リコーダーで泣いて、コンガで笑った日

いまでも覚えている、小5の音楽の授業。悔しさと笑い
小5のリコーダーで泣いた話と、コンガで世界がひっくり返った日

小学校5年生の音楽の授業。クラス全員でリコーダーを持って「カッコウ」を合わせる時間があった。教科書に載っている、誰もが一度は吹かされるあのシンプルな曲。でも、あのときの自分には、それが「シンプル」ではなかった。
みんなと同じタイミングで吹けない。拍をとるのが遅れたり、ずれたりする。先生の指示やピアノの伴奏の「音」に、身体が乗り切れない。結果として、「合わせられない自分」が、クラスの中でハッキリと浮かび上がってしまう。

そのとき胸の奥に溜まっていったのは、恥ずかしさよりも、どうしようもできないことへの悔しさだった。頭では「こうしたい」が分かっているのに、身体が追いつかない。「がんばっていないわけじゃない」のに、結果は「できなかった」として扱われる。悔しさに耐えきれず、涙が出てしまう。ここで刻まれたのは、「できるのにサボっているわけじゃないのに、『できない側』に置かれる痛み」だった。

その一方で、別の機会。同じ「音楽」という枠の中で、コンガという打楽器に出会う。手で叩く。振動がダイレクトに身体に返ってくる。音の高さや正確な音程よりも、「リズム」と「ノリ」が前に出てくる。

そこで、自分が叩いたリズムに、クラスのみんなが笑ってくれた。拍手が起きたり、「おお〜」というリアクションが返ってきたり、明らかに空気が変わる。そこで初めて、同じ「音楽」の授業の中で、同じ「教室」という空間の中で、自分の身体の使い方が変わるだけで、「できない悔しさ」が「ウケる快感」に裏返る瞬間を経験した。

この1セットが、のちのサーカス・クラウンとしての身体OSの原型になっている。

親から求められたことは、たぶんちゃんとやってきた
高校の頃、ピエロの世界に出会う。「ここで輝けたら、親に恩返しができる」と身体が先に確信してしまうほどの衝撃だった。
けれど現実には、親からは「大学には行ったほうがいい」「安定した道も持っておいたほうがいい」という、ごくまっとうで、でも自分の衝動とはズレたメッセージが来る。18歳のとき、自分は一度「大学行かなくていいから」と口に出し、「ピエロで生きてく」と宣言している。にもかかわらず、最終的な選択としては、親の言葉に従って大学に進学する決断をしている。就職もして、親の期待には応えた。

ここで重要なのは、「親に押し切られた被害者」ではなく、自分なりに悩んだうえで「従う」を選んだ主体でもあること。あとから振り返ったときに、「正直、あれは"正解だった"と思う」と、身体レベルで納得できているのが大きい。
親から受け取ったメッセージの中には、「障がいがあるから、人の2倍頑張らないといけない」という"エネルギー源"でもある言葉も含まれていた。この一言は、自己肯定感を削る刃物にもなるし、限界まで自分を追い込むアクセルにもなる。実際、それを励みとしてここまで走ってきた時期もある。
ただ、今になってみると、「このエネルギーの使い方は、どこかで折れる」「違う燃料に変えていかないと、持たない」という感覚も出てきている。それでも事実として、言われたことを、ある程度ちゃんとやってきたという実感がある。だからこそ、「親から求められたことはやってきたよな」という一言に、重みと誇りが混ざっている。
おれがサーカスやってる理由の一番デカい理由は、母親と父親への産んでくれたことの感謝なんです。特に母親は障がいを持って産んでごめんねって気持ちを心にしまいこんでいるので、いやいや、おかげでこんな素晴らしい作品ができたじゃないかって舞台にたったら目で見て分かりやすいやろ。だからおれはピエロだったし、これからピエロであり続けて、親にこの子を産んだ自分たちが誇らしいと思ってくれたら、おれは人生7割成功。
それでも理解できない「できるのにしない人」への違和感
自分は、聴覚障害というハンデがあり、音で合わせる授業では悔しい思いをし、「2倍頑張れ」という言葉を背負い、大学進学も、ピエロの道も、結果的に両方やってきた。そこには、明らかに「簡単ではない条件を、それでも引き受けてきた」という身体感覚がある。
だからこそ、経済的にも環境的にも、条件が整っているように見える人が、「めんどくさいからやらない」「誰かがやってくれるからやってもらう」という選択をしているように見えると、どうしようもない違和感とイライラが湧いてくる。

