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上なる如く下もまた然り

中高一貫の女学校で6年間を過ごした。
100年以上も歴史のある学校。

私は小学校6年生の12月に「公立の中学へは行きたくない」と母に懇願した。
なぜなら当時のクラスでは男子が授業にならないほど騒いだり叫んだり、授業中女子にちょっかいを出す人が多々いた。
もうもう我慢の限界がきていた(佐藤二朗さんではない)

しかし、残り3ヶ月で私立に行けるのだろうか。
母は個人学習塾を調べて、東大と中央大出身の男性講師2名で運営している学習塾を見つけた。

緊張しながら先生と対面し、母も3ヶ月猛勉強して入学できる私立はあるかと先生に問うと、
「ええ、ありますよ。偏差値にこだわらなければ、歴史ある女学校で校長先生のお人柄が素晴らしいと有名な学校が」と仰った。

選択肢がない私は決心した。もう時間もない。
学校説明会で学校長の小熊又三先生にお会いして、私はここに通いたいと思った。
学校の教育理念は「恕」
「思いやり」の精神である。

小熊先生の言葉一つひとつが丁寧で、物腰が柔らかく、それでいて厳しさと深い慈愛に満ちた情熱のようなものをひしひしと感じた。

小熊先生が生徒の名前を呼ぶとき、「〇〇(姓)の〇〇(名前)さん」と呼びかける。「~の~」ってなんだかものすごく愛を感じる呼び方だなって子どもながらに強く心を打たれた。

4月、無事に入学できた。

中学2年生の初めまでは成績は中の下くらい。
数学が赤点の時もあった。
でも中学2年生の担任が数学の先生だったのもあり、数学って実は面白いのだということに気づかされた。
少林寺拳法部の顧問でもあったその先生は、少し風変わりで、クラスで記念に自主映画製作をしようと面白い試みをする方だった。
性同一性障害の友人もクラスの中にいて、彼女のことを色々気にかけていたこともあったのかもしれない。
私たちが楽しめる最大限のことを一緒に考えてくれた。(でも本当は先生自身が一番楽しんでいたのかもと最近感じる)

確か劇中に殺人も起こるので、血のりを用意できなかった美術班はケチャップを先生に差し出した。
先生が試しにケチャップを顔に塗ってみる。
「かゆくなるなぁ」と先生がつぶやくと、クラスみんなが笑っていた。

結局どんな映画だったのかよく思い出せないのだけど、みんなで一つの作品を作り上げるという工程がとても楽しかった。
先生はこの新しい体験を私たちに体感させたかったのかなと。

それから勉強が楽しくなった私は中学高校と首席で卒業した。

偏差値が低いからバカの大将と馬鹿にされたこともあるけれど、それでも特待生という名誉は誇れるものがあった。


高校卒業時に、その数学の先生から卒業アルバムへ表題の言葉をいただいた。

上なる如く下もまた然り

達筆な文字で静かに書いて、何も言わずに「がんばれよ」と言って渡してくれた。
この言葉は父も形而上学を学ぶ上で大切な理念だと話していた。
どんなに上を目指しても内面がそれに伴わなければ、ただのロボットだと。


「霊視するのなら、形而上学と化け学と心理学を学べ」と耳にタコができるくらい父から言われていた。

今の私はその半分も勉強できていない。
理屈では到底説明できない霊視能力は、相手(対象)がいて初めて発揮される。私はビジョンとして視る。視ようとして視るのではなく、正確には視えてくると言うのか。

高校3年生の担任の先生は私の進路についてとても悔しがった。
推薦3校を蹴り、センター入試を選んだからだ。
自分の実力を知りたかった。実力通りの大学に行きたかった。

見事に滑り止めで受けた大学へセンター試験で受かった。
センター試験で合格できたことは本当に嬉しかった。
一般入試でも受験していたのだが、合格発表時名前はなく母は落胆したが、まさかセンター入試で合格していたとは。
自分でも一般で名前がないのなら、もうセンターでは絶望だろうと感じていた。

しかし、センターで合格していた。
中学受験からお世話になっている東大出身の塾講師と、センター試験直後に新聞の解答を見ながら答え合わせしたのを今でもよく覚えている。

一番点数が高かったのは日本史だった。
一番自信がなかったのに……
試験とは本番にならないとわからないものだ。

英語は失点が多く、もうダメかもと思っていたけれど、ヒアリングが意外にできていて助かった。
国語は代ゼミの笹井先生の授業も受けていたので、現代文に強くなった。

高3の担任から「木下(旧姓)さん、センターで受かって良かったね。でも私は推薦で国学院に行ってほしかった」と泣かれた。
私が推薦を蹴れば、その推薦枠を誰かに譲ることができる。
自分の実力が知りたかっただけです。先生泣かないでと伝えると先生は泣きながら、「あなたの入学する大学のことを調べたら、東大大学院へ進学している生徒さんを見つけたの」と仰った。

え??そうなの??ちょっと興味はあったけれど、私が東大大学院へ進めるほど頭が良くないことは身をもって知っている。
でも先生はなんでそんなこと調べて話してくれたのだろうと、二十数年経った今でも心に引っかかっている。

まず英語を勉強し直さないと、大学院などへは進めないことは百も承知なのです。

勢いで、東大大学院の募集要項を眺めていた。
興味のある学部があった。学んでみたい。43歳の私が東大大学院へ興味を持っている。それは当時先生に言われた言葉が引っかかっていることも確かにあるけれど、単純にその学部で学びたいと感じてしまった。
社会人が大学院、しかも東大大学院を目指すなんて無謀よね。
しかも子育てしながら……
家族にはきっと反対されるよね……
最近ドラゴン桜を観てるから感化されてるだけよね……

もうすぐ開催される入試説明会のオンライン申込をした。
聴いてみたい。修士課程の社会人入試にトライしたいけれど、本当にそんなことに今から挑戦できるのか。
あの高校時代に受験に向けて猛勉強した時間は、今の私には作れない。

でも目指したい何かに向けて勉強することは、生きがいになることを知っている。

失敗してもいいじゃない。
それも経験か。高3の担任へ久しぶりに会ったら話題の一つにもなるかもと。そんなことが脳裏をよぎる。

42歳の時に慢性上咽頭炎にかかり、死というものを少なからず感じた私は、怖いものなどもうない。
そして、すべて決めつけることをやめた。
子どもたちには、やってみないとわからないと軽々しく言うのに、いざ自分のこととなると待てよと躊躇する。そんな自分が嫌だ。

やってみないとわからない

高校3年生の冬、受験会場へ向かう雪道を歩きながら、今日という一日を、センター試験を受ける自分を思いきり楽しもうと、緊張しつつもワクワクしていたことを思い出した。


いくつになってもその気持ちは忘れてはいけない。

ママが楽しいことが、子どもの楽しいにつながる
『子どもへのまなざし』という本に書いてあったことがふと浮かんだ。


学問は自由だ。
リベラルアーツである。

もっと学びたい。その欲求がある限り学んでいきたい。


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