「政策」の呪力 自民党総裁選の日に
自民党総裁選では、4候補がさまざまな政策課題について論争を繰り広げたーーということになっている。
たとえば、安全保障政策について。アベノミクスの評価含めた経済政策について。コロナ対策について。
これから総選挙になれば、さらに多くの政策と議論が入り乱れることになる。
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ところでーー私は昨日から6世紀の仏教伝来に関する本を読んでいるのだが(曽根正人「日本仏教の黎明」『倭国から日本へ』所収)、「政策」とは何かについて考えさせられていた。
教科書で知るとおり、「仏教」を取り入れるか、「神道」だけを今のまま信じるか、当時のヤマト政権内では論争がおこなわれていた。
「仏教」を推したが、ご存じ蘇我氏。蘇我氏は朝鮮半島との結びつきが強い氏族であり、大陸での仏教の隆盛に早くから触れていた。「仏教」の呪力が優れていると主張したが、それは氏族の勢力拡張の手段でもあった。
「神道だけ」を推したのが物部氏だ。物部氏は、いかに仏教の呪力が優れていようと、外国の神である「仏教」を取り入れると古来の「国神」が怒るので、逆効果だと主張する。蘇我氏がすでに輸入していた仏教用具・施設なども廃棄するよう求めた。
一般には、「日本書紀」の記述にしたがい、仏教が日本に伝わったのは、欽明天皇治世の538年または552年とされている(仏教公伝)。
しかし、欽明天皇も、次の敏達天皇も、実際には仏教の輸入に積極的ではなかった。天皇自身が仏教に帰依した様子もない。
「仏教」の効果は、まだ確定的とみなされなかったのだ。たとえば「仏教公伝」以後も、疫病が流行したとき、「国神のたたり」として仏像が廃棄されたりしている。
「仏教」VS「神道」、蘇我氏VS物部氏の論争は、長く続いていたのである。
仏教公認に大きく傾いたのは、586年に即位した用明天皇だった。即位2年目に用明天皇は病気となり、天皇として初めて仏教に救いを求めようとした。
ここでも、物部氏と蘇我氏は激しく論争したが、蘇我氏の「天皇(当時は大王だが)の意思にしたがうべき」という主張が通った。
天皇は仏教に救いを求め、結果はーーよく分からない。用明天皇は結局亡くなるのだが、仏教に頼ったせい、「国神のたたり」だ、とは言われなかった。
逆に、これ以後に仏教が本格的に取り入れられ、物部氏の勢力が衰えていく。
たぶん、国神(神道)の呪力はあまり効かないということが、それ以前から定評になりつつあったのだろう(だから、用明天皇は仏教に頼った)。
そして用明天皇の死は、仏教の力が弱いのではなく、仏教への信仰が足りなかったから、と見られたようだ。
背景にはもちろん、物部氏と蘇我氏の権力闘争があった。蘇我氏は、武力とともに、論争のロジックでも優ったのだろう。
最終的に、594年(推古2年)に「三法興隆」の詔が出て、実質的にも日本国(当時は倭国)は仏教公認となる。
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注目したいのは、「仏教」VS「神道」の対決は、当時の目からは宗教論争ではなく、どちらの効果(呪力)が優れているか、という政策論争だったということだ。
今のわれわれから見れば、ナンセンスに思える。「仏教」にせよ「神道」にせよ、どちらの呪力も、国家が解決すべき課題、疫病や飢饉などには無力だと思うからだ。
現在も、もちろん、個人的に宗教に頼るのは自由だが、政府が「呪力」に頼るのは、日本含めた先進諸国、いわゆる世俗国家ではありえない(天皇家の神道祭祀は続けられているにせよ)。
しかし、当時の政治権力にとって、武力で解決できない場合に、頼るべきは「呪力」しかなかった。そして、国運と人命がかかっているので、その効果の判定には慎重であった。昔の人はバカだから安易に呪術に頼った、とは言えないのである。
そして、時間をかけて、また天皇自らの健康をかけて検証した結果、仏教は効果がある、と判断されたわけである。「仏教」という政策の勝利だ。
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ひるがえって、現在のわれわれの政策論争はどうだろう。
金融緩和などのアベノミクスは日本経済回復に効果があったのか。
人流抑制などの政府分科会策はコロナ抑制に効果があったのか。
あったといえばあったし、なかったといえばなかった。何がどこまでどう効いたか、必ずしもはっきりしないし、永遠にわからない部分もあるかもしれない。
後世の歴史家が現代を振り返れば、今のわれわれの政策論争も、古代の「宗教論争」と変わらなかった、となるかもしれない、と思った次第である。
