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続・深夜の空想散歩

深夜の空想散歩には、いくつかの決まりごとがある。
ひとつは、行き先を決めすぎないこと。
もうひとつは、やさしい嘘を許すこと。
そして最後に、帰り道を急がないこと。

目を閉じると、僕はまた靴音を連れて、街の外側に立っていた。
外側というのは変な言い方だけれど、深夜の街にはふちがある。昼間は見えない。深夜にだけ見える。
ふちに立つと、街は薄い紙みたいに頼りなく見える。
誰かが強く息を吹きかけたら、ふわりと浮いて、どこかへ飛んでいってしまいそうだ。

僕は、そこを歩く。
薄い紙の上を歩くみたいに、音を立てないように。

角を曲がる。
すると、見覚えのある商店街が現れる。
昼間なら人がいて、夕方なら買い物袋が揺れていて、閉店前なら焦った顔がいくつかある。
でも深夜は、商店街が自分の骨格だけを残して立っている。

看板がひとつ、ぼんやり光っている。
光っているというより、まだ熱が残っている、みたいな光り方だ。
昼間に使われた言葉が、夜になっても完全に冷えきれず、うっすら湯気を立てている。

僕はその看板を読む。
読んだところで、何かが変わるわけじゃない。
でも、読むという行為は、触れることに少し似ている。
世界は触れられると、ほんの少しだけ存在を強める。

商店街の真ん中には、古い本屋がある。
実際にあるのか、あったのか、僕の想像の中だけにあるのかはもうわからない。
けれど、深夜の空想散歩において、曖昧さは罪にならない。

その本屋のガラス戸は、いつも少しだけ曇っている。
中の灯りが、外に出るのをためらっているみたいに。
扉の取っ手に手を伸ばすと、冷たい金属の感触が生まれる。
脳が勝手に金属を用意してくれる。ありがたい。

扉を開けると、鈴が鳴る。
これはおそらく、僕が鳴らしたいから鳴っている。

本屋の中は狭くて、天井が低い。
その低さが落ち着く。
天井が低い場所では、未来が大きな顔をしにくい。
だから、今だけが残る。

棚には背表紙が並んでいる。
タイトルを読もうとすると、文字が微妙に揺れている。
深夜だからだ。
深夜は文字が酔う。

僕は一冊、適当に引き抜く。
表紙を開くと、紙の匂いがする。
紙の匂いは、記憶の匂いに近い。
どちらも、触れた瞬間にこちらの側に染みてくる。

ページの間に、しおりが挟まっている。
しおりには駅名が印刷されている。
その駅は、僕が行ったことのない駅だ。
でも不思議と、その駅のホームの寒さだけはわかる。
深夜の空想は、知らないものを知っているふりをするのが上手い。

その本屋には店主がいない。
いないけれど、いる気配はする。
気配だけが椅子に座って、背中を丸めて、何かを読んでいる。
僕は「すみません」とも言わずに、ただそこにいる。
深夜では、挨拶は省略されることが多い。

本屋を出ると、空気がさらに冷えている。
街の薄い紙が、少し湿っている。
夜露のせいだろうか。
あるいは、僕の考えすぎが結露しているのかもしれない。

次に現れるのは、図書館だ。
図書館は、深夜の空想散歩にとって、特別な場所だ。
閉まっていても、開いている。
開いていても、閉まっている。
その矛盾が、図書館を図書館にしている。

正面の階段を上がる。
ガラスの自動ドアの前に立つと、反応する。
反応するのは、僕が反応させているからだ。
空想の街では、機械よりも僕の方が電源を持っている。

中に入ると、静けさが厚みを持っている。
静けさは薄いと頼りないけれど、図書館の静けさは厚い。
耳に入ってくるのではなく、体に巻きついてくる。

カウンターには誰もいない。
なのに、返却口だけが口を開けている。
返却口は、夜でも仕事熱心だ。
何かを返したい気分になる。
今日とか、昨日とか、そういうものを。

本棚の間を歩く。
本棚は夜になると、迷路のふりをする。
昼間は素直に並んでいるくせに。
人間のいない場所は、人間の真似をして遊ぶ。

窓の外を見る。
外は暗い。
暗いけれど、遠くに小さな光がいくつかある。
あれは誰かの家の灯りだろうか。
それとも、誰かがまだ起きているというサインだろうか。

深夜に起きている人は、たいてい何かを抱えている。
締切とか、後悔とか、胃の痛みとか、言いそびれた言葉とか。
でも抱えているものの種類は違っても、抱えている姿勢は似ている。
猫背になる。
心も猫背になる。

僕は本を一冊手に取る。
タイトルは読めるけれど、内容が入ってこない。
夜は、物語を拒むことがある。
拒むというより、物語の方が遠慮している。
深夜の脳に大きなドラマを押しつけるのは、たぶん失礼なのだ。

その代わり、短い文章なら入ってくる。
誰かの日記の一節とか、古い手紙の最後の一行とか、雑誌の端っこにあった小さなコラムとか。
そういう小ささが、深夜にはちょうどいい。

ふと、机の上に一枚の紙があるのを見つける。
紙には、手書きの文字がある。
「忘れたままでいい」
それだけ。

僕はそれを読んで、少し笑う。
深夜に笑うと、声が外に出ない。
笑いは胸の中で丸くなって転がる。
それは悪くない。

図書館を出る。
階段を下りると、街が少しだけ変わっている。
風が強くなったのかもしれない。
薄い紙の街が、ちょっとよれている。
僕はそのよれを直そうとはしない。
夜にできたしわは、朝が伸ばす。

