深田萌絵の声に萌絵る 女の声について
深田萌絵が何をやろうが何を主張しようが関係ない。
彼女の「声」が好きだから彼女を応援している。
という男が私以外にも一定数いると思うので、今日はその思いを代弁したい。
(五月書房新社の出版物の問題で、深田側の主張が突飛なのは確かだが、出版社やマスコミ側の反応も、私のマスコミ経験から言って少し変だ。でも、それについてはもう少し成り行きを見たい)
私が「声が好き」で追っかけてるのは、深田萌絵と、在日中国人のヤンチャンだ。
二人の声を聞けば、私の女声の好みがわかると思う。
中国人の私、なぜ千葉に移住?(ヤンチャンCH/楊小溪)
権力には屈しない。新しい時代の主権は貴方。(深田萌絵TV)
私の耳には、深田萌絵とヤンチャンの声は同じ系統だ。鳥類なら、同じ鳥の鳴き声だ。
ハイピッチで、ややハスキーな感じ。鳴き方、というか話し方も似ていると思う。
これは性欲はあまり関係ないと思う。
進化論的に、女の声は、基本的に男に好ましいようになってはいるだろう。(子供の声が大人にとって「かわいい」ように)
その意味では、女の声はすべて男には「セクシー」なはずだ。
でも、深田やヤンチャンの声が好き、というのは、私は音楽の趣味に近いと感じる。
女の声が基本的に男にとって「セクシー」であるとしても、好きな音楽と好きでない音楽があるように、好きな声と好きでない声がある。
また、誰にとっても好ましい声というのはあり、だから声優のような職業も成り立つ。
でも、ここでの話は、そういう意味での「いい声」ではない。
そういうユニバーサルな「いい声」は、こちらが頼まなくても提供されている。
ここで話しているのは、自分で探さないと手に入らない類の趣味の領域だ。
深田萌絵もヤンチャンも、美人だと思うし、そのことが関係ないとは言わない。
でも、美人でも、声が好きでないなら、私は好きでない。
若い時、その理由で、女を振ったことがある(今から考えると申し訳なく、もったいないが)。
そして、容姿は関係なく、声が好きだから付き合った、ということもある。
俗に、美人は3日で飽き、ブスは3日で慣れるという。
ひどい言い分だと思うが、一面の真理かもしれない。
しかし、「声」は、「顔」よりも永続的な特徴だ。
好きでない声には一生慣れないし、好きな声は一生飽きないと思う。
職場でも、好きでない声の女がいるとイライラした。
好きな声の女は、何をしても許せた。
その意味で、結婚相手の条件としては、顔よりも声が重要だと私は思う。
それなのに、声の特徴が、顔とか身長とかほど重視されないのは、本当に不思議だ。
声も、容姿と同様に、生まれつきのものだ。
そして、自分の声というのは、容姿以上に、客観視しにくいものだと思う。
声が好きだから付き合っていた女は、自分の何がこの男に好かれているのかわからなかったかもしれない。
「君の声が好きだから付き合っている」と言ったところでーー言ってないがーーキョトンとされるだけだろう。
私は、他人に関心が薄いのだと思う。
他人の主張とか、人柄とかに、そんな興味ない。(歳をとって、ますますそうなりつつある)
人々が喋っているのを、私は鳥のさえずりのように聞いている。
鳥の鳴き声はだいたい心地よい。その中でも、とくに心地よい声がある。
そういう意味で、私は人と鳥を同じように、同じくらい愛している。
ちなみに、私は自分の声が嫌いだ。
これはもうはっきり、ひどい声だ。
私の声は他人を不快にさせているに違いなく、これはどうしようもない。
自分の声にコンプレックスを持っている人は、私以外にも多いだろう。
それは、身長コンプレックスと同じで、解消できない。
それだけに、「よい声」を持っている人は、本当にうらやましい。
その自分の魅力に気づいていない人もいるかもしれない。それはもったいない。
私は、男の声にも好みがあり、それについては次の機会に語ろう。
たまたま昨日、三島由紀夫が「女の声」について語っている文章をXで連投している人がいた。
おこがましいが、彼の「声」についての感性は、私に似ていると思う。
三島由紀夫が女性の声に関して、キンキン声は嫌いだから声に翳りがほしい、言わば「風が吹くたびに木かげと日向が一瞬入れかわる、そういうしずかな、あまり鬱蒼と濃くない木影のような声が私は好きだ」と説明しているの、なんとも素敵な比喩で好きだなあ
三島由紀夫が女性の声に関して、キンキン声は嫌いだから声に翳りがほしい、言わば「風が吹くたびに木かげと日向が一瞬入れかわる、そういうしずかな、あまり鬱蒼と濃くない木影のような声が私は好きだ」と説明しているの、なんとも素敵な比喩で好きだなあ
— Liz (@liztxt) June 18, 2025
あと同じ文章で女性の言葉遣いに関して、三島が「私は妙にあの『ことよ』という言葉づかいが好きだ。口の中で小さな可愛らしい踵を踏むように、『ことよ』と早口でいうのが本格である」と書いているのだが、この「口の中で小さな可愛らしい踵を踏むように」という比喩の良さ!
あと同じ文章で女性の言葉遣いに関して、三島が「私は妙にあの『ことよ』という言葉づかいが好きだ。口の中で小さな可愛らしい踵を踏むように、『ことよ』と早口でいうのが本格である」と書いているのだが、この「口の中で小さな可愛らしい踵を踏むように」という比喩の良さ!
— Liz (@liztxt) June 18, 2025
出典: 「声と言葉遣い」(決定版全集27巻) ほかにも「燻んだチョコレートいろの声も私は好きだ」とか、水谷八重子氏の声を「適度の甘ったれ、適度の可愛らしさ、彼女の声はいろんな程のよさの混合酒である」と形容していたりするのとかも面白い
出典: 「声と言葉遣い」(決定版全集27巻)
— Liz (@liztxt) June 19, 2025
ほかにも「燻んだチョコレートいろの声も私は好きだ」とか、水谷八重子氏の声を「適度の甘ったれ、適度の可愛らしさ、彼女の声はいろんな程のよさの混合酒である」と形容していたりするのとかも面白い
<参考>
