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Kに会いに

最近、俳優Kが主演を務めるドラマを見た。
見始めた頃は、また最初の1回だけ見て止めてしまうんだろうと思ったが、あまり映画やドラマを見ないせいか、舞台もこなすというKの演技がやたらと新鮮で、すっかり魅了されてしまった。気が付くと、休むことなく完走していた。
相変わらず最初の1回だけ見て、止めてしまうことが少なくないが、これをきっかけに、完走できるものが少しは増えてきたように思う。

このドラマを見ているうちに、重たい蓋で封印しているのに、それでもいまだに私を操る、呼び起こしたくもない記憶が蘇ってきた。ドラマのあるシーンと、私の中学生時代がシンクロしてしまったのだろう。
私は中学生になって間もなく、小学生のような無邪気さと、空気の読めない言動のせいで、後にクラスのリーダー格になるアイツと対立し、翌日から、見事に孤立した。
前日まで普通に話していたクラスメイトも急によそよそしくなり、その状況を知っているはずの大人たちでさえ、ただ傍観しているだけだった。挙句の果てに「あなたはひとりで大丈夫」なんて言われる始末。
私は「少年ケニヤ」の単行本を片手、いや、両手に持ち、なんとかその1年をやり過ごした。
ドラマの中では、大人がピンチの子供を救っていたし、それは当然のことだと思うが、そうしてもらえなかった私は、あの時心に決めた。「絶対に先生にはならない」と。

2年生に進級して、アイツとは違うクラスになったので、その後の中学校生活は平穏なものになったかと言えば…そんなことはない。
私はひどい人間不信になり、人と話すのが怖くなってしまった。無理矢理話そうとすると顔は引き攣るし、変な話、今でも時々、無理矢理話そうとしているわけでもないのに、なぜか顔が引き攣ってしまうことがある。自分ではどうにもできないから始末が悪い。
残りの2年間は、具合の悪いインコみたいに過ごしていたが、それでも、アイツと二度と関わらないで済むと思うと、気持ちはフワッフワッの羽毛のように軽かった。
ところが、アイツが私の進路にも容赦なく影響を及ぼしてきた。運の悪いことに、アイツと同じ高校を志望してしまった。どうしてもアイツと同じ高校に行きたくなかった私は、仕方なく別の高校に行くことにした。

高校でも冴えない毎日を送っていた。
相変わらず人と話すのが怖かった私は、自分から線を決め、孤立するという、謎の行動をとった。
ところが、こちらが距離を取ろうとしているのに、なぜか距離を詰めて来る不思議な人たちもいて、その不思議な人たちの中に、今でも「友達」と呼べる人がいる。思い起こすと、高校は中学校よりも、ずっと面白かったと思う。
それでも修学旅行は憂鬱だった。行先はハワイだったのだが、どうやってハワイで数日間を過ごせばいいのか、全くわからなかった。国内ならともかく、初めての海外だったので、さすがにひとりで過ごす度胸はなかった。
不思議な人たちと一緒にいたくても、彼らが私と一緒にいてくれるかどうかはわからなかったので、「ひとりハワイ」をする覚悟を決めなければならなかった。
結局、「ひとりハワイ」をすることにはならなかったが、ハーゲンダッツでマカデミアナッツ入りのバニラアイスクリームを買って、それを食べながら、夕方のワイキキビーチを散歩したことと、太陽をモチーフにしたヘッドが付いたペンダントを買ったことしか覚えていない。

あれこれいろいろあったが、何とか無事に高校生活を終えて、上の学校に進学し、卒業後は地元の病院に勤め始めた。
相変わらず人と話すのは苦手だったが、不思議なことに、病院に来る患者さんやそのご家族のように、毎日顔を合わせる必要がない人とは、普通に話せるようになっていた。仕事も希望していたものだったので、当然、ここにずっといるんだろうと思っていた。
ところが、いつの頃からか、私の中で何かが息を潜めているのを感じるようになった。
最初は草むらの中で、じっとこちらをうかがっていた何かが、ゆっくりと長い首を持ち上げて立ち上がり、やがて目の前にデーンとそびえ立った。ブラキオサウルスだ!そして、こちらにニンマリと歯を出して笑いかけて来た。
そしてブラキオサウルスに促されるように、ある日突然、私は病院を辞めた。

