なぜトルコライスは、トルコ料理じゃないのに「トルコ」なのか?~映画『山の音』の看板からミステリーがはじまった
退屈な映画に思えた。
でも、主人公が銀座を歩く場面で、画面の端に映った立て看板の文字に目が止まった。
「トルコライス」???
「トルコライス」ってなんだっけ?
ある休日のこと。暇だった私は、柄にもなく東宝の文芸映画『⼭の⾳』(1954年)を観ていた。物語に興味はなかったけれど、近所の鎌倉(長谷)がロケ地だと知って、当時の様子を観てみたくなったからだ。
でも、いざ観はじめると、正直なところ自分には退屈だった。物語に入り込むこともできなくて、その分、背景の建物や街並みにばかりに目が向いていた。そして、銀座の街並みの場面で、画面の端に映り込んだ、『キッチン コロンボ』というレストランの立て看板が気になって、私は一時停止ボタンを押した。
立て看板には、店のメニューが書かれている。その一番の上には「トルコライス」という文字があった。
「トルコライス」には馴染みがない。ワンプレートに、カレーピラフとナポリタンとトンカツが盛られて、「大人のお子様ランチ」なんて呼ばれていることぐらいは知ってるけど、実際に食べたことはなかった。
洋食の定番ライスといえば、「カレーライス」、「ハヤシライス」、「オムライス」。「トルコライス」がメニューにある店はあまり知らない。
「トルコライス」ってなんなんだろう?
ネットであちこち検索してわかったのは、トルコライスの発祥や名称の理由には諸説あるものの、一次資料が少なすぎてよくわからないということだった。わかったのは、わからないということだけ。
しかも、発祥だけではなく、不思議なことがたくさんある。
「トルコライス」は、トルコの料理ではない。
発祥の地として「長崎」が有名だが「大阪」「東京」説もある。
料理の基本的な形としては、ワンプレートに複数の洋食を盛り合わせたもの。ワンプレートに乗る料理は、「ドライカレー」「ナポリタン」「トンカツ」が基本だが、「ドライカレー」の代わりに「ピラフ」を盛る店もある。また大阪では「オムライス」の上に「トンカツ」を乗せて、「デミグラスソース」をかける。東京では「チキンライス」や「チャーハン」の上に「トンカツ」をのせて「カレー」をかける。
発祥も不明だし、「トルコライス」という名前の由来もわからない。ワンプレートに盛り合わせること以外に、料理の構成すら定まっていない。謎過ぎる料理。なんだこれ?
これはミステリーだ。ネットやAIでどれだけ調べても答えはない。バラバラの「点」を、どれも否定することなく、つなげることはできないものだろうか? そんなわけで、「点」と「点」をつなぐ仮説をたててみたくなった。
トルコライスは、いつ頃からあるの?
「トルコライス」について、発祥から辿ることはできないだろう。それは、すでに多くの料理研究家、歴史研究家が調べてきたはずだ。それでも不明なのだから、ルーツ探しの深みにはまることはない。
では、どこからはじめればいいのだろう?
その前に「発祥」がわからないとはどういうことなんだろう? そして、なぜ長崎、大阪、東京という説があるのだろう?
「発祥がわからない」とは、それぞれを「発祥」とする地において、「発祥した時期に差がない」ということではないだろうか? だって、普通に考えれば、最も古い時代だったところが、「発祥」の地になるはずだ。
それなら、「トルコライス」が発祥した時期とされているのは、「いつ頃」なんだろう?
あちこち検索をかけていると、2013年の西日本新聞の記事が目にとまった。
・トルコライスは約60年前に⻑崎で⽣まれたとされる。名前の由来は「3品を三⾊旗(トリコロール)になぞらえた」「発祥の店名」など諸説あるが、どれも確証がない。
・(長崎)市によると、今年5⽉に⽇本の料理⼈団体がトルコの料理⼈にトルコライスを紹介した際、「イスラム圏でトンカツは⾷べない」「トルコ料理にはない様式」と告げられた。7⽉には「⺟国はトルコライスに難⾊」との報道があり、インターネット上で話題に。
これは、長崎市が定めていた「トルコライスの日」が、廃止になったという記事である。
長崎に「トルコライスの日」があったことにも驚くけれど、「トルコライス」については、「1953年頃(記事が書かれた60年前)に、長崎で生まれたらしいってこと」と、「トルコ人に母国の料理じゃないと言われた」ってこと以外はわからない。
いや、ちょっと待って。長崎でトルコライスが生まれたのは1953年頃?
