"コート上の王様"に支配されていたキャプテン──あの3年間を振り返る
※本作は私の実体験に基づくエッセイです。
表現上の比喩としてアニメ『ハイキュー!!』に着想を得ています。
原作の画像・台詞等の転載は行っていません。
時は遡り、中学校時代になる。
入学と同時に私はバレー部に入部した。
入部のきっかけは、ある1人の先輩の影響がある。
その先輩を"大地さん"と呼ぶことにしよう。
大地さんは、小学校時代の野球部の1つ上の先輩だ。
野球が上手い、ムードメーカー、勉強もできる。三拍子揃っており、憧れの的だった。
休日も一緒に遊んだりとプライベートでもお世話になっていた。
尊敬する大地さんを追いかけ、バレー部の門を叩いた。
入部してからはパスの基礎練習から始まった。
休日にはサーブの練習があった。
同期が苦戦している中、私は簡単にサーブを入れられた。
野球の投げる動作と似ているからコツを掴んだかもしれない。
ある日パスの練習をしていたところ、先輩から呼ばれた。
「スパイクの打ち方を教えるからやってみて」とのことだった。
その場に立ってボールを打つことならできたが、助走→ジャンプ→スパイクと連続した動きとなると難しかった。
だが開始から20分後、人生で初めてのスパイクを打てた。しかも強打で。
周りが少しざわついた。
あれ、もしかして俺ってセンスある?
自信が持てた。
同期よりもバレーが上手いと優越感に浸っていた。
毎日の部活の練習がとにかく楽しみでしょうがなかった。
3年生が引退した。
これから新体制になるにあたり、今後の話し合いをすることになった。
新キャプテンは大地さんに決まった。
大地さんは3年生の引退前もスタメンとして試合に出ていた。
プレイも一番上手いし、信頼も厚いので当然だった。
それから1年生の中でもキャプテンを決めることになった。
私を含め、1年生の中で適任者は思いつかなかった。躊躇していたその時だった。
「かいづかでいいんじゃね?」
同期の1人が発言した。
え?俺?俺なの?
他の同期も賛同の意見を言い始めた。
別に私はキャプテンという柄ではない。
自分から引き受けたい意思はなかった。
でもここで断る理由も見つからなかった。
迷った挙句、同期の支持に背中を押され、
「自分キャプテンやります。みんなが良ければ。」
私は1年生のキャプテンになった。
この選択が運命の分かれ道になることを当時は知る由もなかった。
新体制でチームがスタートした。
練習の強度が上がり、監督の指導も厳しくなった。弱音を吐く同期も見え出した。
そんな中、私は練習もトレーニングも嫌な顔せずに取り組んだ。努力を惜しまなかった。
ついにBチームとしてチーム練習に参加することになった。
1年生でBチームに選ばれたのは、私ともう1人の2人だけ。嬉しかった。
緊張と期待を胸に初のチーム練習に臨んだ。
だが実際はズタボロだった。
バレーというスポーツはラリー中に連携プレイが繰り返され、かつ試合展開の切替が素早く行われる。
野球も同じで連携は大事だが、個人競技としての側面もある。
野球経験者の私からすると、バレーの連続性やスピーディーさについていけなかった。
プレイ単体はある程度できるが、チーム練習になると話は違った。
ラリー中にミスをすると、監督やBチームの先輩に怒られてしょんぼりしていた。
ある日のチーム練習で、私がボールを拾い損ねた時だった。
???
「なんでそのボール拾えないんだよ?」
声の主は監督でもBチームの先輩でもなかった。
私と同じ1年生でBチームに選ばれたもう一人の同期だった。
以降は"影山"と呼ぶことにする。
ちなみにポジションはセッターだ。
は??????
