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冷笑系ってもはや古い

はじまり

Xで「noteって"自分が発信者である"と錯覚させるのが上手いメディアだよね」と馬鹿にするツイートが流れてきて、ふと目が止まった。

ネットでの今の流行りは「冷笑系」だと認識している。Xにもわんさかいるが一番いるのは5chまとめサイトだろう。一つのことを愚直に打ち込んでいる人間を一歩上から批評し嘲笑する文化だが、それがこのツイートに詰まっていると感じた。"noteやってるやつって高尚な気分になって次々と熱量高い文章を送り出してるけどなんか笑えるよね"、という意味合いが透けて見える。

結局は

まァ結論から言うと、この手の輩は自分では何もしていないので、何かしている人を馬鹿にしたくて仕方がないだけなのだ。
この主に限らず、冷笑系は成し遂げていない自分を他と常に比較し、その癖何かやってる人を見ると無意識に焦り、批判し、嘲笑し、同時に自分も何かやっている気分になって満たされている。浜崎あゆみのEnd of the Wordまんまである。自分よりも不幸な人を見ては少し慰められ、幸せな人を見つけたなら急に焦ってるのだ。
自分が持っていない「情熱」や「行動力」を直視するのが辛いから、それを持っている人を攻撃して価値を下げようとしているんだな。

冷笑は一番楽なんだよ。何もしてない自分を見なくていいし正当化できる。あいつら必死になって馬鹿なんじゃないの、と自分のポジションだけは守れるから。

でも冷笑系たちは結局のところ、誰かが作ったコンテンツや誰かの行動という「他人の人生」に寄生してしか発言できないということは発信しておきたい。
0から作るという行為そのものを放棄していることに気付かない愚か者達よ。
同じ土俵にすら上がっていない、もしくは自ら降りた輩に何を言われようが、それこそ俺がこうして糧にしてやる。
あと、Xでも結局は皆発信者だよということは伝えたい。昨今の炎上や誹謗中傷騒ぎをこの人は見ていないんだろうか。いつまで他人事でいられるんだろうか。いつまで蚊帳の外で見ているんだろうか。いつまで受信者のままなんだろうか。


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