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「子どもを産み育てやすい社会」って、実際には何が必要なんだろう

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「子どもを産み育てやすい社会」という言葉を、ニュースや政策の話で聞くことがあります。

大事な言葉だと思います。

ただ、少し大きすぎる言葉でもあります。

何があれば、子どもを産み育てやすい社会と言えるのか。

お金の支援なのか。
保育園なのか。
働き方なのか。
夫婦で育児を分け合えることなのか。
それとも、子育て中の親が責められにくい空気なのか。

たぶん、どれか一つだけではないのだと思います。

私は専門家ではありません。

うつ病の症状と付き合いながら、未就学の子どもを育てている父親の一人です。

だから今日は、制度を大きく分析するというより、日々の暮らしの中から「本当に必要なものって何だろう」と考えてみます。

朝の不安が少し減るだけでも、かなり違う

子育てをしていると、朝がこわい日があります。

子どもが熱を出していないか。
保育園に行けるか。
仕事を休む必要があるか。
自分の体調がもつか。
夫婦でどちらが動くか。

こういうことを、起きてすぐに考える日があります。

子どもはかわいいです。

でも、子どもがいる暮らしは、予定どおりに進みにくいです。

前日の夜に準備していても、朝になって全部変わることがあります。
熱が出ることもあります。
親の体調が落ちることもあります。
保育園の持ち物を忘れていて、あわてることもあります。

