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レンタルビデオの記憶と現在

 今週末、東京の下宿先から久しぶりに地元に帰省することにした。やることもも特になかったので、数日間のんびり休もうと思っていた。授業を終えて実家の最寄り駅から家に帰る道のりは、昨日もこの家にいたように馴染んでいた。地元の夜は静かで何かの虫が鳴いていた。僕は落ち着きを感じると同時に東京がいかにおかしな街かを思い知った。匂いや光などいつもなんらかの刺激があり、いつもそれらに刺激され無意識に辟易していたんだと気づいた。

 翌日、親の車を借りて地元の街に出た。建物は低く、日光はどこまででも僕を照らしてくれた。清々しい気分と共に街を走る。なにをしようかと思っていると、ふいにある店が現れた。この店でのたくさんの記憶を思い起こしていると気づくと僕はその店の駐車場に入っていた。

 この店はネットで調べると「書店」と表示されるが実際は中にレンタルビデオ屋があり、本屋があり、ケータイショップがあり、ゲーム機やCDも売っていたりして、具体的に何の店とは言うことのできないものだ。また多くの書店と同じように建物の中にパン屋が併設されていた。

 この店にはたくさんの思い出があった。まだ小学生にすらなっていない頃であろうか、その時僕の家族は決して裕福でなく、ここのレンタルビデオ屋でたくさんの映画を借りた。ジブリ作品や「名探偵コナン」、そして偏った趣向のバラエティ番組。そういえばディズニー作品は借りなかった。もしかするとこのビデオレンタルショップで母親がチョイスした偏った趣向の映像作品が今の僕の性格を形成しているのかもしれない。

 中学生になる時、祖母の機種変と同じタイミングでスマホデビューしたのもここにあるケイタイショップだった。他にも少なくない回数ここの本屋でマンガを買ったし、数回だけゲームのカセットを買った。この店にはたくさんの思い出が詰まっていた。


 この店は入り口の自動ドアが開くと、目の前でゲームのキャラクターの写真が周りに貼られたスクリーンに大音量でゲームのCMが放映されているのがお馴染みだった(時期によってはこれがアイドルの楽曲だったりもする)。入店と同時に視覚ではなく、聴覚が刺激されるのがこの店の特徴で、それは当時の僕にとっては珍しかった。

久しぶりの入店だった。自動ドアが開くと僕は愕然とした。目の前には大量のクレーンゲーム機。まるでゲームセンターのようだった。その日入店したときに特に大きな音が聞こえなかったのは、目の前の景色が衝撃的すぎて聞こえなかったのか、それともあの店にもうそんな音は流れていないのか、それはわからない。

 入店と同時に衝撃が走ったが僕はそのまま店内を散策した。たくさんの部分が変わっていた。本が売られる部分は縮小し、CDコーナーはなくなっていて、レンタルビデオには人がいなかった。代わりにクレーンゲームとフィギュアやカードゲーム、プラモデルが売られていて、さらにカードゲームの大会をやるのだろう、机と椅子がずらりと並べられてた。これらの品は売られていたというよりかは余ったスペースに何か物を置いていると言った方がいいかもしれない。ところどころに、顔はめパネルや何かのアニメのポスターが置いてあったが、それらもここが余ったスペースなどではなく、売り場であると強くこちらに主張してきているようで、それが逆にこのスペースを持て余していることの証明になっているような気がした。パン屋も閉店してしまい、昔は厨房があった場所にはプラモデルやフィギュアが積まれ店員が何か作業していた。


 この店がこうも変貌を遂げた理由は火を見るより明らかだった。サブスクの台頭だろう。CDもビデオレンタルも、もはや時代錯誤の品物だった。売られている本のバリエーションも少なくなっている印象を受けた。近くに大型書店ができたのもそれに付属する理由かもしれない。とにかく結果としてこの店は、広くスペースは使うが大した利益をあげることのできないクレーンゲームやカードゲーム、ましてはそれをプレイするための机さえ置き始めたのだ。
 客が入らなくなった店がカードゲーム用の机を置き始めていると「この店もいよいよだな」と思う。そして今回もまたそうだ。
 それにしても成人を過ぎてなおカードゲームに明け暮れ、子供相手に財力でもって強さを見せつける男性達は、まるで死神のように、閉店間近の店に置かれた机を転々としていくことをどう思っているのだろうか。また死を迎えつつある店内の閑散とした空気に、その店の黎明期から最盛期、そして現在までの長い歴史を感じたりすることはないのか。

まぁないか。カードゲーム集中してるもんね。

店の中もほとんど散策し尽くした先にはレンタルビデオ屋があった。本屋やケイタイショップは別としてここに来たのは本当に久しぶりだった。「名探偵コナン」やジブリ作品はあの時と同じ場所に陳列されていた。いささかケースの色が褪せたかもしれないがあの頃のままだった。変わったことと言えば、最新作ですら7泊8日で借りられる事と、人気の作品も定番の作品もほとんどが借りられることなく、そこにあったこと。そしてなぜか中国の作品が多いことだった。