私は衝撃を受けた。
というのも誰かを怒ることは、目上の人が行うものだと思っていた。
監督とかBチームの先輩、親、教師など。
これまで同い年から怒られたことは一度もなかった。
小学校の野球部時代、監督から怒られたことはあったが、チームメイト同士で怒ることはなかった。
別に仲良しこよしで野球をやっていたわけではなく、真剣だった。
話を戻すが、同期の影山から怒られたのがショックで仕方がなかった。
何で同期にそういうことが言えるの?という疑問。
怒られたことで心が傷つけられた感覚。
監督や先輩から怒られるのは受け入れるが、
影山から怒られるのだけは受け入れられなかった。
それから部活中に影山に怒られることは続いた。
私はバレーが嫌いになり、毎日放課後の部活が楽しみでワクワクする感情は消え去っていた。
部活の時間以外の影山は、いたって普通だった。
怒ったときの冷たい表情は1mmも感じられない。
あれだけひどいことを言っておきながら、なんでそんなケロッとした表情なんだ?言われた側の気持ちを分かってるのか?
影山の考えていることが分からない。理解に及ばなかった。
それから影山とは自然と距離を置き始めた。
当初は怒るのをやめてほしいと言おうとしたが、次第にその気持ちは薄れて諦めてしまった。
この苦しい感情と向き合うの辞め、勉強や部活以外の友達、娯楽へと気持ちを分散させていった。
ある日、Aチームの先輩2人が部活を辞めた。
監督と合わないのが原因だった。
気合とか根性といった昭和気質のせいだろう。
抜けた穴を埋めるため、なんと影山と私がAチームに昇格した。
憧れの大地さんと同じコートに立てることを嬉しく思う反面、自分が抜けた戦力を補える自信がなかった。
影山と同じチームでプレイするのも嫌だった。
それからAチームとして大会や遠征に参加することになった。
だが自分の力を発揮できず、思うようなプレイができなかった。
要所でのミスが目立ち、チームに迷惑をかけてばかりだった。
本当に自分が試合に出ていいのか?
他のメンバーに変えたほうがいいのでは?
何で自分がAチームにいるんだろう。
前向きになれなかった。
部活を辞めたいという気持ちは不思議となかった。
バレーを辞める=自分のアイデンティティも消える
と感じていたのだろうか。
自分で自分を追い詰め、監督や影山に怒られ、
私の精神はすり減っていった。
私は2年生になった。
新学期とともに、バレー部の監督が変わった。
前監督は嫌いだったので清々した。
新しい監督は、若くてスタイリッシュな印象だった。
論理的な指導で、練習の指示も実践を意識した意図が汲み取れた。
前監督に比べて新監督とは相性が良かった。
怒られないことで精神的負担が減るのが何より大きかった。
次第にプレイに冷静さや集中力が出始め、自分が本来持っていた感覚も取り戻しつつあった。
まだ未熟だがAチームの環境に慣れ、ミスをしても喰らいつきチームに貢献しようと前向きに捉えることができた。
徐々に自分のコンディションも上向きになっていった。
ちなみに影山だが、ミスをしても怒る場面をあまり見かけなくなった。
理由は分からなかったが、怒られないのに越したことなかった。
そして大地さんの代の引退試合を迎えた。
県大会の3位決定戦で敗れ、東北大会行きのチケットを逃した。
フルセットまで持ち込む激闘の末、敗北した。
試合が終わっても先輩たちは悔いのない凛々しい表情をしていた。
私は会場のギャラリーに戻るや否や泣き崩れた。
先輩の足を引っ張って申し訳なかった。
もっと同じコートに立って長くプレイしたかった。
あの場面でミスをしなければ、自分がもっと上手ければ、もっと努力していたら勝てた。
部活あるあるの1つだが、
「試合に負けたらそれは最上級生の責任」
と言われるが、そんなことはなかった。
先輩のプレーを誰よりも一番近くで見ている私からすれば、先輩方は100%以上の力を発揮していた。
もちろん相手チームの実力が勝っていたこともあるが、後輩の私が劣っていたことが勝敗の原因の1つとしてある。
後悔、不甲斐なさ、申し訳なさ、無力さ、謝罪、寂しさ。
様々な感情があふれ出し、涙が止まらなかった。
すると大地さんが駆け付け、
「次はかいづかたちが頑張れよ。」
そう言って肩を叩いて慰めてくれた。
私の口から出たのは、
「大地さん、すいませんでした。」
謝罪の言葉だった。
今思えば本当に失礼な発言だった。
私の力不足で最後の試合に負けたと思い、申し訳なさ故に言ってしまった。
本当に悔しくて泣きたかったのは大地さんに違いない。
自分の感情を優先してしまっていた。
「今までありがとうございました。お世話になりました。」
お礼の言葉を伝えるべきだった。それ以外にない。
大地さんは私が泣き止むまでそばにいてくれた。
その後、部活は1週間ほどの休み期間に入った。
先輩たちの引退により、心に穴が空いた状態が続いていた。
久しぶりの休みで部活以外の友達と遊んだりと満喫したが、心は少し休まらなかった。
部活が再開し、私をチームキャプテンとする新体制が始まった。
大地さんの引退試合で感じた悔しさや自分の力のなさを胸に刻み、練習に励んだ。
しかしその気持ちとは裏腹に、パフォーマンスが伴っていなかった。
トレーニングや基礎練習では問題ないが、チーム練習を中心とする実践形式でプレーが揮わなかった。
特にスパイクの不調が著しかった。
・助走に入る際に感じるぎこちなさ
・ボールを上手く叩けず、強打できない
あれ?
