『邪願霊』を観て、「記録映像」の怖さを思い出した
※この記事は映画の内容に触れています。
『邪願霊』を観ていて、まず驚いた。
1988年の作品でありながら、後のJホラーやモキュメンタリー作品につながる発想が、すでにこの映画には詰まっている。
舞台は、アイドル番組のロケ現場。
カメラが映すのは、特別な場所ではなく、ごくありふれたテレビ撮影の風景だ。
だからこそ、少しずつ混ざり始める「違和感」が妙に気になる。
雑音。
画面の隅に映る何か。
説明のつかないノイズ。
それらは派手に観客を驚かせるための演出ではなく、「たまたま映ってしまったもの」のように見える。
この「偶然らしさ」が、とても厄介だ。
映画を観ているはずなのに、「本当に撮れてしまった映像なのでは」と、一瞬だけ思ってしまう。
その感覚が、現実とフィクションの境界を少しずつ曖昧にしていく。
派手な怪異よりも、説明できない小さなノイズ。
後の『ノロイ』や『放送禁止』のような作品が好きな人なら、この空気感に見覚えがあるかもしれない。
『邪願霊』は、派手さよりも「記録されてしまった違和感」の怖さを積み重ねる作品だった。
今観ても、「記録映像」という手法が持つ不気味さは色褪せていないと感じた。
