福田和也氏への反発(仮)
昨日、福田和也さんへの取り急ぎの追悼文を書いたけど。
私は個人的に、もう一つ、福田さんについての強い思い出がある。
ただ、それが本当に福田さんだったか、現在、確認できないんですよね。
亡くなったばかりの方に、あまりいい加減なことを書きたくない。
でも、書き残してはおきたい。
だから、福田和也さんへの思い、カッコ仮、という感じで読んで欲しいのだけど。
10年くらい前、雑誌をパラパラとめくっていて、こんな一節を見つけたわけです。
「平成の世は、静かに、厳かに始まった」
そんな一節で、筆者は福田さんだったと思うんだよね。
同世代の保守派の批評家だったのは間違いない。
この一節に、私は非常な反発を覚えました。
いや、最初は、ふーん、と読み飛ばしていた。
同世代なのに、こんなに歴史の見方が違うのか、と引っかかった程度で。
でも、その一節が私の頭にとどまり、それから次第に怒りが湧いてきた。
反発が、何年もかけて、頭の中で大きな怒りへと育っていった。
「いや、平成時代の始まりは、静かでも厳かでもなかった。とんでもない」
と腹が立って収まらなかった。
その思いが動機になって、退職して時間ができてから、「平成の亡霊」という小説を書きました。
「平成の亡霊」の前に、「1989年のアウトポスト」という前身を書きました。
それは、こう始まります。
平成時代は静かに始まった、という人がいれば、私は反論したい。
静かだったかもしれないが、それは表面だけだ、と。
あの時期を「静かに、厳かに」過ごした同世代がいて、その感想だけが歴史に残るのは許せない。
それと正反対であった自分の体験は書き残しておきたい、と。
まあ、「1989年のアウトポスト」も「平成の亡霊」も、note創作大賞に落選した駄作ですが。自分にできるのは、これで精一杯なので・・
いずれにせよ、あの一節を含む雑誌誌面を、コピーも筆写もしておかなかったのは残念です(だから、福田さんの文章だという確証がない)。
もし、それが福田さんの言葉でなかったとしても、昭和の終わりと、平成の始まりの体験の仕方は、私とは明らかに違っていたと思う。
べつに福田さんが嫌いとか、そういうことではないので悪しからず。私より何倍も偉い人だ。
ただ、生まれ育ちから何から、同世代でもまったく違う。そのためか、福田さんを「評価」する人たちの言葉をふくめて、根本的な違和感を覚えることが多かった。
これは、福田さんへのちゃんとした批評ではなく、どこぞから聞こえてくる野良犬の遠吠えだと思ってもらえればよい。
<参考>
