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パンデミック・ウォーズ(第6話)変異ウィルスが街を襲う!その時、駆は…

第6章 変異ウイルス


 
「駆、昨日夜更かししたみたいね。ダメよ。規則正しい生活が大事なんだから」
翌朝、僕は決まった時刻に起きられず、母さんに起こされてしまった。
「ごめんなさい」
そそくさと席に着く。
「ほら、早く食べてしまいなさい」
ラップがかけられた朝食がテーブルに置かれていた。母さんがテレビをつけると、いつものようにNHKニュースが流れてきた。
「このように観光地はにぎわっており、観光業界から歓迎の声が上がっている反面、救急医学会から、GOGOトラベルに懐疑的なコメントが発表されました」
 聖母マリア医科大学病院のICUが画面に映し出された。
「ここ聖母マリア医科大学病院では、コロナ治療の基幹病院として重症患者を受け入れてきましたが、今週に入ってICUが満床となり、他の病棟を利用するなどしてしのいできましたが、これ以上の受け入れは困難になりつつあるそうです」
 メインキャスターが医療の逼迫について述べた。
「それについて、内閣官房長官は会見で次のように述べています」
《我々内閣は、分科会会長の意見を取り入れつつ政策を打ち出しています。先日、位田会長が『最新の実効再生産数は0.9で、第3波が近づいているとはいえない』との見解を示しています。医療病床の逼迫については、医療体制のより一層の強化を図ります。GOGOトラベルはこれまでどおり続ける所存です》
何人かのリポーターが質問し、GOGOトラベルと感染拡大の関連を指摘したが、官房長官は「専門家の意見を参考にしている」として、GOGOトラベルは撤回しない構えを示した。
父さんの見解が、人々が動き回るGOGOトラベルの根拠にされているなんて!
 ドン!と机に拳を振り落とし、僕は机に突っ伏した。小指球に、じんじんとした鈍い痛みが発生する。物に八つ当たりしたのは生まれて初めてだ。寝不足のせいなのか興奮したせいなのか、こめかみが痛み、ドクドクと脈打つのを感じた。
「駆?どうしたの?」
流しで洗い物をしていた母さんが驚いて声を上げた。でも僕は怒りを抑えられない。
今の父さんは、父さんじゃない。こんなの科学者のすることじゃない!
いっそ、働く気が無くなれば、世の中のヤツらは大人しく家にいるんじゃないのか。
その時、僕の脳裏に何かがスパークした。
僕はサッと立ち上がると階段を駆け上がり、父の書斎に向かった。本棚から脳神経学の本を取り出して自分の部屋に持ち込んだ。しばらく食い入るようにむさぼり読むと、Macを立ち上げた。
ATG TCA GTA GCA AGT GGA……。
頭の中に塩基記号が次々に沸き起こる。僕はそれを、ものすごいスピードでパソコンに打ち込んだ。ふと手を止める。
スパイク部分だったよな……。
うーん。少し迷ってもう一度専門書に目を落とす。ヒトの脳内にある受容体を調べた。
どの受容体なら作用するだろうか。
僕は机に置いていたカフェラテに手を伸ばした。一口吸い上げる。途端に口腔内にブドウ糖の甘さが広がった。キリキリしていた気分が少し和らいだ。
母さんはカフェインや糖質の摂取に眉唾だが、僕はカフェオレが好きだし、母さんの目を盗んで砂糖を増量している。甘いものをすると摂取すると、血中の血糖値が上がる。血糖値が上がると、脳内でドパミンが分泌され、ストレスが緩和されたりやる気が出たりするのだ。だから快感を得るために糖質依存なんてことが起こるのかもしれないな……。
そう思った瞬間、僕の脳内シナプスに電流が走った。
そうか!ドパミンか!
カタカタカタカタ……。キーボードを弾く。
僕はコロナウイルスの3万塩基のうち、スパイクたんぱくを作る3,800塩基のうち、一部の組み合わせを変え、あっという間に変異ウイルスのゲノム設計図を書き上げた。
ウイルスの変異とは、つまり塩基配列が変わることだ。遺伝子が変わるから、ウイルスの性質も変わるのだ。RNAウイルスは1本鎖のため、2本鎖のDNAウイルスと違い、変異しやすい性質をもつ。
たとえば、第1波を引き起こした武漢型から第2波を起こしたヨーロッパ型に変異したときは、スパイク部分の塩基に変異が見つかっている。スパイクたんぱくのある部分の塩基配列、GAUが、GGUに変わっていたのだ。
ただそれだけの変化が起こっただけで、ウイルスの感染力や重症化率が変わってしまう。それが変異だ。
これはゲノム設計図の段階だが、RNAウイルスは人為的に変異させるのも、やってみれば簡単そうだと思った。どこかの国で人為的につくられたんじゃないかという怖い噂もささやかれたが、こんなに簡単に変異させられるのなら、あながち間違いでもないんじゃないかなあと思う。
フーーーーーーッ。
僕は椅子の背にもたれて息を吐いた。
一息つくと、配列を最初から最後まで一読した。いつもながら完璧な出来栄えだ。
「これならきっと、もう誰もゴチャゴチャ言わないだろうな」
 いい出力ができたときは、いつもニヤッとしてしまう。誰も見ていないんだから、ニヤニヤしたって全然かまわない。
 僕はいつものように、科学的ストレス解消した後の想像タイムを開始した。
脳内のスクリーンに、まるで映画を上映するように、このウイルスが野に放たれ、人々が感染していく様子を思い浮かべる。
 この変異ウイルスに感染すると、ドパミン受容体2型陽性中型有棘ニューロン(D2‐MSN)を介してウイルスが大脳に侵入し、意欲を起こす脳内物質「ドーパミン」が出なくなってしまう。感染した人々は、後遺症で、働く意欲がなくなり、家に引きこもってしまうんだ。
そして感染した人々が家でゴロゴロする様子を思い浮かべた。
あはは。これじゃ、みんな僕と同じ引きこもりじゃんか。
しばし想像の世界を楽しむと、ようやく興奮が収まった。脳内の電気信号が急に電源を失ったように鎮静した。
僕はもう一度カフェラテに口をつけた。
興奮が収まった後の脳にブドウ糖が行き渡るのは、なんとも言えない快感だ。僕はコーヒーの香りと甘味を心ゆくまで味わった。
 