次は、路地に入る。
路地は、空想の散歩にとって必要な装置だ。
路地がないと、心は曲がる場所を失う。
まっすぐだけでは、やっていけない。

路地の奥に、古い喫茶店がある。
看板は出ていない。
けれど、コーヒーの匂いだけがある。
匂いは嘘をつけない。
つまり、喫茶店は存在している。

ドアを開ける。
また鈴が鳴る。
深夜の街は鈴が好きだ。
誰かが入ってきたことを、世界がちゃんと認めてくれるからだろう。

店内には、古いジャズが流れている。
音は小さい。
小さいけれど、ちゃんとそこにある。
深夜の音は、存在感を押しつけない。
それが礼儀だ。

カウンターの奥にマスターがいる。
顔は見えない。
顔が見えない方がいい。
深夜の空想で顔が見えると、現実に引きずられてしまう。

僕は席に座る。
メニューはない。
けれど、頼むものは決まっている。
深夜の喫茶店では、選択肢が少ない方が救われる。

カップが置かれる。
湯気が立つ。
この湯気は、僕の体温の代わりだ。

一口飲む。
苦い。
苦いけれど、やさしい。
苦さがやさしいというのは変だけれど、苦さには種類がある。
明日の苦さと、過去の苦さと、深夜の苦さ。
深夜の苦さは、ちゃんと飲める。

カップを両手で包む。
指先が少し暖かくなる。
現実の部屋でも指先は冷えているはずなのに、ここでは暖かい。
空想は、現実ができなかったことを代わりにしてくれることがある。
その代行が、たまらなくありがたい夜もある。

僕は、誰にも言っていない願いごとをひとつ思い出す。
大それた願いではない。
ただ、明日が今日より少しだけ軽ければいい、という程度の願いだ。
それくらいでいい。
それくらいがいい。

喫茶店を出る。
外に出ると、空が少しだけ明るくなっている気がする。
もちろんまだ夜だ。
でも、夜にも段階がある。
深夜は深夜の中で、少しずつ朝へ近づいている。

この段階の夜になると、宇宙が近く感じることがある。
空の向こう側ではなく、街のすぐ上に宇宙があるような感じ。
屋根の上に、薄い透明な膜があって、その向こうに星が無造作に置かれている。
稲垣足穂が好きだったのは、きっとこういう距離感だ。
宇宙を遠くの夢にしないで、生活の延長に置いてしまう距離。

僕は歩きながら、空を見上げる。
星は見えない。
けれど、見えない星の方が、むしろ星らしいことがある。
見えないものは、こちらの想像の余地を残してくれる。
余地があると、心は息ができる。

しばらく歩くと、踏切に出る。
電車は来ない。
来ないのに、踏切はそこにある。
踏切というのは、渡るための装置であると同時に、待つための装置でもある。
深夜は待つ時間が長い。
だから踏切は深夜と相性がいい。

遮断機の棒に軽く触れる。
冷たい。
現実の冷たさが、少しだけ混じっている気がする。
ここまで来ると、空想と現実の境目が薄くなる。
深夜は、境界線を削ってしまう。

僕は思う。
外出しないということは、世界を拒むことなのか。
それとも、自分を守ることなのか。

たぶんどちらでもある。
夜の僕は、世界に出ていけない。
寒さのせいでもあるし、孤独のせいでもあるし、気力の不足のせいでもある。
でも、出ていかないからこそ、世界を別の形で迎えに行ける。
頭の中で。

頭の中の散歩は、失敗しない。
店に入っても追い出されない。
道に迷っても笑われない。
財布を忘れても困らない。
そういう安全が、少しだけ寂しい時もある。
けれど、寂しさを抱えたまま歩けるなら、それで充分だ。

もう少しで、出発点に戻る。
自分の部屋の前まで来ると、ドアノブが見える。
部屋のドアノブが、街の景色の一部として立っているのはおかしい。
でも空想では、それが普通だ。

ドアを開けると、布団が見える。
天井が見える。
そして、静けさが見える。
静けさが見えるというのは変だけれど、深夜は見えるものが増える。

目を開ける。
現実の部屋がそこにある。
でも、さっきより少しだけ広く感じる。
前回と同じだ。
歩いたぶんだけ、部屋が広がる。

僕は、自分の体に意識を戻す。
手は冷たい。
足も冷たい。
でも胸の中に、さっきの喫茶店の湯気がまだ残っている。
胸の内側が少しだけ曇っている。
それは悪い曇りじゃない。

深夜の空想散歩は、外出しない話だ。
外出しないのに、どこかへ行く話だ。
どこかへ行くのに、何も手に入れない話だ。
何も手に入れないのに、少しだけ救われる話だ。

この救いは、小さい。
だから信用できる。
大きな救いは、時々、嘘くさい。
でも小さな救いは、生活に似ている。
生活に似ているものは、たいてい本当だ。

僕は布団の中で、小さく息を吐く。
それが合図みたいに、さっきまで頭の中で歩いていた街が、ゆっくり畳まれていく。
薄い紙が折り畳まれて、机の引き出しに入れられる。
明日も使えるように。

そして僕は、やっと眠りに近づく。
眠りは、勝ち取るものではない。
夜が手渡してくれるものだ。
手渡してくれるまで、僕は歩く。
靴のいらない散歩を。

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ヒーリング小説家 髙橋P.モンゴメリー よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!