何かがおかしい。
なんで?
先輩と一緒にプレーしていた時には感じていなかった。
想像と現実の体の動きが異なる感覚だった。
きっと休み明けでブランクがあったから調子が悪いのだろう。
いずれ調子が戻ると思い、そのまま練習に取り組み続けた。
だが、1か月経っても調子が戻ることはなかった。
新チームとして初の公式戦が迫っていた。
依然として私の不調は続いていた。
不安やストレスを抱えながらの練習だった。
自分のプレーに対して首をかしげる毎日だった。
なんで前みたいなプレーができない?
別にケガもしていないし、体調も悪くない
なんで?
チームのことより自分のプレイしか考えられなかった。
大会までに調子を戻してくれと願うも、それは叶わなかった。
初の公式戦は、同じ地区のライバル校相手にストレート負け。
先輩が引退したあの日、絶対に強くなろうと涙を流したのはいったい何だったのだろうか。
とにかく情けなかった。
キャプテンとして苦いスタートを切ることになった。
それからというものの、プレイの調子が戻ることはなかった。
練習中にミスをすると、また影山が怒り出した。
まさに"コート上の王様"だった。
全体挨拶や練習指示、大会での審判とのやり取りなど、キャプテンのルーティン的な作業はできていた。
大地さんを一番近くで見ていたから勝手に身についていた。
だが試合中は影山がコート上を指揮というより支配していた。
ある日の練習試合のことだった。
私がスパイクを決めきれずにいると、
「何で点決めてくれないんだよ!それでもキャプテンかよ?」
影山から怒声を浴びせられた。
レシーブミスをすると、ついにはコートの端にいるよう指示された。
泣く泣く受け入れるしかなかった。
だって影山の言っていることは正しい。
下手で足を引っ張っている私が悪で、上手い影山が正義だ。
言い返せる余地などなかった。
ミスをする→影山に怒られる→委縮して思考とプレイが鈍る→またミスをする
この負のループから抜け出せなかった。
それから公式戦でも実力を発揮できず、連敗続きだった。
部活の時間が来なければいいのに。
学校で帰りのホームルームが終わるたびに思っていた。
バレーを始めた頃の純粋無垢な気持ちは消え去っていた。
部活を辞めたい。
そんなことできるわけなかった。
キャプテンという立場がそうさせてくれなかった。
チームメイト、監督、クラスの同級生、担任の先生、親。
私をバレー部のキャプテンと認知している周りの目の影響もあった。
奴隷のように鎖に繋がれてどこにも逃げられなかった。
逃げ出したい自分を隠すように、キャプテンという仮面を被って演じるしかなかった。
辛さのあまり、私は仮病で練習試合を休んだ。
部活に行きたくないくらい精神が疲弊しているのだから、今思えばもはや仮病ではなかった。
親に頼んで監督に休む連絡をしてもらった。
1日中部屋に引きこもった。
後日チームメイトから聞いた話によると、練習試合は勝ち越したそうだ。
俺がいなくても勝てるんだな。
俺がチームにいる意味はないんだな。
私が不在でも勝ち越したという事実が胸を刺した。
もちろん練習試合で勝てるならそれに越したことはない。負けることを願う人などいないだろう。
だが負けてくれたほうが私にとって都合がよかった。
キャプテンを演じ続け、気が付けば3年生になっていた。
チーム状況は変わらずだった。
毎日死んだ目で電車通勤するサラリーマンかの如く、私はキャプテンという仕事業務を日々こなすだけの存在だった。
実質、チームのキャプテンは影山だった。
そこにプライドも何もなかった。
