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「選挙」に意味を持たせるために

上岡龍太郎の「名言」


「スポーツマンくずれ、学者くずれ、皆さん芸能界に行きます。沢山何々くずれの方、芸能界にいます。では芸能人くずれはどこへ行くか、政治の世界です」


この上岡龍太郎の「名言」とされるものは、選挙の季節になると、SNSでもよく引用されます。

最近は、ラサール石井の出馬に関連して、Xでよく見かけました。

上岡龍太郎は、「政治家が一番下の仕事」という価値観の持ち主だったらしい。


「芸人から政治家なったやつ、よーさんおるやろ?それに引き換え、政治家からスポーツマン、芸人になったやつはおらんやろ。せやから政治家が一番下の仕事やねん」
よういうてはりました。
まあ最近は芸能界と政界を行ったり来たりの人も増えてきて……政界が上がったんやら、芸能界が落ちたんやら……


同じようなことは、今では皮肉なことに、百田尚樹も言っていました。

「政治家になりたがるような作家やジャーナリストは、すべてイカサマ野郎だと思っている」という10年前の発言です。


百田氏は26日にツイッターで、「いろんな人から『政治家になる気はないか』とよく言われる。しかしそんな気はまったくない!」と宣言。「作家は孤高で自由な言論者であらねばならない」という主義から、作家やジャーナリストは政治家になるべきではないという考えを持っていることをつづった。百田氏は「政治家になりたがるような作家やジャーナリストは、すべてイカサマ野郎だと思っている」とまでツイートしている。
(日刊スポーツ 2015/12/26)


こういう考え、思想は、私の世代には、非常に懐かしいものです。

「政治家は最低だ」という考えは、だいたい1950年代生まれ、今の60代後半以降の人に、かなり共通の思想だと思います。

そういう思想は、少なくとも1980年代まで、日本で支配的でした。


1955年から1980年代まで、日本は、自民党という不動の与党、社会党という不動の野党による、いわゆる「1・5党」体制で、事実上は自民党の「独裁」でした。

この1955年体制下では、「選挙」というのは、限りなく意味がなかったのです。


「政治家は最低だ」という考えは、そうした民主主義の形骸化、選挙の無意味化の中から生まれたものだと思います。

政治家は、庶民、選挙民から見て、民意を反映しない、価値がないものに見えるのに、威張っていたからです。

だから、「政治家は最低」「政治家は卑しく、汚い」という場合の政治家は、多くは「保守政治家」でした。


「腐敗した利権まみれの政治家」と対を成すのが、

「清潔な官僚、革新政治家、マスコミ」

というイメージでした。

だから、官僚や左翼やマスコミは、「保守政治家は汚い」というイメージで、得をしていました。彼らも、陰に陽に、このイメージを広めたのです(今も彼らは広めようとしています)。


そういえば、1970年代や80年代、私の周りの「インテリ」たち、新聞記者たちは、共産主義者でないにもかかわらず、よく共産党に一票を投じていました。

それを「民主主義のための一票」と称していました。

選挙で世の中は変わらないけれど、せめて自分の良心のために、自民党への批判票として共産党に入れる、といった意味でした。


小沢一郎と安倍晋三の価値


日本は、事実上の自民党独裁で、選挙の意味がないじゃないか。

日本は民主主義国ではない。選挙の洗礼を受けない官僚やマスコミが支配する官僚独裁国家だ。


こういう声が、1980年代後半、いわゆるジャパンバッシングやリビジョニズムと呼ばれる流れの中で、国際的に叫ばれました。

それで、小沢一郎を中心にして、「政権交代可能な政治にする」という運動が起こります。


まあ、こういう昔話をするのも、40代より下の世代は、もうこういうことを知らないかもしれないし、メディアの現役世代でも、知らない人が増えただろうと思うからです。


私は、小沢一郎らの動きに共鳴した世代です。

1993年、小沢らの働きで、細川連立政権が出来ました。

1955年体制以降、初めての「非自民」政権でした。


この時、「椿事件」というのが起きました。

テレビ朝日の椿貞良・取締役報道局長が、

「今は自民党政権の存続を絶対に阻止して、なんでもよいから反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしよう」