でも、銀座のレストランの立て看板に「トルコライス」と書かれていた映画『山の音』が公開されたのは1954年1月。ということは、撮影された時期は1953年になる。
長崎で生まれたというトルコライスが、同じ時期に銀座の一等地の看板メニュー(それがセットだとしても)に書かれているのは、あまりに早すぎないだろうか? インターネットどころかテレビさえ普及していない時代なのに。
銀座の看板に書かれた「トルコライス」が、どんな料理かまではわからないけれど、そこにはこんな順番で料理名が並んでいた。

「トルコライス」「印度風カレー」「ミートライス」「チキンライス」「パットライス」「ハヤシライス」
トップに書かれているのが、「トルコライス」なのだから、きっと看板料理だったのだろう。「トルコライス」と言う名称はは、一般に認知されていたと思われる。
看板には、「ミートライス」「パットライス」と言う馴染みのない料理名もあるけれど、これはどちらも昭和の大衆的な洋食で、「ミートライス」とはミートソースをかけたライス、「パットライス」とはバターライス(ピラフ)のことだ。
さて、さきほど、東京の「トルコライス」は、「チキンライス」や「チャーハン」の上に「トンカツ」をのせて「カレー」をかけるとあった。この店のメニューには、チキンライスもカレーもある。あとはトンカツをワンプレーとに乗せれば、東京版「トルコライス」の形になる。
西日本新聞記事にあるように、「トルコライス」の誕生を1953年頃に置くと、「トルコライス」という名前の料理が、中身が違うまま「同時多発的」に誕生していたということになる。
これってどういうこと?
一旦、ここまでを整理してみよう。
◇発祥した時期について
発祥とされる場所が複数あるということは、ほぼ同時期に誕生したと考えられる。同時期ではないのなら、最も古い場所が発祥とされるはずだ。そして西日本新聞によれば、トルコライス誕生時期は1953年頃になる。
◇トルコライスの定義
トルコライスは特定の料理名ではなく、複数の料理の要素をワンプレートにまとめた形式である。
トルコライスが、同時多発的に発生したなら、そのカギはきっと1953年頃にある。発祥に関する決定的資料は存在しないのなら、その時代を読み解くことで、トルコライス発祥のヒントを探ってみてはどうだろう?
はたして、この時期に、日本とトルコをつなぐような出来事があったのだろうか?
…それは、あった。
1953年頃の日本とトルコの関係とは?
1953年前後の日本は、第一次『トルコ・ブーム』と呼ばれた時代だった。代表的な事例だけでも次のようなことがある。
1951年に銀座に開業した『東京温泉』は、高級「トルコ風呂」(風俗ではない温浴施設)を擁していた。地上4階・地下1階のビルは、浴場だけでなく、食堂、バー、小劇場、サウナなどを備えた巨大施設で、はとバスのコースにも入っており、ビルの前には、木炭自動車がズラリと並んでいたという。
1952年には、東京にトルコ共和国大使館が開設。当時の報道では、両国の歴史的な友好関係(エルトゥールル号遭難事件からの絆)が改めて強調され、政治・経済関係の復旧が明るいニュースとして伝えられた。日本国内でのビザ発行や、トルコからの貿易・文化交流の受け入れ体制も再整備。
同年、柔拳家のユセフ・トルコが転身した日本プロレスの試合は、街頭テレビに人々が群がって、スターの力道山を応援していた時代。彼はトルコ人レスラーとして人気を博していた。
1953年、トルコの首都アンカラで、日本大使館が再開された。
この年、トルコは世界的な大イベント「イスタンブール建都500年祭」の中にいた。オスマン帝国が東ローマ帝国の首都を陥落させ、「アジアとヨーロッパの懸け橋」となった歴史的事件から、500年の記念すべき年だった。当時の日本の新聞(朝日新聞や毎日新聞など)や海外ニュース誌は、この「イスタンブール建都500年祭」を大々的に報じた。「東洋と西洋の十字路」「二つの大陸を繋ぐ懸け橋」というフレーズが、日本の活字メディアに躍り、当時の大衆は「トルコ=二つの大陸をまたぐ国」というイメージを刷り込まれた。
また同年は、朝鮮戦争(1950〜1953年)が終わった年でもある。トルコは国連軍に大規模な部隊トルコ旅団を派遣し、日本の新聞やニュース映画では「勇敢なるトルコ軍」として報道していた。この間、前線から引き揚げたり、休暇を取ったトルコ兵たちは、臨時の兵站基地・保養地であった「東京・銀座」にやってきていた。
1954年8月に発売された江利チエミの歌謡曲「ウスクダラ」がミリオンセラーの大ヒット。この歌はトルコ民謡に日本語歌詞をのせたもので、歌詞もトルコを題材にしている。「トルコのウスクダラという町の女はみんな利口で美人ぞろい。噂を聞いて、町中の女を恋のとりこにしてみせるとでかけた男は、逆に恋のとりこになってしまった」という内容。
銀座にはトルコ風呂、駐日トルコ大使館は再開、街頭テレビにはトルコ人レスラー、ラジオからはトルコの歌。1953年前後、日本は「トルコ」ブームにあった。
当時の日本におけるトルコのイメージは、『東京温泉』や「ウスクダラ」に代表されるように「不思議で、華やかな場所、豪華なイメージ」だった。そこには全国一斉の活字メディアによる情報の共有も背景にある。
「トルコ」という単語そのものが、豪華なイメージをもつ記号として機能していたからこそ、料理名の頭に「トルコ」とつけるだけで、異国的で豪華な響きをまとわせることができた時代だったのだろう。
「トルコライス」はなぜバラバラなのか?