《琉斗に見せたものがあるんだ》
翌日、僕はふと思いついて琉斗に昨日書いたゲノム設計図を送ってみた。
これまで科学的ストレス発散の内容を、誰にも教えたことはない。しかし、琉斗にちょっと見せてみたいと思った。
琉斗はたいていいつも研究室のパソコンの前にいるらしく、メールの返事は早かった。
《これは何?何のゲノム?コロナっぽいけど、スパイクの部分がちょっと違うようだな》
 琉斗の返事に、僕はしたり顔でメッセージを打った。
《これはさ、僕が考えた設計図だ。ドパミン受容体2型陽性中型有棘ニューロン(D2‐MSN)と結合するスパイクたんぱくを持つ遺伝子配列だよ。大脳基底核のドパミン受容体にウイルスが結合するためドパミン作用が阻害され、働く意欲が失われるって仕組みさ》
《なんだってこんなもの考えたんだよ》
 琉斗が問うた。
《僕、腹が立ってさ。だって、僕の父さんや三木谷教授や君たちがこんなに一生懸命ウイルスと戦っているのに、国民は何を大切にすべきか理解もできず、経済、経済ってさ。経済なんて実態のないものより、人の命が大事に決まってんじゃん。ワクチンにもぶうぶう文句言って、まともに打ちやしない。挙句の果てにはあちこち旅行し始めた。感染対策しなきゃいけない時に、こんなの狂気の沙汰だよ。それもこれも、観光業を救って経済を回すため。みんな働くのなんかやめて大人しく家にいればいいんだよ》
琉斗ならわかってくれるはずだ。
僕は指を素早く動かし、思いの丈をLINEにしたためた。
《それで、こんなヤバいもの考えたってわけか》
メールのやり取りが続く。
《あんまり腹が立ったんで、試しに考えただけだよ。ここだけの話さ》
 僕はキーボードを打った。
すぐに受診ボックスに印がつく。
《ああ、びっくりした。おどかすなよ。ウイルス感染が人間の意欲に作用するのは独創的で面白いけど、こんなことがバレたら大ごとだ。これは絶対秘密にしろよ》
《わかってるよ。だけど心配はいらないさ。コロナはP4レベルの実験室でしか扱えない。P4は日本国内には3か所しかないって知ってるだろ?もし仮に設計図が世間に漏れたところで、作製するのはまず不可能だよ》
 P4のPとは、病原性ウイルスを扱う実験室の生物学的安全性レベルのことだ。レベルが上がるほど危険なウイルスを扱う。P3以上では特別な装置で実験室を陰圧にして、ウイルスが徹底的に外に漏れ出ないようにしている。P4にもなると排気は2段階で行われ、防護服の着用が必須だ。
P4という最高レベルの実験室は、国内では、国立遺伝子感染症研究所と理科学研究所、そして九州の長崎医科大学しかない。もし仮にSNSでこの設計図をバラまいたところで、危険すぎて作製できるわけがないのだ。
《まあ、そりゃそうだけどな。しかし天才のお遊びも、度が過ぎると冗談に聞こえないからやめてくれよな》
琉斗が呆れたようなメールを送ってきた。
 
