クイーン、ただいま「神話化」中
「嘲笑の的だったフレディ……」というアエラの記事を読んで、クイーンの神話化がいよいよ始まっているな、と思った。
私もクイーンを同時代で体験し、1975年の初来日コンサートにも行ったが、この記事に出てくる人とはだいぶ違う記憶と印象を持っている。
「フレディが嘲笑された」という記憶はある。率直に言えば、フロントマンとしてはハンサムでなかったからだ。いちばんハンサムなロジャー・テイラーがいちばん後ろにいる変なバンドだった。当時のミュージックライフ誌の投稿欄でもフレディは「野生の叫び」とか、そのルックスが笑いのタネになっていた。
しかし、それはクイーンの音楽性を認めた上での親しみを込めたジョークだし、重要なのは、フレディが「中性的」だったり「ゲイ」だったりしたから嘲笑されたわけではないことだ。
当時はデビッド・ボウイもいたし、ヴィレッジ・ピープルなんていうそのものズバリの存在もいたが、中性的だったりゲイだったから笑われたという記憶はない。そういうのも「ロック」の一部だとみんなわかっていた。
LGBTだから誤解された、被害を受けた、みたいな書き方は、いかにも朝日新聞的だなあと思う。
ただ、70年代のデビュー以来、80年代に人気が伸び悩んだのは事実だ。
それは、やはりロック的な意味で「いい曲」が少なかったからだと思う。
YouTubeの「みのミュージック」で、ローリングストーン誌の最新「偉大な曲ランキング」を紹介していたが、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」が17位に入っていた。
「みの」は、
「クイーンがやっと入ってきましたね。これまでアメリカの評論家筋はクイーンに辛かったからね」
と言っていたが、実際、評論家に評価されるような曲やアルバムが少なかったのである。
アエラの記事の中に、
「クイーンは、デビューからずっと英国などで評論家筋に叩かれ続けたバンドだ。ロックがカウンターカルチャーでなくなり、娯楽となった時代に大成功したせいもあるかもしれない。」
とあるが、私には意味不明だ。何もかも被害者意識で語るな、と言いたい。
評論家の評価だけがアーティストの価値を決めるわけでないのはもちろんだ。
ただ、私も、シングルカットされるような曲は好きだったが、アルバムを通して聴くと、あまり好きになれなかった。それが、たぶん、多数派の意見だったのだ。(それがかえって少数者・弱者の「応援歌」になった、みたいなアエラの書き方が「朝日語法」だなあ、と思うのである)
クイーンは、フレディがエイズで亡くなったことで、神話化の条件ができたのだと思う。レディー・ガガが「レディオ・ガガ」から名前を取ったのも、もちろんフレディが死んでLGBTのカリスマみたいになってからだ(彼女は本来ブリトニー・スピアーズなどに憧れていた)。
クイーンは「LGBT太り」した、と言うと怒られるだろうか。
クイーンが神話化されること自体に反対ではない。私もファンはファンなのだ。
ただ、歴史の中で神話化されると、同時代の人なら知っていた「欠点」が、後の世代に伝わらなくなる。「悪口」が言いづらい空気が醸成されていくからだ。
近くは、マイケル・ジャクソンがそうだった。
山口百恵とかもそうである。
「夏目漱石」とか「渋沢栄一」とか、お札になるような人は、悪い評判はいち早く記録から消される。
古くは「徳川家康」などもそうだ。
かくして「偉人」や「偉大なアーティスト」の像が定着する。
そういう「歴史」というものの作られ方を、目の当たりに感じて、面白いと思うのだ。