トルコブームという背景を考えれば、この時代に同時多発的に各地の洋食レストランが、流行を取り入れて「トルコライス」という名前の料理を提供したとしても不思議ではない。
「トルコライス」は調理方法があるわけじゃない。「豪華」を演出するために、主役級の既存料理をワンプレートに盛り合わせるだけでいい。それが「トルコライス」だ。
とはいえ、定番とされている「ドライカレー」「ナポリタン」「トンカツ」の組み合わせについても理由づけを考えてみたい。
トルコといえば地理的・文化的にアジアとヨーロッパにまたがっている国で、両大陸の懸け橋として宣伝されていた。実際に国土の約97%はアジア側、約3%がヨーロッパ側に位置している。
『アジアと欧州の懸け橋』という当時流布していたトルコのキャッチコピーが、結果的にアジアを想起するピラフと、ヨーロッパをイメージさせるナポリタンといったように、2つの大陸の料理を並べるという発想、あるいはこじつけにつながったのではないだろうか。
トルコライスは「大人のお子様ランチ」とも言われているが、お⼦様ランチの特徴は、⼀⾔でいえば「ワンプレートに⼦供が好きそうな料理」を盛り合わせたもの。
こちらは1930年12⽉1⽇に⽇本橋にあった三越の⾷堂部主任(安藤太郎)が考案して発売した⼦供⽤定⾷が発祥だ。つまり、ワンプレートに料理を盛り合わせる発想の下地は普通にあった。
2つの大陸にルーツをもつ既存の料理を並べた豪華なワンプレート。あるいは「トルコ」からイメージされる「豪華」な盛り合わせのワンプレートでもいい。
それが各地の料理人が思いつき、新メニューとして「トルコライス」と名付けた料理となった。ブームの渦中にメディアで紹介されたなら、模倣もアレンジも簡単だ。
そう考えれば、「トルコライス」という名前の料理が、盛り合わせの中身が違うまま「同時多発的」に生まれていたことも、むしろ自然に思えてくる。長崎、大阪、東京だけではなく、同じことを考えたり、真似をした料理人は、他の土地にもいたのではないだろうか。
どうして長崎発祥説が有力なのか?
さて、残るは「なぜ、トルコライス発祥の地が長崎とされているのか」についての考察になる。
同時多発的に各地で生み出されたトルコライスという料理。それなのに長崎が発祥の地の有力候補となっているのはなぜだろうか?
その理由は、「はじまり」にあるのではなく、「生き残り」にあるのではないかと思う。
先に、長崎市で「トルコライスの日」が廃止されたという西日本新聞の記事を紹介した。では、「トルコライスの日」のはじまりは?
2010年9月16日の長崎経済新聞には、「長崎で発祥したといわれるトルコライスを広くアピールするためにトルコライスの日が定められて、長崎市内の70店舗が参加する」旨の記事が掲載されている。
その記事によれば、2010年の時点で、長崎では市内に70店舗もの店がトルコライスをメニューに載せていた。これだけの店で提供されるほど、トルコライスはローカル料理として認知され、生き残ってきたのだ。
1953年頃に起こったトルコブームは、銀座の看板にも「トルコ」という文字が躍っていた。それは時代の中で消費されていくブームだったかもしれない。
しかし、東京や大阪といった流行の移り変わりが激しい大都市では、ブームと共にメニューが消えていったのに対し、長崎という街は、長くこの料理を愛し続けてきた。
長崎には、江戸時代の鎖国期から唯一の海外窓口「出島」があった。だからこそ、和(日本)・華(中国)・蘭(オランダ・西洋)の文化を混ぜ合わせる「ちゃんぽん文化」の土壌が自然と備わっている。それは「トルコライス」の発想を受け入れ、土着化させる下地が他の地域よりも圧倒的に強かったという文化的背景でもあったのだと思う。
各地でトルコライスという料理が消えていく中で、その文化が愛され、根付いたということこそが、長崎を「トルコライス発祥の地」たらしめたのではないだろうか。
映画『山の音』の隅っこに映り込んだ小さな看板。それは、かつての日本人が抱いた『異国への憧れ』が刻まれた看板のようにもみえる。
「トルコライス」は、トルコの料理ではない。でも、ちゃんと「トルコ」に由来している。「トルコライス」は、1953年前後の時代の空気を、豪華に皿の上にまとった料理だったのだ。
これは「トルコライス」のミステリーだったバラバラのパズルのピースを、どれも否定することなく、合理的につなげてみた結果だ。うまくつなぐことができただろうか。
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最後までお読みいただきありがとうございました。