前回の診察で佐伯先生からサピオフロースを紹介されてから、早くも次の診察日がやってきた。
僕は、診察でサロンのことを聞かれるだろうと考え、前日の晩、先生の質問にどう答えようか、僕は回答をあれこれ考えていた。サロンを紹介してくれた佐伯先生には素直に感謝している。紹介してくれたお礼を言い、参加するのが楽しみだと伝えるつもりでいた。
しかし佐伯先生は、「河瀨から聞いたよ。サロン、楽しんでるみたいね。紹介してよかったわ」と言っただけで、サロンのことはあっさりと流してしまった。
僕は、「あ、はい。紹介してもらったこと、感謝してます」というのがやっとだった。
 今日の診察は何か別のことを話題にするつもりだな、と思考を巡らせた矢先、
「なんか、GOGOトラベルも始まって、いろいろ人が動き始めたわよね」
先生が独り言のように言った。
「そうですね。感染対策とGOGOトラベル。真逆のことをやってる政府には、腹が立ちますね」
僕は眉を寄せた。
「私たち医療者はGOGOトラベルには無縁だけど、これだけの人が県をまたいで移動してるから、感染が広がるんじゃないかって医者としては心配だわ。駆くんのお宅は、お父様が世の中からいろいろ言われてるでしょう?本当に大変よね」
先生が言った。
「そのことですが」
僕は語気を強めた。今の僕は、素直に父を応援する気にはなれない。
「父は政府に忖度してるんじゃないかって、僕にはそう思えてならないんです。あんなのは科学者の取るべき態度じゃありません」
「科学者の取るべき態度ではない」
佐伯先生がオウム返しをした。
「そうです。エビデンスを追究べき科学者が、政治や国民におもねってデータを変えるなんて、僕は父を許せませんね」
「データを変えるってどういうこと?」
先生が瞳に強い光を湛えて僕を見た。
「いや、なんでもないんです」
僕はハッとして前言を撤回したが、先生は見逃してくれなかった。
「忖度とか、おもねるまではあり得るかも知れないけれど、データを変えたって、お父様が?改ざんしたっていうこと?それは穏やかではないわね」
「表向きには何も問題ないですよ。ニュースで報道されている通りです。何ていうか、僕の正義の問題です」
「うーん。正義ね」
先生が椅子にもたれかかって腕を組んだ。ほんのわずかに先生と僕の距離が開いた。
僕は言葉を続けた。
「感染状況からすれば、もう第3波が近づいているんです。分科会の発表では実効再生産数0.9だけど、先生の言う通り、こんなに人が旅行してますからね。素人だってそう思うでしょ。こんな感染を抑えなきゃいけない時に旅行しまくるなんて、まともな人間のすることじゃないですよ。政府も政府だ。GOGOトラベルなんて正気の沙汰じゃない。何が経済だ。人命あっての経済でしょう?」
「一医者としては、そうね、もちろん国民のみなさんには旅行なんてしないで家で自粛して欲しいと思うわ。GOGOトラベルについては私には何とも言えないわ。言う立場にもないし」
「ドクターたちももっと声を上げるべきだ。経済より人命が大事だって」
「それは学会が声明を出したわ」
僕は口をつぐんだ。なんで先生は僕の意見に手放しで賛成しないんだ。先生まで白黒付けずに問題を濁そうってわけ?
怒りがふつふつと湧いてくる。
「そういえば、ツイッターのパトロールはどう?」
ふいに先生が話題を変えた。
僕の目が座ってきたからだろうか。自分でも脈拍が速くなっているのを感じていた。確かにこの辺りで話題を変えて落ち着いた方がよさそうだ。
