方向に向けてゆっくり身体を動かしていくと・・!
反応しました、反応しましたよぉ! そしていつもの動作を行うと、一歩、二歩、三歩・・で、金3mキャッチ!

















物部守屋は用明天皇だった
2022年4月21日(木)
改ざんされた隠された歴史の謎を解く鍵は、難波宮跡にあるようです。
その難波宮跡から蘇我入鹿の墓(阿武山古墳)までと、用明天皇陵までと物部守屋の墓までは略同距離です。
物部守屋は用明天皇だったと空海コードでは響いてきます

日月の山が教える下野薬師寺跡と道鏡の墓
2022年9月29日(木)
昨日、大発見でした。もうビックリ仰天でしたぁ~~~!!
矢野さんが「できましたぁ・・」と一枚の用紙を田中さんに渡し、そして私の手に廻ってきました。
今、矢野さんは、一枚一枚丁寧に「不死鳥のあしあと」のパート2の執筆をやっていますが、「弓削道鏡の墓を発見」のタイトルでした。
手渡された原稿を見て、道鏡終焉の地が下野薬師寺跡と書いてあるので、先日行った南紀でのオリオン座を見た翌日の「目覚山」と「めざめ」が、「しっかり目を覚ましなさい」と言ってるようで、すぐさま地理院地図に下野薬師寺跡の六角堂跡と、道鏡の墓にポイントを打った。実はそれまで私は深い眠りに入っていた。
そして、もう二つのポイントを繋ぐ一点は、「日月の山」だった。
今まで関東で事件や事故があれば、私は必ず日月の山をコンパスの支点として事件現場とを結んで関西に描かれるライン上を見ている癖が出来上がっている。
今、千葉で女の子が行方不明になっているニュースにしても、日月の山から私に聞こえてくるのは、藤原武智麻呂の墓と栄山寺である。
いつも事件や事故に「藤原氏」が何かを語っているような気がするのです。 注目してほしい、国民に伝えてほしいと私に語るのである。
・・そのように私には癖になっているので、「もしや・・!!」と思って、日月の山から二つのポイントまで距離を測ると・・、「エ~~~~~~ッ!!」なんです。
日月の山から共に232.25㎞なのです。 これはもうやっぱり日月の山を造ったのは、空海でしょう。
道鏡は、弓月王の流れである用明天皇(物部守屋)の血を受け継いでいるし、空海からすれば道鏡はお祖父さんにあたる人なのですから・・。
宇佐八幡神託事件で語られていることは、和気清麻呂が正に神の使者のごときに語り継がれているのは、誤りであります。
嫉妬や妬みだけが渦巻いていた状態が読み取れます。
1250年の時を経て、道鏡の名誉を回復せねばなりません。
孝謙天皇と道鏡の間に生まれたのが、空海の母です。
この日本において、空海ほど天皇の血を濃く受け継いだ人物はいないのです。
空海の系譜は古代天皇家の核をなすものなのです。
日本国民が今、分断の危機にさらされているのは、正しき日本の歴史が捻じ曲げられているからなのです。
蘇我入鹿(皇極天皇)と道鏡・・そしてその血を受け継ぐ空海もそうでしょう。無念の御霊なのです。
向こうの世界からこの世をずっとそれらの御霊は見ているのです。
無念の御霊を鎮めなければ、ますますこの世は荒廃するのです。魂の叫びが聞こえませんかねぇ・・。