そんなときに、ひとつひとつの家庭だけで全部を抱えるのは、かなりしんどいです。

私にとって「産み育てやすい社会」は、まず朝の不安が少し減る社会です。

子どもが体調を崩したときに、仕事を休むことを必要以上に責められない。

保育や一時預かりの選択肢が、必要なときに少しでも使える。

親が体調を崩したときに、「それでも全部自分でやるしかない」と追い詰められない。

大げさな理想ではなく、そういう小さな逃げ道があることです。

お金の支援はありがたい。でも、それだけでは足りない

子育て支援のお金は、本当にありがたいです。

児童手当や医療費の助成、保育に関わる負担軽減。
家計を見ていると、ひとつひとつの支援が大きな助けになります。

ただ、お金だけで全部が楽になるわけではありません。

子育てのしんどさには、お金以外のものも混ざっています。

時間。
体力。
気力。
仕事を休めるかどうか。
夫婦で話し合う余裕。
周りに頼れる人がいるか。

こういうものが足りなくなると、家計に支援があっても、暮らしは苦しく感じます。

たとえば、少しお金の支援があっても、子どもが熱を出した日に誰も休めなければ困ります。

保育園に預けられない日が続けば、収入や仕事にも影響が出ます。

親のメンタルが落ちていると、安い食材を買って自炊することさえ難しい日があります。

そういう日は、惣菜でも、冷凍食品でも、デリバリーでも、とにかく家族が食べられたら合格にしています。

でも、それが続けば家計は苦しくなります。

ここで「もっと節約すればいい」と言われると、正直つらいです。

節約できない日には、節約できない理由があります。

子どもを産み育てやすい社会を考えるなら、お金だけでなく、時間と体力の余白も一緒に見てほしいと思います。

「自己責任」で片づけない空気がほしい

少子化や子育ての話になると、どこかで「産むと決めたのは自分でしょ」という空気を感じることがあります。

もちろん、子どもを育てる責任はあります。

親として向き合うことは、たくさんあります。

でも、それを全部「自己責任」で片づけてしまうと、子育てはかなり孤独になります。

子どもを育てることは、家庭の中だけで完結しません。

保育園。
病院。
職場。
地域。
制度。
家計。
交通。
買い物。

いろいろなものとつながっています。

どれか一つがうまくいかないだけで、家庭の中にしわ寄せがきます。

わが家でも、予定が崩れた日に夫婦で余裕がなくなることがあります。

どちらが悪いわけでもないのに、会話が少し刺さる日があります。

本当は「大変だったね」と言いたいのに、「なんでこうなったの」と言いそうになる日もあります。

そういうとき、家庭の中だけで頑張り続けるのは難しいです。

だから、子育てを個人の覚悟だけにしない空気が必要だと思います。

頼っていい。
休んでいい。
外のサービスを使っていい。
完璧にできない日があっていい。

そういう前提が、もう少し当たり前になってほしいです。

メンタル不調がある親にも、暮らせる余白がほしい

私自身、うつ病の症状がある中で子育てをしています。

正直、できない日があります。

子どもとたくさん遊んであげたいのに、体が重い日。
家計を見直したいのに、数字を見る気力が出ない日。
夫婦でちゃんと話したいのに、言葉を選ぶ余裕がない日。

そういう日があります。

メンタル不調がある親にとって、子育ては「気合いで乗り切るもの」だけではありません。

気合いで動ける日もあります。

でも、気合いではどうにもならない日もあります。

だからこそ、最低ラインで回せる仕組みが必要です。

ご飯が手抜きでもいい。
部屋が少し散らかっていてもいい。
家計簿が数日止まってもいい。
子どもが安全で、家族が今日をなんとか過ごせたら、それで合格にする。

家庭の中でそう考えることも大切です。

でも、それを家庭だけの努力にしすぎると、また親が苦しくなります。

社会の側にも、「完璧な親」だけを前提にしない仕組みが必要だと思います。

体調が悪い日にも使える支援。
急な予定変更を責めすぎない職場。
保育や相談につながりやすい環境。
家事や育児の外注を、ぜいたくではなく選択肢として見られる空気。

こういうものが少しずつ増えるだけで、救われる家庭はあると思います。

家庭の中でできる小さなこと

社会の仕組みは、すぐには変わらないことも多いです。

だからといって、家庭の中で全部を抱え込む必要もないと思います。

わが家では、少しずつ「最低ライン」を決めるようにしています。

たとえば、しんどい日のご飯は、栄養満点でなくてもいい。

家計管理は、毎日細かく見なくてもいい。

夫婦の会話も、長い話し合いが無理なら「今日は余裕がない」だけでも伝える。

予定が崩れた日は、原因探しより先に、今日どうするかを決める。

きれいにできているわけではありません。

今でも、言い方を間違えることがあります。
疲れていると、家計の話が重く感じることもあります。
子どもに対して、もっと穏やかでいたかったと思う日もあります。

でも、完璧を目指すより、戻れる形を持っておくほうが大事だと感じています。

子どもを産み育てやすい社会も、もしかすると同じなのかもしれません。

完璧な制度が一つあることより、困ったときに戻れる場所がいくつかあること。

家庭、職場、保育、医療、地域、家計支援。

そのどこか一つでも、少し受け止めてくれる場所があること。

それだけで、親の気持ちはかなり変わると思います。

産み育てやすさは、安心して迷えることかもしれない

子どもを産み育てることに、不安がまったくない社会を作るのは難しいのかもしれません。

育児には、どうしても予想外のことがあります。

お金も、時間も、体力も、思ったとおりにはいきません。

でも、不安があることと、孤立することは違います。

迷いながらでも、誰かに相談できる。
困ったときに、使える支援がある。
休むことを、必要以上に責められない。
親も一人の人間として、体調や限界を持っていることを前提にしてもらえる。

そういう社会なら、少しだけ「育てていけるかもしれない」と思いやすくなる気がします。

私は、子育てをきれいごとだけで語りたくありません。

子どもはかわいいです。

でも、育児はしんどい日があります。

お金の支援はありがたいです。

でも、時間と体力の余白も必要です。

親の責任はあります。

でも、全部を自己責任にしないでほしいです。

「子どもを産み育てやすい社会」に必要なのは、たぶん大きな制度だけではありません。

しんどい日でも、家庭が完全に崩れずに済む小さな支え。

親が自分を責めすぎずに済む空気。

困ったときに、もう一つ選べる道。

そういうものが積み重なって、少しずつ暮らしやすさになっていくのだと思います。

今日も全部を整えられなくても大丈夫です。

子どもが安全で、家族がなんとか一日を終えられたなら。

それだけでも、十分に大きなことだと思います。


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