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誰かの正解より、自分の実感で生きていく

「ちょっと最近疲れちゃって…。行けるかわからないけど、kahoさんおすすめの旅先はどこですか?」

 先日、姿勢・分析レッスンで毎月担当している、30代の女性から、ふと、こんな質問があった。

彼女はバリバリのキャリアウーマンである。しかし、ここのところ度重なるトラブルと理不尽な会社側の要求で疲れ切ってしまっていた。

このように、肉体的にも、メンタル的にも疲労困憊でいらっしゃる方が増えている。
そして、それが時々自分自身になることも、もちろんある。

働き盛りは、色々ある。頑張っている人ほど、さらに色々降りかかるのである。

と、思っている

そんな自分自身のことも振り返りつつ、今後のキャリアを考える上で、早めに気づいてよかったことがある。


私は、ここにいれないかもしれない

私はこんな感じでは頑張れないかもしれない。

そう思ったのは、病院時代にバリバリ働いていた先輩が、育休から戻ってきたときだった。

 100人近くいたリハスタッフやドクターからも信頼されて、リーダーとして引っ張っていた大先輩である。(個人的にもリスペクトしていた、大好きな方だ)

職場に戻ると、急に「戦力外」みたいな空気になっていた。

担当患者も少なくなり(そもそも午後の新規の患者は担当できない)、時間の融通が効かない外来の担当も外され、カンファレンスへの参加も減って、なんとなく居場所がない、そんな感じだった

仕方がない、のは最もなのだが

 保育園からの呼び出しで、早退するのも日常茶飯事となり、感染症が流行る時期は出勤できない日が多くなった。

それでも、その前の彼女の働き方や生き方を見てきた後輩である私と同期たちは、なんとか彼女をサポートしようと全力でカバーしていた。

子供を守れる母親は彼女しかいない。そういうタイミングがあってもいいではないか。

しかし、彼女の産休後に入ってきた新人さんたちは、もちろん彼女のことを知らない。だんだん、心なしか、彼女への風当たりが強くなってきた。

担当患者のリハができず、毎日周りに頭を下げ、申し送りをしている姿を見ながら、なんだか、切なくなってしまった。

そして、

自分もこのままキャリアを積んでいったら、いずれこうなるのか?

と、ふと立ち止まってしまった。

 それから数年たって、わたしはフリーで働くようになったけれど、今度はある取引先にべったり依存している人をよく見るようになった。
それはそれで、また違う種類のしんどさを感じた。

余計なお世話であるし、個人の主観でしかないのだけれど

わかる、わかるんだけど——でも、その人はどこかいつも不安そうで、なんだか苦しそうだった。

それを見て、時々自分を見つめ直すようになった。

「そもそも、私は、なんのために理学療法士になったんだっけ?」


評価のない場所で、やっと自分に戻れた

独立して少し経ったころ、ふと、気持ちが疲れてしまった頃のこと。

仕事は順調に見えていたけれど、どこか気が張っていたし、何をしていても、何かを“証明”しようとしている自分がいた。

いわゆる、一人ブラック企業な状態

これはちょっと、立ち止まったほうがいいな。
そう思って、旅に出た。行き先はスペインとフランス。いつかは、訪れたいと夢見ていた場所である。

その間、なんとなくSNSは、見なかった。
というより、スマホを開いてしまう自分がいるのがわかっていたから、最初からアナログのメモ帳を持っていくことにしていた。

驚くべき薄さ・軽さと表紙の硬さの描きやすさ

(コクヨのこのnoteシリーズが大好き。)

海外に行くときは、だいたいいつもそう。スマホの地図やカメラよりも、紙とペン。
そのとき感じたことを、カフェでぼーっとしながら書き留めるだけで、なんだかほっとする。

地図はホテルでもらった観光案内の紙を広げて、「このへん、行ってみようかな」と赤ペンで丸をつける。

レストランも、歩きながら目についたところにふらっと入る。
スマホで“評価”されている店じゃなくて、「なんとなく良さそう」で決めるのが心地いい。

バスクでのバル巡り
本場のバスクチーズケーキを食べたかった

ふらふら歩いて見つけた、素敵な景色や現地の人との出会い。

その瞬間を、スマホで撮って誰かに見せたくなる気持ちもあるけれど、
メモ帳だけ持ち歩き、メモし続けた。
(人から聞いたおすすめ情報や覚えたい言葉やあれこれ…)

食べ物の言葉の多さたるや。笑

そんなことをしていると、

「誰にも見せない“いい日”があること」そしてそれが、自分を一番満たしてくれること

そんなシンプルだけれども忘れてしまってた感覚に、再度気づくことができた。

旅の間中、評価されることなんて、ひとつもなかった。誰に認められるわけでも、すごいねと言われるわけでもない。
でも、自分が「いいな」と思えることに囲まれていた。

病院時代でも、フリーになってからも、わたしはいつの間にか
“評価されること”を生きる指標にしていたのかもしれない。

旅は、そんな自分に気づかせてくれたのである。


ワクワクは、誰かに見せるためのものじゃない

誰かの正解を追いかけていたとき、「それっぽく」見える働き方はできていたのかもしれない。

がんばっている自分、信頼されている自分、求められている自分。
だけど、その全部にちょっとずつ無理があった。
どこかで、

「このまま進んだ先に、本当にワクワクはあるんだろうか」

と思うようになっていった。

旅に出て、SNSから離れて、自分の“感覚”にまかせて動いてみたとき、
やっと思い出せたのだ。
ワクワクすることは、誰かに見せるためのものじゃない。ただ、自分が感じられたら、それでいいものだった。

思えば、理学療法士として働きはじめたころのわたしは、もっとシンプルだった気がする。
目の前の患者さんの、ほんの少しの変化が嬉しかった。「ありがとう。」と笑ってくれる顔を見て、「ああ、これが仕事なんだな」と思えた。

あの頃の“実感”に、もう一度戻ってこれた気がする。
もちろん、今の自分にはあのときとは違う視点や経験がある。だけど、何を大切にして働くかは、自分で選ぶべきなのである。

評価されることが目的ではなく、自分の本当の感覚にちゃんと戻る居場所をつくってあげることが、わたしにとっての働き方であり生き方なのだと思う。

そんなことを思ったのでした。

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長島佳歩|理学療法士 最後まで読んでくださりありがとうございます^^! チップはいりませんので、良いと思った記事は、ぜひシェアしていただけると大変喜びます笑 理学療法士として、体のこと、心のこと、高齢者介護のこと、はたまた趣味の海外のくらしのことなど、体験からの学びをシェアしていきますね^^

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