「生(ナマ)」だけの世界
20世紀最高の作曲家の一人とされるベンジャミン・ブリテンは、1913年に生まれましたが、子供の頃、蓄音機を聞くことも、ラジオ放送を聞くことも、父親から禁じられました。
「音楽は生(ナマ)しか聞いちゃダメ」
という厳しい教育を受けたのです。
それゆえ、英語版のブリテンのwikiでは、
彼は生演奏のみで育った最後の作曲家の一人である。
He was one of the last composers brought up on exclusively live music.
と書かれています。
彼のオーケストレーションの完璧さは、そういう教育で育まれたのかもしれません。
こういう教育環境を、うらやましいと思う人もいるんじゃないでしょうか。
今ではありえないでしょう。
今の子供は、もう乳幼児の頃から、テレビやディスプレイの前に座り、哺乳瓶の次にはiPadやスマホを手にしています。
考えてみれば、芝居も「生」しか見たことがない世代とか、
映画も映画館でしか見たことがない世代とか、
テレビもみんなと同時にしか見たことがない世代とかが、いたわけですね。
もう今生きている人にはいないはずですが。
「生」しか知らなかった昔の人の音楽や演劇や映画の感覚は、今の人とは違うでしょう。
ユダヤ人哲学者のベンヤミンという人が、そんなことを書いていたような気がしますが、しゃらくさいので参照しません。
前にも書いたかもしれませんが、私は最初にカラヤン/ベルリン・フィルのコンサートに行った時、初めの一音が鳴った瞬間に、
「レコードと同じだ!」
と思いました。(ちなみに、曲はモーツアルトの29番イ長調交響曲でした)
「複製」を知った後では、「生」を本当の意味で「生」で体験できません。
「生」を聴きながら、音量を上げたいとか、早送りしたいとか、余計なことを考えるかもしれません。
まあ、こういう「生」体験の減少が、子供の情操に与える影響とかも、時々思い出されたように議論されます。
ビジネスでも、人々は「複製」に囲まれて「生」の体験に飢えている、これから「生」が流行る、とか、私の現役時代にも何度か言われました。
でも、人々は今更、「生」に執着しているようには見えないですね。
コロナを経て、ますますそうなった気がします。
コンサートなんかも、人が集まりにくくなったと聞くし。
「生」を知らないと、芸術をわかったことにならない、という言い方には、それこそベンヤミンが言ったような、宗教的な権力の圧力を感じます。
むしろ、芸術こそが、人生や世界の「複製」に過ぎない、という言い方ができるはずです。
人は、みんな自分の人生を「生」で体験しているのだから、それで十分なのではないでしょうか。
私は出版人として、芸術やエンターテイメントに価値があると思って生きてきましたが、最近は、あんまどーでもいいかな、と思っています。
それでも、ヒマだから、芝居や音楽の「複製」をヒマつぶしに視聴する悪習は、なかなか手放せません。
でも、もう「生」を見に行こうという気には、なかなかなりません。
<参考>