武部さん、またまた蛇岩が出てきましたよ。蛇岩から道鏡の墓と由義寺跡までは同距離で二等辺三角形を描いています。

道鏡の系譜は凄い! 道鏡の墓の位置決めも凄い!
2022年9月7日(水)
道鏡は、空海様の祖父にあたります。
その道鏡の先祖を遡れば、用明天皇(物部守屋)と蘇我 堅塩媛 (そが の きたしひめ)が浮かんできます。
もっと遡れば、モーセの直系だと言っておられますよ。
空海さまが教えられているのは、お祖父さんは山伏だったと言ってます。
そして、お祖父さんには湖の広さや深さ以上の恩があると言って居られます。
下の図形は、基本形である2:1:√3の直角三角形を大小2つ組み合わせた図形です。
その二つの図形が上記のようなことを語りかけてくるのです。
そして、役行者堂と土塔と道鏡の墓も2:1:√3の直角三角形ですし、役行者・行基の墓と荒神社と道鏡の墓も2:1:√3の直角三角形です。
実に素晴らしい位置出しです。
そして、蘇我 堅塩媛の墓から孝謙天皇の墓までと道鏡の墓までは、全く同距離で二等辺三角形を描くポイントに定められ、他の重要ポイントと直角三角形を描きます。
このように空海コードは、緻密な関係の上に定められています。
高野山も全て幾重にも計画的配置の上に開発、造営されていることが分かります。
・・ということで、モーセの直系である武部さんと近々、道鏡さまのお墓参りです。
武部さん、よろしくお願いいたします。




大西さんからのメールで道鏡の墓発見に到りました
2022年6月10日(金)
上森社長
お疲れ様です。
表記の件、つまらない話ですが。。。
昨朝のブログで称徳天皇と道鏡について語られてましたが道鏡の”弓削”が気になり
想ったことです。
近所にも、備前の和気やイエス王家のお墓の近く(熊山遺跡の麓)にも弓削という
地名があったので・・
1.道鏡の俗性とされる弓削氏は、弓を製作する弓削部を統率した氏族で、物部氏
の一族、物部守屋が母性を仮冒...偽称して弓削守屋を称してからその子孫が
弓削氏を称したとありました。
道鏡の出自については天智天皇の皇子である志貴皇子の落胤という異説も
あるようですが、
古法皇山のある弓削島との関係から道鏡の出自は弓削氏にあると想います。
この弓削氏が、物部守屋公と繋がりがあるならば、道鏡も守屋公のDNAを
継ぐ人物だったのではないでしょうか?
(つまり用明天皇のDNA)
また、弓削は、弓矢で”弓”と”半月”で、弓月を示唆するという情報も目に
しました。
弓月と言えば、弓月の君にも繋がると想います。
*九州から瀬戸内(山沿い、川沿い)、そして近畿に集中する弓削という
地名は、弓月の君が東遷していく順路のように見えます。
2.一方、称徳(孝謙)天皇は、壬申の乱後、天武帝の直系としては最後の天皇
にして女帝と言われています。
3.身分の低い道鏡が、称徳天皇に取り入って朝廷で出世し、あろうことか皇位を
狙った一連の行為に尾ひれがついた風説が一般化されていますが...
上記のことを考えると、称徳天皇は、道鏡が皇位を持つにふさわしいDNAを
持つことを知っていたのではと想われます。
(もしかして、当時の周囲の人はみんな知っていた)
*このことが、藤原仲麻呂の乱の背景にあったのかも?
4.ただ、道鏡自身は皇位に対して、それほど積極的ではなかった。
しかし、称徳天皇はご自身に後継者(子供も居なかった)が無かったことも
あり、高貴なDNAを持つ道鏡を見出したときに、
そこに天武系と言うか、それに近い血脈に皇位を継がせる可能性を求めて
どんどん道鏡に執心していった...というようなことがあったのでは
ないでしょうか?(もちろん男女の関係も含めて)
5.称徳天皇という後ろ盾がなくなった後、道鏡自身は死罪等の重罪に問われること
なく、清麻呂公からも次代の光仁天皇からも死罪等重罪に問われることなく
ただ下野へ配流・左遷されるだけにとどまったことを考えると、
道鏡自身は、称徳天皇の想い(天武系の継続)に翻弄されただけと想えて
なりません。
6.いずれにしても、称徳天皇が亡くなった後、天智系の光仁天皇を迎え、
朝廷から道鏡も居なくなり、いよいよ桓武天皇の時代を迎えることに
なる。。。その幕開けの事件だったように思います。
いよいよ平安の時代に入っていきますね。
以上です。
大西
この大西さんからのメールを見て、すぐさま弓月王の墓と古法皇山とを結んで、そして空海コードでその一点を探しました。
その一点は、複数の空海コードと重なるか否かで「道鏡の墓である」と判定しました。
沢山の空海コードが一点に重なることは、偶然にしてはあり得ないものです。(うえもり)