そのまま昔を思い出しながら、棚のビデオのバリエーションを大雑把に見ながら歩いていた。すると店の突き当りには「18歳未満の方ここから先ご遠慮ください」の文字が書かれた暖簾が。ここに何があるかは幼かったあの頃からなんとなくは分かっていたし、少しは興味はあった。そして僕は今、この暖簾をくぐる事ができる。この店の良い時も悪い時も、昔も今も、僕はその全てを見て来た。それは「この暖簾の先を除けば」という条件付きだが。その時、僕はこの暖簾の先を目に焼き付けなくてはならないと思った。それは色欲なんかではない、この店と共に生きて来た僕が、今この店の最期を看取ろうとしている。僕はこの店の全てを知らなければいけない。東京で下宿している事と店の閑散ぶりを考えると、おそらくこの店に来るのは今日が最後だろう。今日が最後なのだ。僕はこの先の景色を見て、この店から得られるすべてを得る。「十数年前に親に手を引かれジブリを借りた少年は、今は自分の運転した車で来てアダルト作品を物色する男になりましたよ。大きく成長したんですよ。そしてその成長は全部あなたが用意していた作品があったから成し得たことなんですよ。」と言ったらこの店は安心するだろう。この店は安心するように眠る。「ありがとう」と言って、少し微笑みながら目をつむる。やがて更地となりここに別の建物ができたとして、物質としてこの店は完全に消える。しかし、僕の記憶の中でこの店は生き続ける。この店が僕を育てたという素晴らしい物語は、僕が今を一生懸命生きているということによって現在進行形で証明され続ける。

この暖簾の先の景色を見ることが、この店と僕の間の物語ピリオドを打つのにふさわしい気がした。そのまま僕は左手でその二つしか垂れていない布の左側をめくり、前に進んだ。




 暖簾の先には、黒や赤やオレンジのパッケージで埋め尽くされた棚が並んでいた。子供の頃に抱かなかった感情が色になって眼前に広がっているようだった。それは渦のようになって目の前にあった。その渦の中心に人が一人いた。

 こちらに背を向けてしゃがんで棚を物色していた。しゃがんだせいでジーパンが下がってパンツが見えていた。オレンジ色の靴下の上にサンダルを履いていた。頭頂部が禿げていて、周りは白髪だった。僕の足音に一切気にすることなく、棚を見ていた。なんて情けない姿なのだろう。そして僕はこのおっさん(あえておっさんと呼ばせてもらう)の後ろ姿を見てふと涙を流しそうになった。

 このおっさんはきっと今日も先週と同じようにここで物色しているのだろう。先週も先々週と同じように物色したし、先々週も先々々先週と同じように物色した。彼はきっと僕がまだジブリを借りている時からそれをしていた。彼はサブスクができたことで多くの人が足を運ばなくなった時も、僕が学校生活が忙しくなってこの店に行かなくなった時も、この店に大量のクレーンゲームが持ち込まれた時もここに通って、その前の週と同じく物色し続けていた。誰かは「このおっさんは時代遅れの哀れな老人だ」と言うかもしれない。しかし本当にそうだろうか。彼はただこの店に通い続けただけだ。彼は何も自分から前時代的な何かをし始めた訳じゃない。彼はただ勤勉に来る日も来る日も同じことをし続けただけだ。サブスクだなんだと言ってどこかへ行ってしまったのは僕たちじゃないか!!

 小さい頃、ビデオをレンタルした帰り道はワクワクが止まらなかった。信号が待ちきれなかった。当時は確か2泊3日とか1泊2日で返却しなければならない最新作の映画ですら、見忘れたことなんてほとんどなかった。借りたビデオは家に着いた瞬間再生し、それからの2時間はあっという間だった。

 このおっさんをバカにする諸君は、素人の作った何の意味もない映像をスクロールすることでしか刺激を得られず、ずっと何かしらの刺激を、まるでゾンビのように求め続け、SNSを徘徊し続けるのだろう。たった2時間の映画すら見ることができなくなって。

 そんな人間がこのおっさんをバカにできるだろうか。きっとこのおっさんは帰り道、借りたビデオのことで頭がいっぱいだろう。借りたビデオを余すことなく隅から隅まで視聴するだろう。

このおっさんはドーパミンといった低俗な刺激を求めてゾンビになることのない。そして週に一度、ジーパンが下がったまま物色を始めるのだ。この情けない姿が最も素朴で人間らしい生き方でなくてなんであるのか。

 今、レンタルビデオ屋は世界からなくなりつつある。サブスクの台頭によって。しかしそれで本当にいいのだろうか。このおっさんのように豊潤な視聴体験はサブスクで可能なのか?「あっという間だった」と言うほど集中して映像を見られるのだろうか。

そして私情を挟むとするなら、このおっさんの憩いの場を奪わないであげて欲しい。このおっさんはおそらくスマートフォンが使えない。だから今こうしてここにいる。ワクワクしながらこの店に足を運ぶ。物として存在するDVDを奥さんに見つからないよう、帰宅した瞬間に決まった場所にそれを隠す。もしスマホで全てが完結するなら、このおっさんはそういったしがらみを抱えることがなくなるかもしれないが、逆に言うとこのおっさんの不便さやハラハラさも全てなくなってしまう。その時、おっさんもまたドーパミンをもとめたゾンビに成り下がってしまうだろう。今、僕たちはこのおっさんから多くを学ぶべきなのだ。きっと。

高尚なおっさんよ、どうかそのまま足繁くレンタルビデオ屋に通い給え。

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