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【産業構造を考える①】便利になった社会で私たちは何を失ったのか——DIYが取り戻す生活の操作感

こんにちは。

最近知人とDIYについて話しまして、少し考えることがありました。

具体的には、キャンプの話でした。
「昔のキャンプは、もう少し不便だった気がする。」という一言から始まりました。

確かに自分のキャンプの経験からも、少なくとも自分たちで火を起こしたり、道具を工夫したり、うまくいかないことをその場でどうにかしたりする感覚がありました。

ところが最近は、キャンプもかなり整備されています。
道具は洗練され、施設も便利になり、初心者でもそれなりに雰囲気を楽しめるようになっていますね。
もちろん、それ自体は悪いことではありません。
小さい子どもがいれば便利な方がいいですし、危険や不快さを減らすことにも意味があります。

ただ、キャンプの面白さを「不便さを自力でなんとかすること」に置いてた玄人系からすると、その不便さまできれいにサービス化されたとき、一体何を楽しんでいるのだろうか。

泊まりのBBQ?
BBQも火起こしとかがないと、ちょっと遠くの自然の中で食べる焼肉、みたいに感じます。

これは、人がDIYで何かを作る、みたいなのに近い話だと思いっていますので、整理してみようと思います。



1. DIYは趣味や節約だけではない

DIYというと、趣味や節約の話に見える方もいらっしゃるのではないでしょうか。

既製品を買うより安いから自分でやる。
こだわりがあるから自分で作る。
手を動かすのが好きだから、あえて時間をかける。

そういう面は当然あります。

ただ、DIYを単なる趣味や節約として見ると、少し狭い気がしていまして、むしろ本質は、外部化された生活機能を少しだけ自分の手元に戻すことではないかと思います。

現代の生活では、何かが不便なら商品やサービスを探します。
壊れたら修理を頼むか、買い替えますし、面倒なことは外注することもできます。
その方が早いし、効率的です。

それでも、あえて自分でやることには、効率とは別の意味があります。


2. 便利さを「生活の外部化」と考える

分業が進むことで、生活はかなり便利になりました。

これは基本的には良いことです。
すべてを自分でやる社会に戻りたいわけではありません。
専門家に任せた方がよいことは多いですし、サービスがあるからこそ生活の質が上がった部分も大きいですよね。

ただ、便利さは生活の摩擦を減らす一方で、生活を自分で動かしている感覚も薄めます。

不便を感じても、自分で変える前に外部の選択肢を探す。
暮らしの違和感を、自分の手で調整するのではなく、誰かが用意したメニューの中から選んで埋める。

そうして生活は、少しずつ「自分で動かすもの」から「提供されるもの」になっていきます。

これは現代社会の自然な流れです。

お金を払えば、誰かが代わりにやってくれる、まさにサービス業ですよね。
その仕組みが広がった結果、分業が進み、サービスが増え、私たちは生活の多くを外部化できるようになりました。

ただ、その過程で、自分で触る領域はかなり小さくなりました。


3. 「やっている感」まで商品化される

ここで少し面白いのは、DIYやキャンプのような「自分でやる」行為そのものも、だんだん商品化されていることです。

本来、キャンプの面白さが不便さを自力でなんとかすることにあるのだとすれば、便利すぎるキャンプは少し不思議です。

かなり整備された環境で、必要な道具もサービスも揃っていると、それは「不便をなんとかする体験」というより、「不便をなんとかしている感じ」を安全に買っている状態にも見えます。

もちろん、それはそれで楽しいんですよね。
自然の中にいる感覚、非日常感、道具を使う感じ、外で食べる気持ちよさ、そういうものは残ります。

ただ、楽しさのベクトルは変わっていますよね。
ビジネスだと顧客層が変わります。

色々出来ないと楽しめない体験で、敷居が高かったところが、比較的エントリーしやすくなるので、多数の人へサービスを届けることが出来るようになります。

サービスや道具を提供して収益を得る会社としては、利益追求のためにユーザーを増やすことも戦略の1つになります。
ユーザーを増やすためには今までターゲットにしていなかった客層まで拡大させることも1つの手段になります。
そうすると、自然と「敷居が高くて入れなかったが、そこが改善されればエントリーできる」という人を対象にしたサービスへ拡大します。

キャンプやDIYの、「自分でやる感」のところを商品化しているわけです。

繰り返しになりますけど、資本主義の現代社会だと自然な流れですよね?

DIYもキャンプも、完全に自力でやるものから、体験としてパッケージ化されるものへ少しずつ広がっているのだと思います。


4. それでも、自分でやることには意味が残る

では、便利な道具やサービスに囲まれたDIYやキャンプには意味がないのかというと、そうではないと思います。

たとえ完全な自力ではなくても、そこには自分が生活に関与する余地があります。

完成度だけを見れば、買った方がよいこともあります。
プロに任せた方がきれいに仕上がることもあります。
時間単価で考えれば、まったく割に合わないこともあります。

それでも、
「自分の手を少し動かした結果として、生活の一部が変わる」
その過程に、自分の行為の意味が残ります。

この感覚は、効率だけでは説明しにくいものです。

便利なサービスは、不便を消してくれます。
一方で、自分でやる行為は、自分が生活に関与している感覚を残してくれます。

この違いは、意外と大きくて、だから一定で好きな人がいるんですよね。
(ちなみに私の趣味もDIYです)


5. ウェルビーイングが注目され始めている流れ

DIYは遠回りです。

完成度だけを見れば、買った方がよいこともあります。
プロに任せた方がきれいに仕上がることもあります。
時間単価で考えれば、まったく割に合わないこともあります。

それでも、自分の手を少し動かした結果として、生活の一部が変わります。
その遠回りの中で、自分の行動に意味や価値を見出しています。
結果として、気持ちの面で満たされる部分がある。

資本市場の中で資本効率を重視する一方で、近年ウェルビーイングが注目され始めています。
まさにこの、DIYなどにみられる「自分の行動に効率や生産性以外の意味や価値を見出す」行為こそ、ウェルビーイング向上の行為なのだと思います。


6. すべてを自分でやる必要はない

自分で何でもやる生活は、時間もかかるし、失敗も多いです。
専門家に任せるべきこともあると思いますし、便利なサービスを使うことも、分業の成果として素直に受け取ればよいと思います。

ただ、すべてを外部サービスに預けてしまうと、自分の生活を自分で動かしている感覚まで薄くなっていく。

DIYは、外部化されすぎた生活を、少しだけ自分の手元に戻す行為であり、
便利な社会の中であえて少し遠回りをする意味や価値を見出す行為です。

そこに、DIYやキャンプの面白さがあるのだと思います。

それでは。


  • 便利さが増えるほど、私たちは生活のどの部分を外部化しているのか。

  • 「自分でやる感」まで商品化されたとき、それは本当に自分でやっていると言えるのか。

  • 快適に提供される生活と、自分で少し動かせる生活の間には、どんな違いがあるのか。




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