「相変わらずです。それこそみんな、GOGOトラベルに行きまくって、あっちこっちで写メ撮ってSNSにアップしてますよね。何考えてるんだって思いますよ。僕はそういう投稿を見かけたら、家で自粛するよう忠告のコメントをしています」
「駆くんのコメントへの反応はどんな感じなの?」
「時には世界の患者数の推移データやアメリカの保健局の声明まで引用して忠告してるんですけね、いわゆる理解力がないんでしょうね、全く意に介してくれませんよ。反論するくらいならまだしも、単なるストレスのはけ口にしていたり、脅しや嫌がらせのような返信が来ます。恐ろしいですよ、まったく」
僕は返信の数々を思い浮かべ、ため息をついた。
「でも、ノブリス・オブリ―ジュだからやってる、でしょう?」
「そうです。でも、もう今じゃ政府まで感染を広めるような所業に出て、もうノブリス・オブリージュなんて意味ないかなと思いますよ」
政府は最近、さらに『旅行で感染が広がるというエビデンスはないため、GOGOトラベルは年末まで継続する』とまで言い出した。それも、父さんたち分科会が出した見解を踏まえた判断だという。
それどころか、政府はGOGOトラベルで旅行業や観光業などが活性化し、地域経済がうるおっていると胸を張っている。日本経済を立て直すためにも、このような経済対策が必要だと強調しているのだ。
去年、現政権は、東京オリンピックを控える中、高い支持率を得て誕生したが、コロナ禍に見舞われて以降、支持率が急落し、そのまま低迷していた。もしかすると支持率回復のため、GOGOトラベルによる経済効果を政権の成果にするのかも知れなかった。
「その政策に父が関与してると思うと、やるせないです」
今度は佐伯先生が、ため息ともつかぬ息を吐き出した。
「ねえ、駆くん」
先生が呼びかけた。
「駆くんがツイッターでアンチを叩いてるときって、どんな気持ち?」
「そりゃあもう、腹わたが煮えくり返る思いです」
「その時の感情って、本当は誰に向けたものだと思う?」
 先生が何を言ったのか、一瞬、僕は理解できなかった。
「ネットで誰かを叩いてるときって、たとえばさ、ツイッターに何か書き込んでいる時って、誰かのことが心に思い浮かんでたりしないかな?」
何だそれ。
僕はカッとなった。
僕は発達に偏りがあるだけだ。精神に異常をきたしているとでもいうのか。
「精神分析のつもりですか?僕はユングもフロイトも読みました。先生は僕が、ツイッターに無知を書き込んでいる連中に誰かを投影してるとでもいいたいんですか?あんな古典的な精神分析で何かが良くなるなんて、僕には思えない」
僕は言葉を吐き捨てた。
「この世で正義を全うするってことは、科学的エビデンスに基づいて合理的な判断をする、決断する、実行する。その繰り返しですよ。今の時代は、あんな精神分析が流行っていた、のんびりした大昔とは違うんだ。フロイトなんてこの21世紀じゃただのお伽話だ」
 駆くん、と先生が言おうとしたのを遮る。
 精神科医として平静を装おうとしているが、先生は明らかに動揺していた。
「それに、自分のことは自分がよくわかってる。精神分析なんて必要ない」
 僕は椅子から立ち上がって言い放った。
「今日はもう帰っていいですか?」
佐伯先生は一瞬戸惑った表情になったが、すぐに頷いた。
「いいわ。今日の診察はここまでにしましょう。じゃあ、駆くん、またね」
僕は「失礼します」とも言わず、黙って診察室を後にした。
 
