野川流“映画の行間” ~今からお前は“179084”だ!~
「教えることが大好き、退屈な授業はしないつもり┅」

┅子供達に必要なのは作られた美しい物語や言葉ではない、荒削りでも、悲惨でも、残酷でも、それが「真実」であること┅
フランスの郊外、さまざまな人種が通う┅
レオン・ブルム高校
このクラスに歴史教師“アンヌ・ゲゲン”が就任する。
「あなた達を信じているのは私だけ┅?」
落ちこぼれや問題の多いこのクラスにゲゲンは、
“レジスタンスと強制収容所についての全国コンクール”
の参加を提案する。
「みんななら、このテーマを語れるはず┅」
渋々、のりもしない授業に、ゲゲンはアウシュビッツから生還した“レオン・ジゲル”を講師に迎える。
~ここからはこの作品の為に作られた台詞ではない。
ジゲル自らが語った真実の言葉である。~
ジゲルがゲゲンと一緒に教室に入る。
立ち上がる生徒達。
椅子に座るジゲル。
ジゲルは、話始めようと┅
「フゥ-」一息つくジゲル。
胸がいっぱいです。皆さんの立派な姿を見れて┅、
父が逮捕されたのは┅、1941年。フランス警察に捕まったのは父を含め4500人、その一人でパリ郊外のドランシー収容所に連れて行かれました。私たち子供3人は翌42年8月に捕まりました
~父の絶望を想像して見てください~
収容所の劣悪な環境で過ごし1年を生き抜いた頃に父はこう言われたのです。
「ジゲル、報告だ!君の子供達も来たぞ┅」
ポーランドに到着したとたん列車のドアを乱暴に開けられました、当時私は15歳で人生が一変しどこにいるのかもわかりませんでした。そこに通訳が現れ┅16歳から50歳迄の男は列車から降りろ!と┅、
私はまだ15歳でしたが兄が列車から降りたので私も一緒に降りました。
そのまま列車は老人と子供、女性を乗せて去って行った┅。
私達と一緒に捕まった姉はその列車でアウシュビッツへ連れて行かれました。
~その後、二度と会っていません~
(ジゲルは腕に彫られた番号を見せる) 私は男に言われるまま兵舎に入るとそこには囚人がいて私に番号の入れ墨をきざもうとしていました。彼の前に立ち“ジゲル”です、と名前を伝え机に(こんな風に)腕をのせました。名簿から私の番号を確認すると┅
~今からお前は“179084”だ!~
そして頭を上げ私がほんの少年だと気づいたのです。
~これは子供の腕だ~ 彼は視線を上に上げほんの数秒私を見つめました┅
永遠のような(とても長い)一瞬でした。
そして、今から良いものを与えると言って、私の腕に番号を刻み始めたのです。
~これがお前の番号“179084だ!~
“179084”これが私の番号です。
翌日サイレンが鳴って点呼の為に集合させられました。私達は最初の夜のうちに亡くなった仲間を運びだし地面に下ろしてその後ろに並びました。一人では疲弊しきって歩けなくなった仲間達も一緒に連れて行きました。彼らは疲れきっていて苦しそうに私達を見ていました。
~死を悟っても生きたい!と望んでいたのです~
父は体が丈夫ではありませんでした。ある朝、いつもの通り点呼を済ませ仕事に行こうとしました、すると、親衛隊長が一枚の紙を持って現れ通訳がその場でこう言ったのです┅
ここで今番号を呼ばれた者は広場の診療所に連れていくからこちらに並べ┅と。
そこで回復したらまた戻ってきてもらう┅
そんな診療所などない!ことはみんな知っていました。
病人はアウシュビッツに送られ┅
焼かれるか、ガス実態で殺されます。
親衛隊長が該当者の番号を読み始めます。
~途中でついに父の番号も呼ばれました~
私達は親衛隊に悲しむ顔など見せまいとしました、
涙をぐっと我慢して 父に
~さようなら~
「お父さん、きっと治してくれるからまた会おう┅」
と、言いました。
診療所など嘘と知りながら父もこう答えました┅
「お前達、心配するな!体を治してもらえるんだ┅、
元気になったらまた戻って来られる┅また一緒に暮らせるさ
┅」
そう言って、父は去り┅
~それきり、会っていません~
「これが真実です。」
私は“神”は信じませんが、人間は信じています。
皆さんを信じています。
レオン・ジゲル
私がこの作品を観たのは、2016,11/7
~この授業を受けている生徒同様に私も何度も泣いた。~
このジゲルとの対話の授業を通して生徒は変わっていった、元々落ちこぼれも問題のある生徒などもいなかったのである。
コンクール、その結果発表当日、固唾を飲んで見守るなか┅
~第1位、優勝校はレオン・ブルム高校、1年生
アンヌ・ゲゲン先生~
と発表される。
これは、学校からも見放され問題児のクラスと揶揄された生徒達と歴史教師アンヌ・ゲゲンそして生還者レオン・ジゲル
の、 真実の物語である
映画、「奇跡の教室~受け継ぐ者たちへ~」
監督 マリー=カスティユ、マンシオン=シャール、
レオン・ジゲル、
1927年5月14日~2015年1月29日、(享年87歳)
この作品がフランスで公開されたのが、2014、12/3
公開されてわずか約1ヶ月半後の、2015,1/29、87歳でこの世を
去った。彼は自分の真実の言葉が世界へそしてこれからこの作品に触れようとするあなたに届くのを見届けることもなく、自分の役目を終えたと悟ったかのように旅立った┅、
~受け継ぐ者たちに、バトンを渡して~
http://www.youtube.com/watch?v=k7JnK4VJR54
終わり。
野川流“映画の行間”をお読みいただきありがとうございます。映画を綴らせていただいてこれが七作品目になります。過去作もお読みいただけましたら嬉しいですし、これからの執筆活動の励みにもなります。
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最後まで読んでいただきありがとうございます。もし魂に届くものでありましたら執筆の糧として応援をいただけると嬉しいです。