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うつ病パパが「ちゃんと遊ぶ」をやめて楽になった話

子どもと遊ぶことが、しんどい日があります。

こう書くと、少し冷たい親のように見えるかもしれません。
でも、正直なところ、私は何度もそう感じてきました。

子どもはかわいいです。
笑ってくれると嬉しいし、名前を呼ばれると、やっぱり近くに行きたくなります。

それでも、メンタルの調子が悪い日は、床に座るだけで重い。
絵本を読む声が出ない。
ごっこ遊びに付き合う余裕がない。
おもちゃを渡されても、うまく反応できない。

そんな日があります。

以前の私は、子どもと遊ぶなら「ちゃんと遊ばなければいけない」と思っていました。

絵本を最後まで読む。
ブロックを一緒に作る。
外に連れて行く。
スマホを見ずに向き合う。
子どもが満足するまで相手をする。

もちろん、できる日はそれでいいと思います。

でも、うつ病の症状や強い疲労感がある日に、それを毎回の基準にすると、かなり苦しくなります。

私は「ちゃんと遊ぶ」を目指すほど、遊べない自分を責めるようになっていました。

この記事では、うつ病パパとして子どもと暮らす中で、「ちゃんと遊ぶ」を少し手放して楽になった話を書いてみます。

立派な育児論ではありません。
でも、しんどい日に子どもとどう関わればいいかわからなくなる方に、少し近い温度で届けばいいなと思っています。

「ちゃんと遊ぶ」の基準が、いつの間にか高くなっていた

子育てをしていると、いろいろな情報が目に入ります。

親子でたくさん遊ぶ。
外遊びを大切にする。
絵本を読む。
知育になる遊びを取り入れる。
子どもの気持ちを受け止める。

どれも大切なことだと思います。

でも、調子が悪い日にそれらを全部見ていると、「自分は全然できていない」と感じやすくなります。

私もそうでした。

子どもが車のおもちゃを持ってきたとき、本当は一緒に走らせて遊んであげたい。
でも体が重くて、少し声をかけるだけで精いっぱい。

絵本を持ってきたとき、本当はゆっくり読んであげたい。
でも頭が回らなくて、ページをめくるだけで疲れてしまう。

そういうときに、「ちゃんと遊べていない」と思うと、どんどん苦しくなります。

子どもと遊ぶ時間のはずなのに、頭の中ではずっと自分を責めている。

正直、それはあまり健康的ではありませんでした。

子どもがほしいのは、完璧な遊びだけではないのかもしれない

ある時期から、少し見方を変えるようになりました。

子どもがいつも求めているのは、完璧に作り込まれた遊びだけではないのかもしれない。

もちろん、一緒にたくさん遊べたら嬉しいと思います。
外に行ける日も、絵本を読める日も、全力で相手ができる日も、大事です。

でも、毎回そこまでできなくても、子どもは親の小さな反応を受け取っているのかもしれません。

積み木を積んだときに、「高いね」と言う。
車を走らせたときに、「速いね」と返す。
絵本の動物を指さしたら、「犬だね」と一緒に見る。

たったそれだけでも、子どもにとっては「見てもらえた」という時間になることがあります。

私はそれに気づいてから、少し楽になりました。

遊びを「長く、正しく、充実させるもの」と考えると苦しくなります。

でも、「短くても、少しつながる時間」と考えると、できる日が増えました。


ここから先は、私が「ちゃんと遊ぶ」を手放すために試している小さな工夫を書いていきます。



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