上手い影山が言っていることが正しい。
下手な私が悪い。
当たり前だ。
引退まで2ヶ月を切り、練習試合の日だった。
いっそのこと怪我でもして、試合に出れないようにしてくれねーかな。
そう思えてしまうくらい私は疲れ切っていた。
練習試合中、私がブロックした際に相手スパイカーが突っ込んできた。
相手の足を踏む形となり、私は足首を捻った。
足首は徐々に熱を帯び、腫れ上がってきた。
母親に迎えに来てもらい、近くの整形外科で診てもらった。
レントゲンを撮り、捻挫と診断された。
あろうことか、本当に怪我をしたのだ。
まさかやましい妄想が現実に起こるとは思っていなかった。
担当医に引退試合まで復帰できるか聞いた。
「ちゃんとケアすれば大丈夫です。間に合いますよ。」
正直な話、間に合ってほしくない自分がいた。
怪我が治らずそのまま引退したかった。
バレーの神様は私に味方してくれなかった。
ここまで頑張って耐えてきたのに。
最後くらい楽な思いさせろよ。
数日安静にした後、部活に復帰した。
万全の状態での復帰ではなかった。
キャプテンだから。
引退試合が近いから。
復帰なんてしたくないけど、しなくてはならない理由があった。
練習前にテーピングで足首を固め、練習終わりにアイシングをする繰り返しの日々。
どうしてわざわざ痛みに耐えてまで頑張らないといけないのか?
ここまで頑張る意味ってあるのか?
なんて誰に言えるわけもない。
またキャプテンを演じ続けた。
とうとう最後の大会を迎えた。
負ければ引退だ。
1回戦は順当に勝った。
続く2回戦の相手は、県ベスト4クラスの相手だ。
過去に対戦経験はあり、うちと相性がいいのか勝率は五分だった。
負けてさっさと引退したい。
これまでそう願い続けてきたはずが、不思議と今日は思わなかった。
言葉では言い表せない、胸がざわつく感覚だった。
試合開始のホイッスルが鳴った。
いつものごとくミスをすると影山に怒られた。
引退間際くらいはやめてほしかったが、諦めていた。
1セット目は相手に取られ、引退までのカウントダウンが進んだ。
続く2セット目はお互いに競り合う展開となった。
20点台に差し掛かる終盤の時だった。
私の目から涙がこぼれ始めた。
あれ?
なんで泣いてるんだ?
試合後ではない。試合中にだ。
「まだ試合終わってないって!」
見かけた影山が言い放った。
私も泣いている理由が知りたかった。
ラリー中に私が得点を決めても喜ぶ余裕すらなかった。
接戦の末、敗北した。
試合終了のホイッスルが鳴った。
整列後、相手チームと握手を交わし、応援席へ挨拶を済ませた。
その後、まるでせき止められていたダムが決壊したかのように大粒の涙を流した。
人目も気にせず、むせび泣いた。
キャプテンという仮面を脱ぎ捨て、本当の私が露わになった。
影山からもう怒られずに済む。
引退が決まってもうバレーをしなくていい。
今までチームに迷惑をかけてばかりで申し訳なかった。
キャプテンという大役を担い責任を負わなくてもいい。
もっと練習して上手くなってチームを引っ張る存在でありたかった。
解放感、自責、懺悔、後悔、未練。
様々な感情が一気に押し寄せ、息ができなかった。
チームで記念写真を撮った際、私だけが涙で目が腫らし、顔を赤くしていた。
写真は今でも実家の小部屋に立てかけられている。
帰省してたまに見かけるたび、まるで昨日の出来事のように鮮明に思い出す。
あとがき
以上、中学時代の部活の体験記である。
ここからは、当時を振り返ってみて得た気づきや考察パートになる。
1.私を苦しめていた本当の原因とは?