と社内で発言し、偏向報道と問題になった事件です。


この椿事件を肯定するわけではないですが、当時マスコミの下っ端だった私も、思いは同じでした。

当時は冷戦が終わり、バブルが弾けた直後でもありました。

自民党の一党独裁、その裏にある官僚(大蔵・財務官僚)の独裁を止めて、本当の意味の民主国家にしなければならない、

という使命に燃えていたのです。


そういう中で、「政治家は最低だ」「政治家は汚い」というイメージも、変えなければいけない、と思いました。

そういうイメージがある限り、若い人が政治家になりたがらない。政治をよくするには、政治家のイメージを上げなければならない。

以後は、マスコミ人として、それまでの「政治家は汚い」というステレオタイプの報道や表現をなるべくしないよう、できるだけ政治家の可能性や重要性を強調するよう、努めてきたつもりです。


だから今、「政治家になるのは最低だ」と昔のように考えず、進んで多くの若者が政治家を目指すようになったのは、私のおかげですw


その方向性を日本に定着させるにあたり、「政権交代論」の小沢一郎と同じように重要だったのは、安倍晋三だったと思います。

その二人の間には、小泉純一郎という人がいましたが。


政治思想や党派性は抜きにして、「選挙に意味を持たせる」という意味で、小沢と安倍晋三は、同じくらい大きな貢献をしたと思っています。

安倍は、民主党政権で自民党が下野した経験を通じ、それまでとは次元の違うレベルで「選挙」に真面目に取り組んだ保守政治家でした。


小沢一郎は、理論は正しかったけど、自分は奥に引っ込んで、真面目に選挙活動しなかった。

安倍晋三は、いくらヤジを飛ばされようが、選挙民の前に立とうとした。


選挙で選ばれた政治家が官僚よりも力を持つという、「官邸主導型」の彼の政治は、本来、小沢一郎らが追求した政治の形でもありました。

だから、選挙活動中に斃れた彼のことを、日本の民主主義の恩人の一人だと私は思っています。


(政権交代を可能にするには、共産党を排除した「政権を担い得る野党」を作らなければならないのに、小沢含めた立憲民主党が共産党と組むのは、ただの数合わせであり、政権交代の理念にも反している。批判されて当然)



「選挙」に意味がなければいけない


こんな昔話を、今朝は書いたのは、私の住む神奈川県で、昨日、うれしいニュースがあったからです。


参院選「関心ある」過去最高95%、10代では100% 神奈川選挙区の有権者

 3、4日に共同通信社が実施し、神奈川新聞社が分析した参院選の序盤情勢調査で、神奈川選挙区の有権者に参院選への関心度を尋ねたところ、「大いに関心がある」「ある程度関心がある」と答えた人は全体の95・0%を占めた。調査の方法や時期の違いで単純比較はできないが、過去6回の調査で最も高い水準だった。(中略)
「関心がある」層を年代別で見ると、18、19歳の10代が100%でトップ。前回(63・1%)を大きく上回り、50代の97・4%が続いた。最も低い30代も90・2%で全世代で満遍なく9割を超えた。

(神奈川新聞 2025/7/5)


若い人のあいだで、選挙への関心が盛り上がっている。

これはねえ、本当にうれしい。

自分の人生にも、少しは意味があったと思わせてくれる。

こうなってほしい、と思って、やってきたわけだから。


具体的には、参政党のような選択肢が現れたのが、大きいのかもしれない。

でも問題は、右翼とか左翼とかじゃないの。


立憲共産党とマスコミは、参政党が右翼だからと叩くのはやめなさい。

共産主義政党が存在を許されているんだから、右翼がいても当然でしょう。

それを「排外主義」などと非難する。そっちが排外主義だ。

(共産主義 VS 排外主義なら、明らかに共産主義の方が怖くて悪い。共産主義 VS ファシズムでも、いい勝負、というか、共産主義の方がはるかに死者が多いだろ) 


必要なのは、選挙民のために、右から左まで選択肢をそろえることです。

一度右派(あるいは左派)政権になったら元に戻れない、みたいな言い方は、みずから民主主義を否定しているんだよ。


若い人の高い政治的関心が、そのまま高い投票率に結びつくかはわからないけど。

参院選だから、それだけで日本の政治がガラッと変わるわけではない。

でも、解散がなければ、この後しばらく(3年くらい)選挙がない。

今度の参院選で、投票率のこれまでの低落傾向が反転できるなら、将来の政治に大きな変化を生む。


立憲と自民の「大連立」だけはやめてね。

それこそ、この30年以上の努力を無にし、選挙の意味をなくしてしまうことだから。

それだけはカンベン。



<参考>


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