どうやら高校の修学旅行でも、ブラキオサウルスの影らしきものを見ていたような気がする。
私は高校の修学旅行で初めて飛行機に乗った。飛行機に乗る前は、緊張の余り、用もないのに何回もトイレに行く始末だったのだが、飛行機に乗ると、客室の空気のしっとりとしたフローラル系の良い香りと、CAさんの「こんばんは」という声に迎えられ、安心したのを覚えている。
通路を進むと、そういう柔らかい雰囲気とは全く違うシステマチックな座席が目の前に現れたが、案内された窓際の座席は思ったよりも座り心地が良く、飛行機が動き出すと、窓の外を眺めながら「これからハワイに行くんだ」と、ちょっとした高揚感さえ覚えた。
深夜便だったので、恐らく私は寝て過ごしたんだと思うが、目を覚ましてしばらくすると、間もなくホノルルに到着すると、CAさんのアナウンスが聞こえてきた。
オアフ島が見えるんじゃないかと窓から外を眺めていると、海に浮かぶ小さな島が見えてきた。それを目で追っていると、不意にシニヨンのCAさんが話しかけてきて、その島の説明をしてくれた。
そのCAさんは、何か特別なことをしてくれたわけではなかったのだろうが、その出来事がひどく私の胸に刺さり、そのCAさんのことを「カッコいい」と思ったのを、今でもはっきりと覚えている。
その直後に、大好きな歌手Kが歌う、その航空会社のキャンペーン・ソングが流れてきたからたまらないし、鳥肌が止まらない。
その時のシーンが、無意識のうちにしっかりと焼き付けられたのだろう。しばらくの間は、それは私の中で、影として静かにそこに潜んでいたのだが、タイミングを見計らったようにムクッと起き上がり、無視できない存在になっていた。

私はあっさりと病院を辞めて、アルバイトをしながら航空会社を目指した。というよりか、病院を辞めてすぐに応募した航空会社に合格すると思い込んでいたので、不合格の通知を受けて、アルバイトをせざるを得ない状況になったというのが、正確なところだ。
一度社会に出ているので、年齢的に狙えるのは外資系の会社だけだった。外資系の会社だけに英語は必須だったので、英会話だけは一生懸命勉強した。
書類が通った場合に備えて、面接で受け答えができるように、ある程度準備はしておいたのだが、書類が通ることはほとんどなかった。
それでも、ほんのいくつかは面接まで辿り着いたが、全て撃沈に終わった。丸暗記の答えは全く役に立たないことが、当たり前のことだが、その時痛いほど身に染みた。
そんな様子の私を見かねてか、ある日私の英語の先生が、マレーシアで英語を学んではどうかと勧めてくれた。

今や英語を母国語としない人が英語を話すことも多いし、そういう人たちが増えていると思った私は、マレーシアで学ぶということに特に疑問も感じず、ひとりでマレーシアに飛んだ。
多少なりとも英会話を勉強していたので、何とかなるんじゃないかと思っていた私は、自分の英語力のなさに衝撃を受けた。まるで生まれたての赤ちゃんのように、ほとんど何も喋れなかった。
しかしそこで暮らすには、英語を話さなくてはどうにもならなかったので、現地の人々に暖かく見守られながら(?)、今思い出すと赤面するような失敗を重ねながら、少しずつ赤ちゃんから脱却していった。
また、人と話すのが怖くなってしまった私を、自分から話をしなければ何も伝わらないし、何も始まらない状況に、意図せず置くことになったことは、あの頃からずっと引きずって来た重たいものを、少しずつでも軽くするきっかけになったのではないかと思う。

マレーシアの街角を歩いていると、見知らぬ高齢の男性に、いきなり脚を蹴られることが度々あった。最初は「混雑していたから、ぶつかっただけかな」なんて思っていたが、さすがに度々そういうことがあると、不安に思うようになった。
ある日、現地で知り合った男性が、「あなたを責めているわけではないからね」と前置きし、戦時中のマレーシアで、その男性が幼い頃に、日本兵にされたひどいことをありありと語ってくれた。きっとその男性は、長い間行き場のなかった想いを抱えたまま生きてきたんだろうと思った。
実はそういう話を聞くのは、それが初めてではなかったので、教科書で学ぶ歴史と現実とでは乖離があるものだと思った。
その時、私の脚を蹴ってサッと逃げていく高齢の男性のことを思い出した。その男性は私が日本人だと気が付いて、蹴りたい衝動に駆られたのではないかと思った。
日本兵は、自分の意志でそうしたのか、誰かの命令に従ってそうしたのかはわからないが、きっとその高齢の男性も、かつて日本兵にひどいことをされて、そんなに高齢になるまで、怒りや悲しみを内に溜め込んだまま、ここまで来てしまったんだろう。
私を蹴っても、怒鳴り散らかすわけでもなく、足早に逃げてしまうのは、本当はそんなことをしたくないのに、沸き上がる衝動が抑えきれなくなってしまったのだろうと思った。
その男性がなんだか気の毒に思えてきた。それでも、いきなりでも、いきなりじゃなくても、わけもわからず知らない人から蹴られるのはまっぴらだが…
この構造はよく考えると、「いじっただけ…」とか「ゲーム、ゲーム!」とか言って、寄ってたかって誰かに何かをするものと似ていると思った。
何かをする側は遊びの延長で、大したことはないと思っているのだろうが、何かをされた側にとっては、人生を左右するような大事件なのかもしれない。
それに何かをする側は、すぐに自分のしたことを忘れるかもしれないが、何かをされた側は、その高齢の男性のように、何かをする側が思っているよりもずーっと長い間、重たいものを抱えながら生きていかなくてはならなくなってしまうから…私も気を付けなければ。
その現地で知り合った男性は、私にかなり重たい話を投げかけてくれたわけだが、それにしても、最寄りのバス停に送って行ってくれた彼の車のスピードメーターが、どんなにアクセルを踏み込んでも、ある1つのポイントを中心にブイーン、ブイーンと振り子のように揺れているだけなのが、あまりにも緩すぎて今でも忘れられない。