振り返りも兼ねて筆を走らせていたところ、ある仮説が思い浮かんだ。
「私はイップスに陥っていたのではないか」
という説だ。
イップス:主にスポーツ選手が突然、熟練していた動作ができなくなる症状を指す。ゴルフのパッティングや野球の投球・送球でよく見られ、心理的プレッシャーや脳の神経変化が原因とされる。
スポーツ経験がある方はきっと耳にしたことがあるはずだ。
大地さんが引退した後、私は思うようなプレーができず引退まで苦しめられた。
イップスを引き起こした原因として、以下3つが挙げられる。
①先輩の引退に伴いチームの中心選手がいなくなったことによる環境の変化
→お手本となる人がいなくなり、自身の成長も鈍化した?
②キャプテンという責任を負う立場によるプレッシャー
→先々代は全国大会出場経験あり、先代は県ベスト4という好成績も相まっていた。
③【ミスをする→影山に怒られる→体や精神が緊張する→またミスにつながる】という負のループ
これまでは自分のプレイだけに集中するだけで問題なかった。
だがキャプテンになり環境が変化し、その結果イップスを発症したと考えられる。
ちなみに私のバレー人生を振り返って、中学のキャプテン時代ほど思うようなプレーができなかったことはない。
イップスに陥っていたかもしれないという仮説に個人的には納得がいく。
2.なぜ引退まで部活を続けることができたのか?
当時の私は部活を辞めたかった。
キャプテンという立場上辞めるという選択肢を取れなかった。
ここでは視点を変えてなぜ部活を続けられたのか考察していく。
理由は2つある。
①生活習慣が整えられていたから。
当時の私は、主に家庭環境や習慣によって生活習慣が崩れにくい状態にあった。
ざっくりだが、以下のとおりである。
【食事】
・毎日3食ご飯を食べていた
・家にお菓子やジュースのストックがほぼなく、暴飲暴食の習慣がなかった
【運動】
・ほぼ毎日運動していた(部活、体育の授業)
・気を紛らわすために夜中にランニングをしていた
【睡眠】
・家族が早寝早起きだった
・部活のストレスでよく"寝逃げ"していた(やや睡眠過剰状態だった)
【その他】
・スマホを持っていたが、実家にWi-Fiがなく通信制限がかかるため、SNSや動画を見る習慣がなかった
②部活は生活の一部に過ぎず、他の活動にエネルギーを分散できたから。
当時、部活は生活の中心とも言えることができた。
しかし1日単位で見れば、部活は生活の一部に過ぎない。
部活の練習時間は忘れてしまったが、平日は2時間、休日は3時間くらいが平均的だろう。
練習試合や大会などで1日かかることもあるが、月に数回程度。
それに比べたら学校の授業時間のほうが長い。
それに加えて、
・睡眠
・食事
・入浴
・テスト勉強
・友達と遊ぶ
・家族と過ごす
・自分の部屋でゆっくりする
など部活以外の時間もあり、活動エネルギーを上手く分散できたと言える。
「え、たったこの2つだけ?」
と思った方。まだ話は終わりではない。
これらは中学生という立場で、家族や学校などの社会環境に守られ、支えられていたから可能だった。
だが、社会人になるとどうなるだろうか。
当時と似た状況を当てはめてみる。
・管理職を任されている
・ミスをすると同じ部署のエース社員から怒られる
・異動や部署変更で環境が変わり、仕事の不調が続いている
まず、『①生活習慣が整えられていたから。』について。
「私は完璧な生活習慣を送っています。」と胸を張って言える人は少ないだろう。
仕事や人間関係のストレスにより、
・暴飲暴食に走る
・酒やたばこに依存する
・風呂キャン界隈の仲間入り
・SNSや意味のない動画を見漁り、睡眠時間が削られる
短期的快楽を追い求めてストレスを発散した結果、生活習慣は崩壊の一途をたどり、心身を蝕んでいくこととなる。
続いて、『②部活は生活の一部に過ぎず、他の活動にエネルギーを分散できたから。』について。
現代は様々な働き方があるが、1日8時間労働を基準にしよう。
通勤・休憩時間・残業を加味すると、1日の拘束時間は8時間を超える。
睡眠時間を上回り、1日の大部分を占めていることになる。
他の活動にエネルギーを分散するだけの体力は残っているだろうか。
