「イカゲーム」と自殺率 物語のリアリティと弱点
前にも書いたけど、「イカゲーム」は1つの寓話であって、リアリティに穴はいくつもある。リアルな部分とリアルでない部分がある。
「イカゲーム」の物語が面白いのは、参加者は参加を強制されていないところですね。借金の罰ゲームをやらされているわけではない。罰ではなく「チャンス」として与えられている。参加は自分の意思で決められる、自発的に参加している、という前提になっている。
その前提があるから、資本主義という「自由社会」「契約社会」を批判しているように見えて、評価が高い。その「自由」「契約」は欺瞞だ、と訴えているように思える。
しかし、その前提に疑問を持つ人も多いと思うのです。
いくら多額の借金を抱えていても、ほとんどの人が死ぬ、そんな過酷なゲームに、「自発的に」参加する人がそんなにいるのか? と。
行政の救済や、誰かに助けてもらうとか、普通はなんとかなるもんだろう、と。
その当然の疑問に答えるのが、韓国社会の過酷さというリアリティ、典型的には自殺率の高さです。
韓国の自殺率の高さは有名で、世界の最高水準にあります。自殺率とは10万人当たりの自殺者の数で言いますが、世界平均が10人くらいなのに対し、韓国は20人以上、つまり2倍以上です。
ソウル麻浦大橋から、毎年平均200人が飛び降り自殺をするという。そのほとんどが経済的理由、つまり借金が理由なのだそうです。
救済の少ない社会なんですね。
だから、自殺するくらいなら、わずかであれ希望があるゲームに賭ける、という人が、毎年500人以上集まっても、不思議ではない。
その社会の現実を考えると、この「イカゲーム」の前提にはリアリティがあり、物語が説得力を持つわけです。
ちなみに、日本も自殺率が高く、10万人当たり15人くらい、つまり世界平均の1.5倍です。若者と女性が増えているのも、日韓共通の特徴です。
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一方、弱点は、この「自殺するよりは・・・」という心境が当てはまるのは、主要登場人物では「サンウ」だけだということです。
実際、元証券マンのサンウは、自殺未遂らしい場面が描かれる。だから、彼のゲームへの参加は納得できる。
詐欺師の女のミニョにも、「外の世界は地獄」と言うだけの理由があるかもしれない。詳らかにされていないけれども。
しかし、それ以外は、それだけの動機も、自暴自棄になる理由も持たないと思えるんですね。
自殺する動機どころか、むしろ、何としても生き抜かなければならない動機を持つ者ばかりなわけですよ。
たとえば脱北者のセビョクの立場なら、なんでもいいからカネを得ればいいので、詐欺か強盗でもした方がいい。もともと遵法精神はないわけだから。
ヤクザのドクスも同様で、法を犯すのに抵抗がなく、平気で人を殺せる人間であれば、強盗とかの方が手っ取り早いでしょう。どこまでも逃亡する、つまり高飛びでもいい。この手の男が、最初に「自殺」を選ぶと思えない。
詐欺にせよ、強盗にせよ、逃亡にせよ、成功する確率が小さいといっても、「イカゲーム」よりましなわけです。同じ「命」を賭けるなら。
余命少ない老人のイルナムと、天涯孤独のジヨンについては、生きる希望がなく、自暴自棄になる理由はある。しかし、そうであればこそ逆に、この2人にはゲームに参加する動機がない。実際、ドラマ中でも、勝利に執着がないことが描かれるわけですね。じゃあ、なんで参加したんだ、と。(イルナムには別の「動機」があるわけだけどそれはともかく)
そして、最も動機が弱いのが主人公のギフンで、借金にもかかわらず陽気に生きている楽天家のはずなんですね。娘と母のことがあったとしても、急に自分の「命」を賭ける問題だと考えてジタバタするのはおかしい。ゲーム中の態度も、最後にサンウに責められるように、勝ちたいのかそうでもないのか、一貫していないわけです。
ほとんどの主要登場人物の動機に説得力が欠けている。そのため、行動が一貫していないように見える。本来これはドラマの重大な欠陥なはずです。
そう思いませんか?
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もちろん、だから作品としてダメと言いたいわけではありません。
全員が「自殺志願者」だとすると、リアリティはあっても、ドラマにならない。ただ悲惨で凄惨なだけで。
韓国は過酷な社会だと書きましたが、一方では、このドラマには韓国の共同体意識の強さが描かれている、という評も読みました。
たしかに、前提としては「孤独な自殺志願者」ばかりを集めているゲームに、他者との結びつきに希望を持つ主要登場人物たちが混じることで、ドラマが感動を生み、絶望の中にも希望を感じさせ、人間とは何かという重い問いかけが残る。
すごくリアリティがある部分と、よく考えるとリアリティがない部分を、うまく混ぜ合わせて見事なドラマにしている、という点を言いたいわけであります。
