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伝怪⑯

《妖怪と伝怪 2》

 まず、トンカラトンは夕暮れになると出没する。
 頭の天辺からつま先まで、全身に薄汚れた包帯をびっしりと巻いている。
 日本刀を持って、突然現れる。
 トン、トン、トンカラトン……と歌いながら自転車でやってくる。
 出会うといきなり、「トンカラトンと言え」と言ってくる。
 注文通り「トンカラトン」と言えば、なにもしないでそのまま去ってゆく。

 言わなければ問答無用で、持っている日本刀で斬りつけられる。
 要求される前に、「トンカラトン」と呼んでも斬りつけられてしまう。
 斬られると、自分も「トンカラトン」になってしまう。
 そして、左手に包帯を巻いておくと……。

 そこまで一気に捲し立てて、聡美は大きく息を吸った。知らぬ間に、身ぶり手ぶりまでつけて喋っていた。そのくらい、老人と話をするのは楽しかった。自分がまだこんなに饒舌に話せるのかと、少し驚きもした。だから、

「なるほど、それで――」

 そう呟いた老人に左手を指さされた時、心底どきりとした。
 いきなり冷水を浴びせられた気がして、聡美は慌ててその左手を背中に隠す。

「ち、違うんです。これは、その……」

 隠した左手には、解けかけた包帯がそのまま巻かれていた。
 言われてみればたしかに、これは〝伝怪除けのおまじない〟だ。だから歩道橋で、あいつはこの左手を見て……今さらそれに気づいて、ほんの少し戸惑いを覚えた。だけど実際は違う。これは聡美と父の、汚らわしく爛れた関係の証。それを老人に見透かされた気がして、聡美は思わず目を伏せた。
 老人はただ、うんうんと頷いて、ことさら陽気に話をもとに戻した。

「まあ、それは冗談として、だいたいそんなもんです。もともと民話や伝承。正式な、というと語弊がありますが……まだそういう形で残されていない伝怪は、あやふやなものが多い。中でもこのトンカラトンってやつは、特に情報が少ない」
「……そうなん、ですか?」
「ええ、ええ、そうなんですよ」

 あたり障りない対応で場を流すと、老人は何事もなかったように小首を傾げる。聡美の適当な相槌にも、満面の笑みで答えてくれた。その反応で、聡美は胸を撫で下ろす。萎みかけた気持ちが、また息を吹き返した。聡美の不自然な態度に勘づいているのかいないのか、老人はやはり無用な詮索をするつもりはないらしい。
 そのこころ遣いが、また嬉しかった。
 聡美はますます、この老人との会話に引き込まれていった。

「なんですなぁ、あと補足するとすれば、〝困っているところを助けてやるとお礼に包帯をくれる〟だの、〝おまじないの包帯はそれでなきゃ駄目〟だの……そうそう、〝たまに集団で現れる〟なんて尾ヒレもありましたが、概ねお嬢さんのお話で全部ですよ。テストだったら、百点満点中の九九点だ」
「はぁ……」

 聡美が小さく相槌を打つと、ふむ、と老人が返す。

「その反応からすると、少々がっかりさせてしまいましたかな? でもね。伝怪が面白いのは、そこからまた〝新しい噂話〟が産まれるところです。たとえば……ええっと、トイレの花子さん、とかはわかりますか?」
「はい、それは有名ですから」

「よかった。その花子さんですが、これは伝怪としてはかなり古いものになります。雛形になった〝三番目の花子さん〟が一九五〇年ごろの出自ですから、伝怪の元祖とされている赤マントとも同級生だ。お話自体は――」
「それも知ってます。〝トイレの三番目のドアを〟ってやつ」

「そうです、それです。なら、細かい部分は端折るとして――ところがこれ、全国に広まると、いろんなパターンができると共に『もとになった事件』なんて噂まで出まわってくる。まあ実際にそれらしき事件もあるにはあるんですが……不気味なもんで、さらに噂が伝播するうち『もとになった事件』自体のバリエーションも増えていくんですな。中には〝伝怪の設定そのままの事件〟なんてものまで出てくる。花子さんのもとになった、女の子の亡くなり方。亡くなられた舞台と状況。女の子の名前が違うってこと以外、どれを取っても本家にそっくりだ。私も気になりましてねぇ。ほうぼう歩いて、調べてみた」
「じゃあ、伝怪もやっぱり妖怪みたいに……」

 思わず聡美が身を乗り出すと、さて、と声をひそめながら老人も身を屈めた。
 落語かなにかでも聴いているような、小気味のいいテンポ。巧み、というか、老人の話し方は、聡美のツボをついて飽きさせなかった。本筋から外れるようで、核心をついているようでもある。まるで、昔の父と話してるような……。
 そんな錯覚も手伝い、長々と溜める老人に痺れを切らして声をかける。

「あの、それで、その事件は……」
 すると老人は、ぴしゃりと額を叩いて言った。
「デマでした!」

 タイミングも絶妙だったが、くしゃりと破顔した老人につられて、聡美はクスクスと笑っていた。老人は満足そうに頷くと、「そうそう、女の子は笑顔じゃないと」と言って杖を鳴らした。その音がなにかの合図のように、聡美のこころに沁み込んできた。
 本当に清々しかった。こんなに楽しい時間は、どれくらいぶりだろう? こころの底から思いながら、聡美はしばらく笑いつづけた。
 聡美が笑い終わるのを待って、老人は先をつづける。

「さんざん苦労して事件の詳細な地域を絞り込んでみれば、そんな事件の記録は警察にもない。どころか、その町内にそんな番地すらなかった。まったくの無駄足ですな。と、そうやって〝噂話に真実味を出す〟ために、新たな設定として〝つぎの伝怪〟が産み落とされる。これはすでに完成された妖怪では、なかなか味わえない醍醐味です。民間伝承から神話性が失われた、都市伝説ならではのものでしょう」
「へえ……」

「ですからね、トンカラトンにも、まだ私たちが知らない〝新しい過去〟が今でも増えつづけてるのかもしれない。それはかつての妖怪もそうではあったんですが、また別のお話ですな。まあ、その辺はその図鑑にも書いてあります」

 あとでじっくり読むといい。そうつけ足して、老人は悪戯小僧のように笑った。抑えめな館内照明の加減か、一瞬、老人の顔が暗く陰ったようにも見えた。

#創作大賞2024 #ホラー小説部門

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