活動できたとしても、物足りなく感じてしまうことは少なくない。
「学生の頃はもっと自由に時間が使えたのになあ。」というように。
したがって、②についても社会人にとってある程度ハードルがある。
この問題を改善するためのアイデアが1つある。
それは、誰かと同居することだ。
家族、パートナー、親友など。
誰かと住むことで同居人と同じ生活習慣になる可能性が高い。
隣でポテチを爆食いするとか風呂キャンするといった堕落した生活習慣を送りにくい環境がある。
もし生活習慣が崩れがちになったときは、同居人がそのサインに気づいてくれるだろう。
自分では生活習慣が乱れていることを客観的に認識するのは意外と難しい。
生活習慣が整いやすい環境を手に入れるメリットがある。
また、同居人と家事などを分担することで、他の活動に回す体力を確保することができる。
余った体力で他の活動にエネルギーを分散させやすくなる。
ただし、誰かと同居するということはデメリットもあるため万人向けではない。
メリットが多そうなら検討してみてほしい。
誰かと住むことに抵抗感がある場合は、代案として観葉植物を飼育してみたり、経済状況に余裕があればペットを飼ってみることもありだろう。
疑似的にだが人と住む環境を再現できる。
また、現在すでに誰かと同居している方へ。
一人暮らしの方に比べれば生活習慣が崩れにくく、他の活動にエネルギーを回しやすい状況に置かれていることを再認識してほしい。
ただ、自身もしくは同居人の影響によって環境が悪化する可能性がある。
本記事を機に同居人と生活環境について一度話し合ってみるのもいいだろう。
3.この経験が私にもたらしたもの
中学生という貴重な青春時代に、とても辛く苦しい境遇を味わった。
この経験が私にある物をもたらした。
それは、
「自分に存在価値はない」
「自分は使えない人間だ」
「自分は誰からも必要とされていない」
このセルフイメージが体に染みついてしまった。
まるで呪いだ。今でも解けていない。
毎日毎日何十回何百回何千回何万回とにかく耐えて、本当の自分を押し殺して抑圧して無理やりキャプテンの仮面を被って演じ続けた。
本当は逃げたかった
本当は強くありたかった
本当は必要とされたかった
本当は誰かに助けてほしかった
本当はチームの役に立ちたかった
これはその代償だ。
この記事を書いている今もこの呪いは憑きまとっている。
職場
家族
親しい友人
愛するパートナー
組織
社会
事あるごとに、これらに対して
「自分は使えない人間だ、誰からも必要とされていない、存在価値などない。」
そう思い続け、何回も何回も誤った選択をして生きてきた。
後悔だらけの人生を送ってきた。
この先の未来でもこの呪いが私を苦しめることになる。
決して避けて通ることはできない。絶対にだ。
この記事を通して、少しだけ呪いと向き合う覚悟ができた。
今の私にとって覚悟ができただけで十分だ。
呪いに飲み込まれることなく、共存できるように生きる努力をこれからしていくつもりだ。
最後に
この体験を知人に話したところ、
「それはかいづかが悪いんじゃない?影山はチームを勝たせる努力をしていたと思うよ。」
慰めてほしいわけではなかったが、私にとっては少しキツい感想だった。
一部始終まで話したわけではないし、知人のバックグラウンドがある故の解釈だと認識している。
おかげで新たな視点も共有できた。
当時の私を見ていた、
応援してくれた家族
指導してくれた監督
同じコートに立っていたチームメイト
彼らの目に私はどう映っていたのだろうか。
・陰ながら私のことを応援していたのだろうか
・知人のように私の力不足を非難していただろうか
・怒られている私を可哀そうと思っていたのだろうか
・影山と同じく私に怒りの感情を抱いていたのだろうか
・あるいはなんとも思っておらず無関心だったのだろうか
当事者の私には分からない。
家族以外の連絡先は持っていない。
将来誰かがタイムマシンを開発してくれたら、その時は聞きに行こうと思う。
以上、いかがでしたでしょうか。
よろしければ本記事を"スキ"していただけますと、今後のnote活動の励みになります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
