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転職は「裏切り」なのか北海道の現場から綴ってみる

みなさん、同僚から「来月で会社辞めます」って言われた瞬間、頭の中で何を考えますか。私の場合、最初に浮かぶ感情はいつも同じです。

その日は何の前触れもないごく普通の火曜日でした。会議の予定も特別な空気もない。それなのに、その一言だけが妙に鮮明に記憶に残っています。

オフィスの反応は早かったです。「すごいね」「ついに決断したんだ」。表向きはおめでとうムード。でもその言葉の下に、もう少し複雑な何かが流れているのを、その場にいた全員がうっすら感じていたと思います。

日本では、仕事を変えることが単なるキャリアの選択ではすみません。どこか道徳的な響きを帯びてしまう。なぜ「辞める」という行為に、これほどの重さがまとわりつくんでしょうか。

「裏切り」という言葉、実は誰も言わない

「裏切り」という言葉が、声に出されることはほとんどありません。送別会で誰かが口にするわけでもない。むしろ現場であふれているのは、尊敬のほうです。「次のステージに行く勇気がすごい」「自分にはできない決断だよ」。

私自身、辞めていく人を見送るとき、最初に湧いてくるのは尊敬の気持ちです。そして正直に言うと、そこに少しの羨ましさも混じります。条件のいい職場があるなら、私だって明日にでも移りたいと思っている。この気持ち、わかる人も多いんじゃないでしょうか。

だとすれば「裏切り」という言葉は、いったいどこから来るのか。それは個人の感情というより、もっと古い、制度がつくり出した残響なんだと思います。

「残ることが正解」だった時代の名残

日本の働き方は、長いあいだ三つの仕組みで噛み合っていました。新卒で一括採用され、年功で序列が決まり、定年まで同じ会社にいる。この仕組みのなかでは、「残ること」がいちばん賢い選択だったわけです。

会社は社員を簡単には切らない。そのかわり社員も会社を離れない。明文化されてはいないけれど、確かに存在する契約。家族のような関係といえば聞こえはいいけれど、要するに長くいる人ほど報われるように設計されていました。

だから「辞める」という行為は、その設計そのものを足元から崩します。長くいれば報われるはずの場所から、自分の意思で降りていく。その選択が、残る人の目に一瞬だけ不可解に映る。その不可解さに、かつて人は「裏切り」という名前をつけたんでしょうね。

恵庭というもう少し狭い世界の話


ここで、もう少し狭い話をさせてください。私は北海道の恵庭で働いています。地方の労働市場は、東京よりずっと狭い。人のつながりは密で、「誰がどこを辞めた」という話は、驚くほど早く回っていきます。

最近は転職する同僚が目に見えて増えました。行き先で一番多いのは不動産関係。給料は確実に上がる。そのかわり、仕事は今より確実に大変になる。それでも出ていくんです。

おもしろいのは、その後です。転職した人の多くは、辞めたあとも恵庭で暮らし続けます。だから市内でしょっちゅう見かける。新しい勤め先の駐車場に、見覚えのある車が止まっている。「あれ◯◯さんの車だよね」と、辞めたはずの会社のほうで話題になったりします。

都会なら、辞めた人とは二度と顔を合わせないかもしれません。でもここでは違います。スーパーのレジで、信号待ちの交差点で、ふいに再会する。そのとき、誰も気まずそうに目をそらしたりしません。むしろ「次の会社、どう?」「元気にしてる?」と、ごく普通に声をかけ合う。裏切り者を見るような目つきは、そこにはどこにもありません。想像してみてください、自分の地元でそんな再会が日常的に起きる光景を。

変わったものと変わっていないもの

たしかに時代は変わりました。人手不足は深刻で、転職はもう珍しくもない。若い世代には、一つの会社に骨を埋めるという発想を最初から持っていない人も多いです。

それでも、何かが完全に消えてなくなったわけではありません。

私が働いているのは法令を扱うかなりホワイトな職場で、時間外も勤務日数も法令をしっかりと守る企業。安定した給料、決まった日に出るボーナス、当たり前のように取れる休暇。辞めていく人が手放していくのは、こういうものなんです。

条件の良い転職先に移れば給料は上がるかもしれない。でもその額が毎月一定とは限らない。ボーナスも景気次第で揺れる。守られていた定時も、もう当然のものではなくなります。安定を手放し、高い報酬と引き換えに、不確実さのほうを引き受ける。その決断の重さを知っているからこそ、見送る側は心から「すごい」と言うんだと思います。


結局、誰に対する裏切りなのか

では、転職は「裏切り」なんでしょうか。

現場の感覚で言えば、違うと思います。辞める人を本気で裏切り者だと思っている人を、私は実際にはほとんど見たことがありません。あるのは尊敬と、少しの羨望と、また市内のどこかで会おうという、ゆるい連帯のようなもの。

それでも「裏切り」という言葉が、完全に死んだわけでもありません。送別会のあとに、ほんのかすかに残るあの空気。あれが裏切られたと感じているのは、たぶん会社ではないと思います。「労働者はひとつの場所に尽くすべきだ」という、古い理想像のほうです。

人が裏切っているのは、その理想だけ。そして正直に言えば、その理想は、もうとっくに裏切られていい頃なのかもしれません。

みなさんの職場では、同僚が辞めるとき、どんな空気が流れますか。よかったらコメントで教えてください。


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