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「左翼」ではなく、「左翼知」が負けた

私は年寄りだから、いつもは夜7時に寝るのに、昨日はメシウマすぎて遅くまで暴飲暴食してたから、今朝は寝坊した上に腹が痛いわ。

いやー、若者の勝利、ネット世論の勝利ですね、まずは。

老人とオールドメディアの敗北。


まだ、投票の属性の調査結果を見ていないけど、しばらく投票所周辺で眺めていた限りでは、いつもより若者が多かった気がしました。

いつもは、じーちゃん、ばーちゃんばかりなのに。

若者の投票が多くないと、チームみらいなんかが、あんな伸びないと思うしね。


メシウマで酔っ払いながら、Xとか見ていると、やっぱり「オールドメディアの敗北」という声が多い中、

「戦後民主主義の敗北」

「リベラル左翼の終わり」

といった投稿も多く見かけました。


まー、私が注文をつけるとすれば、

「左翼」の終わり、というより、「左翼知」(あるいは左翼脳)の終わり、

と言いたい。


マルクス主義の評価は別にして、「左翼」そのものは、いいものなんですよ、本来。

敵がいかに巨大な権力であろうが、正義のために戦う、権力に向かっていく、というのは。

昨日引用した鶴見俊輔の言葉にもあったけど、左翼のそういうところが、かつて尊敬されたわけ。


でも、今回の選挙では、「巨大な敵に挑む姿勢」を、左翼政党ではなく、高市さんに見たわけだ、みんな。

「ジャイアントキリング」という言葉が流布したけれど、左派の方が「ジャイアント」に見えた。

野党は、組織票とオールドメディアに頼る、「既成権力」そのものに見えたわけですね。


こういう逆転現象の中で、本当に負けたのは、「左翼」そのものではなく、長年の蓄積で生まれた、惰性的な「左翼的思考」というか、硬直的な「左翼的知の体系」というか、短く言えば「左翼知」なんだと思う。

「左翼知」というより、より正確に言えば、左翼の側の「知の欠如」だな。


象徴的なことを、投票日前のネット番組で、長谷川幸洋氏が言っていた。

長谷川氏は、東京・中日新聞の論説副主幹だったけど、新聞社にいる間、「護憲か改憲か」を社内で議論したことは一度もない、と。

最初から社説は「護憲」と決まっている。あとは、それにどういう理屈をつけるかだけなんですね。


他の問題でも、たとえば「反安倍」「反トランプ」「反高市」と結論が決まっていて、あとはそれに肉付けするために、同質な学者や識者を引っ張ってくるだけだからね。

それは、これらオールドメディアを見ていたら、わかるじゃないですか。


こういう体制であれば、当然、改憲派は出世できないし、保守派でなくても、「少し考えてみようよ」という奴は面倒だから出世できない。

何も考えない護憲派の方が出世できる。

オレが出世できなかったのもそれだ!と昨夜、酒を飲みながら思ったわけ。ひとりグチってたわけ。


私もマスコミ現役時代に、社内に「知性」というものを感じた記憶がない。

感じたのは「権力性」だけですね。

そういう無知性な奴らが、自分たちの意に沿わない人々を「反知性主義」などと呼ぶ。ちゃんちゃらおかしいわけですよ。


なぜメディアや、左翼に、あるいは大学とか、出版界とかに、このような「知性の欠如」が生まれたか。

noteで私がずっと考えているのもそれですけどね。

少なくともそれは、私が業界に入った1980年代には始まっていた。

その起源はいつか、というのが私のテーマなわけ。


戦後民主主義というけど、少なくとも1950年代くらいまでの日本人は、もっとまともだったと思うんですよ。

戦後民主主義「思想」にも、これから新しい思想や政治を作っていく、という熱気があった。

それが、なぜ、いつ、バカみたいな「平和憲法守れ」「戦争反対」の念仏合唱に変わったのか。


とにかく、それがバカみたいだから、選挙負けたんですよ。

バカみたいなのに、「上から目線」で権力的な物言いをするから、嫌われたんですよ。


でも、選挙結果なんてのは、まあ一時的なもの、勝ったり負けたりだからね。

若い人たちが、オールドメディアから「反知性主義」とか「ポピュリズム」とか言われないために、もっと「知性」や「思想」のレベルを上げていく必要はある。

SNSみたいな短文で「論破」するみたいな文化だけじゃなくて。


これからは、「知」の世界で、ジャイアントキリングを見たいんですね。

「知の巨人」を僭称する者たちは、たくさんいるじゃないですか。

そういうのがバッタバッタとキリングされれば面白いし、出版界もまた盛り上がると思うんだよなあ。



<参考>


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