瞬間を生きる

「今を生きる」とか「いま、ここ」とか言われ始めたのはいつ頃からだったでしょう。
少なくとも私が小学生の頃は、こんな概念はなかった(一般的ではなかった)と思います。

就職して、職場の人間関係や仕事上の問題を解決するために、手当り次第、自己啓発本を読み漁った時期があります。
そんななかで、少しずつ「今を生きる」みたいな概念に触れて、なるほどなぁ、と思ってきました。

正直、今でも「今を生きる」というのがどういうことなのか肌感覚での理解はできていません。頭で理解しているだけ。

だって、過去の記憶も未来の予想(創造)も持っているのですから。
長い棒を持って歩いているようなものです。
今、歩いているのは確かにここだけど、後ろの伸びている棒の先や前に伸びている棒の先があちこちにぶつかって、歩きにくいったらありゃしない。

***

ところが、この棒が極端に短くなって、今というより「瞬間に生きている」ように見えるのが母です。

ふと、頭の中で思いつく「あ、お昼だ、ご飯の用意をしなきゃ」
で、台所に立ち、自動運転機能のスイッチを入れて料理を始めます。
朝、何を食べたとか、弟に「これ食べてね」とか言われた記憶はまったく思考に上がってきません。
母の脳内は「あ、お昼だ、ご飯の用意をしなきゃ」これが全て。
まさにこの瞬間に生きています。

一通り、目の前の食材を炒めて味付けして、出来上がったら、次の行動へ移ります。
もう、今作った炒め物のことは綺麗サッパリ忘れています。

父の元へ行き、父といっしょにテレビをみているうちに、ふと頭のなかで思いつく「あ、お昼だ、ご飯!」
基本、母の思考の90%は食べることです(娘調べ)。

そして、おもむろに台所に立ち、「さて何を食べようか」と冷蔵庫をあける。
嫁が作ってくれたお惣菜が並んでいるので、その中からいくつか取り出して電子レンジに入れて温め直す。
その間に、父を呼びに行きます。「お昼だよ、ごはん食べるよ」

しかし、すでに「瞬間を生きる」母は電子レンジに入れたお惣菜を思い出すことはありません。

「何が食べたい?」「何でもいいよ」
主婦が大嫌いなワースト5に入るこの会話をしながら、母はまた考えます。
「何食べようかな」

斯くして、台所は食べられないまま、あちこちに散乱した食べ物で溢れかえり、疲れて帰ってきた弟を悩ませます。

「母ーーちゃん!!! プライパンの中!! レンジの中!!」
「もう何度言ったらわかるんだよ」

いえ、何度言ってもわかりません。
母の持つ棒はバトンのごとく短くて、いつも今この瞬間を生きているから。



タイトル画像は”上の森 シハ|Uenomori Shiha”さんにお借りしました。


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