 診察をほとんど中座する形で帰宅したその日、感染者数は前の週の2倍以上を記録した。翌日も感染者数は増加の一途をたどり、ついに政府は第3波に入ったと発表した。
 ほら見たことか。
 僕は政府にも国民にもゲンナリだった。
 
次の日だった。
僕はその日のニュースを、一生忘れないと思う。
いつものようにリビングでNHFを聞き流しながらNatureを読み、夕飯ができるのを待っていたら、こんな言葉が耳に飛び込んできたのだ。
「今週に入り、コロナ後遺症と思われる新たな症状が全国から多数報告されています。コロナに感染した人たちが、次々に出勤を拒否しているというのです」
僕は驚いて顔を上げ、テレビ画面を凝視した。
「丸の内にあるA社の人事担当者に聞きます。田中さん」
キャスターが呼びかけた。
オンラインでつながった画面に、田中と呼ばれた人事担当者が映った。キャスターが田中氏に質問する。
「A社では、コロナに感染した後の社員の全員が、隔離期間を過ぎても出勤を拒否しているということですが、お話しをお聞かせいただけますでしょうか」
「はい。弊社は丸の内本社の他、全国に6つの支社と、国内に28の関連会社、工場を有し、グループ全体で8,000人を越える社員を抱えておりますが、今月に入ってコロナに感染した120人あまりの社員全員が、隔離期間を過ぎても出社していません。みな、体調不良を訴えてはおらず、ただ会社に行きたくないと話しています。中には連絡もつかない社員もいます。ただでさえコロナで人員が不足しているのに、現場は混乱しています」
「数人程度なら精神的なストレスによるものと考えられますが、120人全員とは、偶然とは思えませんよね」
「はい、弊社としても、産業医と連携して出社拒否の社員と連絡を取り、オンラインで面談しようと試みておりますが、面談できた社員からは『もう何もしたくない。仕事なんて嫌だ』とみな一様に回答しています。どうやら隔離後も家に引きこもり、外出すらしていないようなんです」
画面がスタジオに切り替わる。キャスターが次の出演者に話をつないだ。
「総合医療東京病院精神科診療部長、斎田正志先生に話を伺います。斎田先生」
白衣姿の斎田医師が画面に映る。白っぽく無機質な部屋は、医局からだろうか。
「斎田先生。今週に入り、A社以外にも、コロナ後の職員が出社しないと全国の企業や学校から続々と報告されています。全員がコロナ感染後ということで、コロナの後遺症であるということは間違いないと、先ほど厚労省も見解を発表しましたが、これはコロナ後遺症による鬱状態なのでしょうか?」
「そうですね、しかし、実は私もいろいろ調べてみたんですが、コロナ感染後に自宅に引きこもっている人々の中にはSNSに近況をアップしている人もいるんです。投稿内容によりますと、彼らは普段通り日常生活は送っているようなんですね。もしコロナ感染や隔離生活が引き金となって鬱病を発症しているとするなら、今は急性期ということになりますが、彼らの様子からすると急性期の症状には該当しないんですよね」
「これが、斎田医師もご覧になったというツイッターの投稿です」
ツイッターの画面が映し出された。
 
《仕事なんてバカバカしくて
やってらんないわ。
このまま家で楽に過ごそう》
 
男の人がスエット姿でスマホゲームをしている写真とともに、この文章が投稿されていた。
キャスターが手前のモニターからカメラに視線を移した。
「となりますと、鬱ではないとおっしゃるのでしょうか」
「はい。私の見たところによりますと、彼らは、出社するような意欲は低下しているものの、ADLや食欲の低下は見られないようです。会社に出社しないなどの行動を見ると何らかの精神疾患を発症しているようにも見えますが、私は、鬱病とは言い難いのではないかと思いますね」
斎田医師が述べ、キャスターが質問した。
「先生、これは新たな後遺症が出現したと考えてよいのでしょうか?」
「そうですね、その可能性が高いのかも知れません。これまでにブレインフォグや認知機能の低下など、コロナ感染後に脳の後遺症が認められていますから、それとの関連があるのかも知れませんね」
「現在、厚労省と分科会が症例を集めて調査に当たっていますが、一刻も早い原因究明が待たれます」
キャスターが締めくくった。
 