でもね、わかるんですよ。おれもそうだったから。
無気力で、なんに対してもやる気がなかった。失敗するのが、怖かった。

天才じゃなかった。
むしろ、凡人以下だった。
何も自動では起きなかった。

だから、何をどうするかを、選び続けるしかなかった。

整理してみると、「できるのにしない」ように見える人はだいたい次の3パターンに分かれる。
1. OSが足りないのに「できる」とカウントされている人
周りからは「条件整ってる=できるでしょ」と見られている。でも本人の身体OSとしては、「失敗しても大丈夫な環境」も「時間のリズムの取り方」もインストールされていない。内側では「できる」どころか「触るのが怖い」が本音のことも多い。
2. 「失敗したときのコスト」が過大に見えている人
一歩やるだけで、「失敗したら一生終わる」「笑われる」と感じてしまう。失敗への予測モデルが、自分とはまるで違う。その結果、「やらない」が最も安全な選択に見えてしまう。
3. 「誰かがやってくれる世界」で育ってきた人
家庭や学校の構造が、最初から「誰かが代わりにやる」前提で設計されている。自分で動かなくても、ギリギリなんとかしてもらえる経験を積み重ねている。結果として、「自分からやるOS」をインストールする必要がなかった。
自分自身は、条件が悪くても、人生を伴走するような言葉があっても、それでも「やる」を選び、実際に動いてきた身体。だから、「条件が整っているのに動かない」ように見える人たちが、「理解の範囲外」に感じられる。ここにこそ、あきらの「バカをやれる強さ」「完璧な失敗」を引き受ける覚悟とのコントラストがある。
自由意志って、そんな簡単じゃない――18歳の決断と今の自分
「自分の自由意志を決めるって、すごく難しい」と感じている。それはとても正確な感覚で、心理学的にも「自由意志」は単純なスイッチではない。実際のところ、そのときどきの親との関係、経済状況、能力への自信、社会の雰囲気など複数の要素が絡み合って、「これが一番マシそうだ」という選択が、その瞬間に選ばれていく。
18歳の自分は、「大学行かない」「ピエロで行く」と言った。でも最終的には「大学に行く」を選び、そののちサーカス・クラウンの道に戻ってきた。このプロセスは、自由じゃなかった、でも完全に強制されたわけでもない。その曖昧さごと引き受けて、「今思うと、正直あれで良かった」と感じている。その時点で、あの選択は、「親の言うことを聞かされた人生」から、「親のOSも借りて、自分の路を開いた人生」に書き換えられている。

ここが、このnote全体のキモになるポイント。親から求められたことを、ちゃんとやってきた。感謝のために舞台に立っている部分も、はっきりある。それを「親の顔色をうかがってきた」とだけ解釈すると、自分の人生を矮小化してしまう。
そうではなくて、親からの要請に応えた自分を、一つの誇りとして持つ。そのうえで、「ここから先は、自分のリズムで決める」と境界を引き直す。この「境界線の引き直し」が、まさに「自分の人生をどう生きるか」の実践になる。
自分の人生を生きることは、親や人生の先輩を"余計に"尊重することだった
自分で悩んで選び直していくほど、親や人生の先輩たちの「選ばざるをえなかった事情」も見えてくる。その時代の就職事情。障がいを持つ子どもを育てる不安。自分たちの親から受け取った"思想”や価値観。親たちもまた、自分の身体OSをフル回転させて、その時代の中でベストを探ってきた「演者」だと分かってくる。
そうすると、無条件に従うのでもなく、全否定して切り捨てるのでもなく、「この部分は受け取る/この部分は自分仕様に編集する」という態度が取れるようになる。それこそが、人生の先輩を尊重するということの、深いバージョンだと言える。
尊重をこう定義し直してみる。尊重とは、その人の奮闘、限界、ねじれをまとめて引き受けたうえで、「どのOSを自分の人生にインストールするか」を自分で選び取ること。

この意味での尊重は、「親の言うことを聞く」という従順さとはまったく別物。親の人生を「一つの作品」として眺める。その作品の中の、好きなパーツだけを、自分の作品に引用する。この姿勢が持てると、「できるのにしない人」に対しても、少し距離を取って観察できるようになるかもしれない。
ムカつきは消えなくていい。クラウンにとって、その苛立ちもまたネタの燃料だから。
今日ひとつ試せる具体な一歩――自分のための1ページワーク
ノート1ページを使って、縦に3つの欄を作る。
左:親から求められたこと
真ん中:そのときの自分の本音
右:今の自分から見た評価(○/△/×+一言)
例としては、
左:「大学には行ったほうがいい」
真ん中:「ほんとはピエロ一本で行きたい」
右:「△ でも今の自分には必要な遠回りだった」
左:「障がいがあるから2倍頑張れ」
真ん中:「しんどいけど、その通りにやってきた」
右:「△ 燃料としては使ったけど、これからは別の言葉に変えたい」
これを書き出すことで、親のOS、当時の自分のOS、今の自分のOSが、同じ紙の上で見えるようになる。その作業自体が、「自分の人生をどう生きるか」を、自分の手元に取り戻す一歩になる。
リコーダーで泣いた日も、コンガで笑った日も、全部つながっている。
そしてその先に、舞台がある。

