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「ディール」と代償

戦争という、国家の狂気と無数の血が流れる人類最悪の営みを、あたかも不動産の商談や、テレビ番組の幕引きのように語る。その圧倒的な軽薄さと、ビジネスライクな即興性に、私たちは言葉を失う。

「ディール(取引)」という乾いた響きで、大衆の欲望と不満を巧みに操ろうとする姿は、近代が築き上げてきた「知性」や「理性」という名の薄皮をいとも容易く剥ぎ取ってみせた。

かつて言論や政治の場には、目に見えない「節度」や「品格」という名のルールがあった。人々は言葉の重みを信じ、嘘や誇張には相応の恥が伴うものだった。

だが、彼はその精緻な議論の積み重ねにルール無用の「ディール」を持ち込む。SNSという巨大な拡声器を使い、短い言葉で敵と味方を色分けし、複雑な社会問題を一言のエンターテインメントに変える。短絡的で劇場型の政治を前に、人々は熱狂し、あるいは激しく嫌悪する。

いかに文明が進化し、世界がインターネットで繋がろうとも、人間の精神はそれほど劇的には進化しないはずだ。でも情報の氾濫(はんらん)の中で大衆は、自らの不安を吹き飛ばしてくれる力強い「嘘」を、退屈な「真実」よりも熱狂的に受け入れるのかも知れない。

そんな空気は、決して海の向こうの国に限った話ではない。この日本でも、スマートフォンのタイムラインを見渡せば、「小さなトランプ」たちが、日々誰かを排斥し、喝采を浴びている。

一人の扇動者を非難することは容易だが、彼らを生み出した土壌は、私たちの無関心や、複雑な現実から目を背けたいという甘えの中にあるのだろう。安易な「ディール」の代償を背負わせられるのは、いつだって無辜の民と相場が決まっている。

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