斉明天皇が日本の歴史の要のようです
2022年5月20日(金)
乙巳の変から壬申の乱の真相と、伊勢神宮の謎も空海コードで解明できたようです。
斉明天皇の第一子が、大海人皇子(天武天皇)
第二子が、漢皇子(役行者)
この二人の父は、聖徳太子と尊ばれた蘇我入鹿であり皇極天皇でした。
斉明天皇の第三子が、中大兄皇子(天智天皇)で、豊(扶余 豊璋)でもありました。
第四子が、中臣鎌子(藤原鎌足)で、勇(百済王善光)でした。
第五子が、間人皇女(はしひとのひめみこ)でした。
この三人の父は、百済の最後の王、義慈王であり舒明天皇でした。
また、中大兄皇子と中臣鎌子に殺された、皇極天皇(蘇我入鹿)の父親は、物部守屋(用明天皇)でした。
この時代の朝鮮半島と日本との歴史背景を重ねていくと、ハッキリと見えてくるものがあります。
乙巳の変から壬申の乱の真相がハッキリと浮かび上がってきます。
そして空海コードは、埋め墓と詣り墓とを駆使して、血縁関係を正確に教えてくれています。
この日本という国は、世界に類を見ない素晴らしい国であります。
「いろいろありましたが・・」と、ご先祖様たちは申されて居られる様子で御座います。
今、隠された歴史の扉を大きく開く時に来ているように私は思います。
世界の平和のために・・。


物部守屋は用明天皇でした
2022年5月10日(火)
4月13日のブログで今城塚古墳を物部守屋を祀る陵墓と間違って書いていました。(現在は訂正しています)。
物部守屋は用明天皇でしたから、詣り墓は用明天皇陵です。下の図形は、それらのことを教えている空海コードです。

難波宮から蘇我入鹿の墓(阿武山古墳)までと、物部守屋の埋め墓までと、用明天皇陵までの3ヶ所は凡そ21㎞と同距離です。

四天王寺は聖徳太子と尊ばれた蘇我入鹿の父であり長老と尊ばれた物部守屋〈用明天皇)を祀った寺院でした
2022年4月26日(火)
昨日は朝から一日中、取材で事務所を不在にしていました。
テラファイト卑弥呼を購入して、水を変えたら今までにない美味しいパンができるようになったという神戸のパン屋さんに取材に行って、そしてそれから内藤さんの案内で神河町まで行きました。
二件目は、自給自足の時代が来たとしても皆で助け合っていけるようにと神河町の奥猪篠で芋類を植えに行った場所へと、二件目の取材の場所がその場所でした。
いつ見ても卑弥呼の墓が一番きれいに見える場所での取材でした。
取材を終えて、寺前の駅から特急はまかぜに乗れるように内藤さんに送ってもらって、事務所に着いたのが夕方の5時丁度の時間でした。
・・すると、机の上にコピーされた情報が置いてありました。
篠原千恵子さんからのものでした。その一つが下の新聞記事のコピーでした。
これはなかなか、スルー出来ない情報ですよ。 私には有難いありがたい内容です。
大阪にある四天王寺に武部さんに連れて行ってもらった時に、「物部守屋を祀っているんですよ」と言って、そのお堂に連れて行かれたんですがその時は、工事中で見ることができませんでしたが、武部さんが私にメールでその時、写真を送ってくれました。この武部さんの話と、下の新聞の記事と、私が空海コードで教えられた聖徳太子=蘇我入鹿=皇極天皇の父親は、「物部守屋だった!」という教えと全て重なります。
そして四天王寺で手を合わせる先は、長老ヶ岳という山でありその長老とは、物部守屋=用明天皇だと空海コードが語るその教えと、下の新聞の記事の内容には心が嬉しくも温まるものでした。
「かっての敵へなぜ祈る?」という疑問は、本当のことを今まで教育の場で教えてこなかったということなのです。
数年前に突然として、各大手新聞に一斉に「教育の場で聖徳太子とう人物名は使わないようななる」という記事に対して一斉にブーイングがあがってその意図は現在実行されていませんが、そろそろ歴史の嘘と真実が表にあきらかになる時期に来たということのようです。
四天王寺は聖徳太子と尊ばれた蘇我入鹿の父であり長老と尊ばれた物部守屋(用明天皇)を祀った寺院であることをわかった上で、どうぞ多くの方々にお参りに行ってほしいと私は強く願います。 どうぞ、御参りくださいませ。