「駆ー、ご飯よ」
背後から母さんの声がした。
自分が「うん」と発音できたのかどうかもわからなかったが、僕はふらふらと立ち上がり、テーブルについた。
僕は何かを箸でつまみ、口に入れ、咀嚼し、嚥下した。また箸でつまみ上げ、口に入れて咀嚼し、嚥下した。もはや何を食べたのかもわからない。
「駆、どうしたの?具合でも悪いの?」
ハッと目を上げると、母さんが心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。
「なんでもないよ。大丈夫」
「そう?何か顔色悪いわよ。もし具合が悪いなら、熱を測っておくのよ」
「わかった」
母さんはすでに自分の食器を流しに片づけていた。僕も席を立ち、食器を運んだ。
僕は風呂に入り、自分の部屋に引き上げた。夕方見たNHFニュースが頭から離れない。iphoneを取り、ツイッターを開いた。
 
♯コロナ後遺症
 
ハッシュタグで検索すると、コロナ患者やその家族の投稿が多数アップされていた。
 
《親父がコロナにかかった後、仕事辞めて家に
引きこもってるんだけど。親父まさかこのまま
無職になんの?いったい何の冗談?マジ信じらん
ないんだけど》
《コロナ治って隔離終わった!なんか急に仕事行くの
バカらしくなった。あんな職場、二度と行くもんか。
俺をこき使った会社め、ざまあみろー》
《コロナきつかった~!明日で隔離終わり。でももう
会社には出勤しないつもり。これからは
のんびり暮らすぞ》
 
僕は夢中でスクロールし、次々にツイートを読んだ。みんなコロナに感染した後に働く意欲をなくして出勤を拒否している。
まさか……。
首筋がヒヤリとする。
 僕が考えた設計図のウイルスで、空想した通りの症状だ……。
いや、そんなことがあるはずがない。
僕はぶんぶん首を振り、自分の考えを打ち消した。設計図を書くのは簡単でも、ウイルスの作製はそうそう簡単にできることではない。
でも、もしこの設計図を基に作製された変異株だとしたら……?
琉斗の顔が脳裏に浮かぶ。
ありえない!!
僕はちらりとでも琉斗を疑ったことを恥じた。琉斗は親友じゃないか。僕は邪推を振り払うため、意識を無理やりツイッターに集中させた。
 
♯コロナ後遺症のツイートはどんどん増えていく。スクロールしていくと、「位田分科会長」という言葉を見つけてハッとした。
 
《第3波が起こったのは位田のせいだ》
 
《こんなヤバい変異が起こるのを予測できず、
 旅行しても感染は拡大しないとか大嘘ついて、
結果第3波になった。どう責任取るんだ》
 
《俺、旅行から帰ってきたら熱出してコロナにかかったぞ。
位田のせいだ。休んだ分の給料補填しろ》
 
《分科会長の位田は企業から金をもらって経済活動が
できるようにしたんじゃないのか。あいつは科学者
なんかじゃない。科学者なら第3波が予測できたはずだ。
それができなかったんなら責任取ってさっさとやめろ》
 
《きっと位田は経済界や製薬会社から金をもらってるんだ。
ヤツは金の亡者か政府の手先だ》
 
《位田は科学者じゃない。嘘っぱちの八方美人》
 
なんだよ、これ。
頭の中がぐわんぐわんと鳴る。
父さんが発表した偽の実効再生産数のことも、GOGOトラベルで国民があちこち動き回っていることも、第3波が起こったことも、そして奇妙な後遺症が発生したことも、短期間であまりにも多くの出来事が起こり、僕は混乱していた。
僕は科学者としての父さんを見損なったのか、それとも父親として擁護したいのか、それすらもわからず、ただただ混乱していた。

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