マレーシアは、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教などを信仰する様々な人たちが集まった文化の交差点であり、多様性を認め合う文化のおかげか、日本人の私も暖かく受け入れてもらえた。
マレーシアで過ごした日々は、五感で感じられる全てのものが新しかったし、いろいろ考えさせられることも多かった。
大雨の日に雨漏りが発生して、みんなでバケツリレーをするとか、お腹を壊した時にトイレも壊れるとか、来るはずの電車が来ず、ホームで2時間以上過ごすとか、海で泳ごうとしたら、ナマコを踏んで焦るとか、ちょっとユニークなことも少なくはなかったが、良いこと、悪いこと、面白いことなどを含めていろいろな経験をした私は、いよいよ帰国することになった。
当然、年齢が許す限り、航空会社を諦めるつもりはなかったが、帰国直前に「日本で英語を教えてみないか」と持ちかけられたのは、思いがけないことだった。
「えーっ、嘘でしょー!よりによって先生だけは勘弁してよ…」と全力で断るつもりだったのに、相手の押しが強すぎて、断るに断れなくなってしまった。
それでも私は航空会社に合格するつもり満々でいたので、「先生」は、ほんの一瞬だけのつもりでいた。
だから、まさかのこんちくしょうの「先生」を、今もなお続けているのが不思議でならない。

私の航空会社への憧れは、年齢と共に、儚くも散っていき、やがて私は純度100%の英語の先生になってしまった。
まさかの「先生」になってしまったことが、かなりの屈辱だったので、病院を辞める時に「航空会社で働く!」と言えずに、咄嗟に言った「翻訳家になる!」を実現させようとしたこともあった。
ほんの少しだけ、技術翻訳の仕事をしていたこともあったが、それも長くは続かず、結局は英語の先生として、毎日を過ごすことになった。
先生を長く続けていると、航空会社や空港で働くことに憧れる人たちもやって来る。そして彼らの中には、私のところを巣立っていって何年か経った頃に、「〇〇航空のCAに合格したよ!」と連絡をくれる人もいた。
その時改めて「ああ、私はあっち側の人間ではなかったんだな…」と少し寂しく思ったが、「こっち側として、あっち側に行くべき人をサポートしていこう」とも思った。
そうしているうちに、気が付くと私は、相変わらずどこか抜けているが、かなりベテランの英語の先生になっていた。
このまま英語の先生を続けるのもいいのかもしれないが、あの時絶対にならないと決めた「先生」で終わっていくのは、ちょっと意味が分からないし、納得もいかない。
私の中にモヤモヤしたものが立ち込めてきたが、そのモヤモヤを追い払うように、何かが換気扇の羽のようにブンブン回っているのを、なぜか懐かしく感じていた。

ある秋の夜、私はドラマの中の俳優Kに出会った。
普段それほどドラマや映画を見ない私は、Kの、特に目線に釘付けになってしまった。「これは、演技なんだよね…」なんて当たり前のことを考えながら、頬杖をついて画面を眺めていた。
毎週毎週、ドラマの中でKに会っているうちに、なんとなく「私もあっち側に行きたいな」と思うようになった。
「あっち側⁈私はあっち側の人間じゃないぞ!」と思ったが、これは私の勝手な解釈だが、Kのようなアーティストのことを、Kのいる業界では「あっち側」と呼ぶのが自然だと思うから、私のやってみたいことは「あっち側」を盛り立てる「こっち側」ではないかと思った。長年「こっち側」でやってきたんだから、「こっち側」なら私は多分大丈夫なはず。
そういえば、私が幼稚園の年長さんの頃、何を思っていたのか、大学ノートの黄色い表紙に「おとぎのくに」と黒いマジックで書いて、最初のページに鉛筆で、2、3行、何やら書いていたな… 
「はがグラグラしたので、はいしゃにいきました」で締められていたので、その時、歯医者に行くような事態にならなければ、一体私は何を書こうとしたのか、今でもひどく気になる。
そんな小さな頃からすでに、もしかしたら私の中に、時々首を伸ばしたり、すくっと立ち上がったり、潜んだり、ブンブン尻尾を振り回したりするブラキオサウルス君が見え隠れしていたのかもしれない。

それ以来私は、相変わらず英語の先生を続けながら、少しずつだが何かを綴っている。
行き詰まったときには、Kの歌う、かつての航空会社のキャンペーン・ソングの新しいバージョンに励まされながら、テレビのCMに出ているKを眺めながら、今のところ何も変わっていないけれども、いつか「こっち側」として「あっち側」に関われればいいなと思いながら…
本当にそんな日が来るのかどうかはわからないけれども、どこに向かっているのかもわからないけれども、私はゆっくりと歩いている…Kに会いに。

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