四天王寺には物部守屋を祀る祠があると武部さんが教えてくれました。

物部守屋は用明天皇だった
2022年4月21日(木)
改ざんされた隠された歴史の謎を解く鍵は、難波宮跡にあるようです。
その難波宮跡から蘇我入鹿の墓(阿武山古墳)までと、用明天皇陵までと物部守屋の墓までは略同距離です。
物部守屋は用明天皇だったと空海コードでは響いてきます。

これぞ伝統ある平家の大アゲハチョウである!
2022年4月12日(火)
今城塚古墳は、義慈王を祀る陵墓である。そしてその陵墓は、卑弥呼の墓に向けて造営されている。
紀元前からの流れを組む伝統ある平家の大アゲハチョウが出現しました。


上の今城塚古墳が義慈王を祀る陵墓で、下の73.2mの山が物部守屋の埋め墓である。

四天王寺の石鳥居からは、太安萬侶の墓にも手を合わせるようになっていました
2019年3月16日(土)
四天王寺の西門の石鳥居から朝日を拝む先には、天照大神(アブラハムの父テラ)の墓があり、物部守屋や聖徳太子(=蘇我入鹿)に手を合わすように伽藍配置は設計されていましたが、
もう一つ、武部さんの情報から・・、そのライン上にピタリと、太安萬侶の墓も存在していました。
古事記を編纂した太安萬侶もこの国の成り立ちを全て知っていた人物の一人ですから当然、大国主命=イエス・キリストの陵慕の位置も知っていたことでしょう。
そのような目でイエスの陵墓との関係性から調べると、摩気神社が見事に浮かび上がりました。
空海さまは知っていましたね。
摩気神社からイエスの陵墓までの距離と、太安萬侶の墓までの距離は、おおよそ共に65㎞と同距離です。
偶然などあり得ませんね。 必然です。


四天王寺は、古代日本の礎を築いた現人神たちを祀る見事なまでの配慮がなされた寺院です。
2019年3月14日(木)
武部さんのブログの内容は実に多くのヒントを私に与えてくれます。
10日の日曜日に武部さんに四天王寺を案内してもらいましたが、物部守屋を祀る祠の回りは工事中で見れませんでした。
・・ので、武部さんの写真を拝借します。
鳥居から朝日に向かって祈ると、表向きには八角堂の奥殿の聖徳太子に手を合わすようになっていますが、聖徳太子=蘇我入鹿さんですからねぇ・・。
そしてその先に物部守屋さんを祀っていますから、物部と蘇我氏に手を合わすように四天王寺は造営されていて、その先の先が神野山です。
神野山にはアブラハムの父、テラの墓があり、この方を天照大神と皆さんは呼んでいました。
すなわち、四天王寺の鳥居から朝日を拝めば、天照大神(テラ)・物部氏(守屋)・聖徳太子(蘇我入鹿)に手を合わすように出来ています。
そして・・、南門から北に向かって手を合わす先には長老ヶ岳。 長老とは、テラでありモーセでした。
そしてそして・・、四天王寺と長老ヶ岳と結んで、直角に西へと行った先にあるのは、島根県大田市にある物部神社です。
この三点は直角三角形を描きます。
四天王寺は、古代日本の礎を築いた現人神たちを祀る見事なまでの配慮がなされた寺院です。



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