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会話の外に、本音はある

会話は、
ちゃんと続いていた。

特に嫌なことを
言われたわけでもない。

空気も悪くなかったし、
沈黙に困ることもなかった。

それでも、

改札へ向かう帰り道だけ、
少し静かになる相手がいる。


話している最中は、
そこまで気づかない。

むしろ、

ちゃんと合わせられている気もする。

相手に合わせて笑って、
少し早めに返事をして、

空気が止まらないように、
言葉を選ぶ。

会話としては、
何も問題ない。


でも、

一人になったあとで、
少しだけ疲れている。

エレベーターの扉が閉まったあとや、

部屋の電気をつけた瞬間に、

急に静かになる。


この疲れは、

長く話したからではない。

“調整が続いていた”ときに残る。


相手の反応を見ながら、
空気を崩さないように返事をしていると、

会話は成立する。

でも、

感覚は少しずつ、
後ろへ下がっていく。


本当は少し引っかかっている。

少しだけ、
ズレている気がする。

でも、

それを流しながら話していると、

会話が終わったあとに、
静かな疲れだけが残る。


逆に、

疲れない相手は、
無理に合わせなくていい。

沈黙があってもいい。

返事が少し遅れても、
急いで埋めなくていい。

説明しすぎなくても、
空気が止まらない。

そのままでいられる。


楽しい会話だったはずなのに、

なぜか安心だけが残らないことがある。


言葉は優しかった。

ちゃんと聞いてくれていた。

それでも、

どこかに少しだけ、
届かなかった感覚が残る。


同じ言葉でも、

出てくるタイミングが違うだけで、
意味は少し変わる。

「大丈夫」

と言ったあと、

ほんの少しだけ、
視線が遅れて外れる人がいる。

「また今度」

と言いながら、

もう会話を閉じている声がある。


人は、

言葉より先に、
態度を変えていることがある。


多くの場合、

そういうものは、
気のせいとして流される。

考えすぎかもしれない。

気にしすぎかもしれない。

そうやって、

感覚より、
言葉の方を信じようとする。


でも、

違和感は、
間違いではない。

“処理しきれなかった情報”

言葉にはなっていないけれど、

何かが少しだけ
重なっていなかった感覚。


話が合うことと、

通じ合っていることは、
少し違う。


会話が続くことと、

安心できることも、
同じではない。


人との距離は、

言葉だけでは決まらない。

間の取り方。

沈黙の置き方。

視線の外し方。

返事を急がなくていい空気。

そういう小さなものの中で、

少しずつ形が決まっていく。


だから、

最初の違和感は、
案外消えない。

その場では流せても、

夜になってから、
少し遅れて戻ってくる。

シャワーを終えたあとや、

閉じたはずのLINEを、
もう一度開いてしまったときに。


返信欄を開いたまま、

何も打たずに閉じる夜がある。

何が引っかかっているのか、

自分でも、
うまく言葉にできないまま。


「なんとなく合わない」

には、

理由になる前の感覚が残っている。


そしてたぶん、

人は、

その感覚を無視し続けるほど、

少しずつ、
自分が分からなくなる。


何が嫌だったのか。

どこで疲れたのか。

なぜ安心できなかったのか。

それが説明できなくなる頃には、

“合わせること”

だけが上手くなっている。


気づかないうちに、

無理をしていない自分の方が、
少しずつ思い出せなくなっている。


だから必要なのは、

正しい判断ではない。


違和感を、
すぐに結論へ変えないこと。


「何かが少しズレていた」

その感覚を、

消さずに持っておくこと。


会話の外にあるものは、

いつも、
はっきり見えるわけじゃない。

でも、

言葉より先に、
空気は動いている。


そして本音は、

たいてい、
その少し外側に残っている。

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