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参政党の「お花畑」を擁護する

参政党の神谷宗幣代表の、とくに「米軍基地撤廃」のような発言が、「幼稚だ」「安全保障の素人」と、同じ右の日本保守党とか、高橋洋一とかに叩かれている。

右翼の二つのパターンを示しているようで面白い。


日本保守党に代表される右翼は、以前からいるタイプで、自らをリアリスト、「現実主義」と称する。

そして、左翼の理想主義、「お花畑」を嘲笑う人たちである。

日本の中では「親米保守」となる。


でも、こういう人たちの多くは、昔のマルクス主義用語で言えば「プチブル」だ。

自分たちのほうが現実を知っている、だから社会の中でも成功している、と誇示することが多い。

地方の小ブルジョアに多い。高須克弥のような、ということは、以前書いたことがある。


百田さんとか、高須克弥さんとかを見ていると、社会学者の見田宗介(真木悠介)が分析していた「プチブル」という類型に、いちばん当てはまると思う。

大規模な生産手段を有するほどのブルジョアではないが、小金持ちで、意識はブルジョアの小ブルジョア。

プチブル、というマルクス主義的用語は、もう過去のものだけどね。

でも、地方の成功した自営業者によく見られる、金銭への執着、業績主義的な世界観、拡張主義的な行動と、それと同居する保守的な道徳観は、まさに昔「プチブル」と呼ばれた人のものですね。

見田は『価値意識の理論』で、ブルジョアジーの価値観を以下のように分析している。

・関心の焦点は自己目的化した金銭的な価値にある。
・しかも財貨にたいする要求水準は無限に上昇する傾向にある。
・いっさいの価値を量化して、金銭的価値に還元し、この一次元的な尺度によって計量する傾向がある。
・価値判断の準拠は自己の内部にあって、伝統や環境にない。
・ただし彼らの価値判断の内的な準拠は、世俗的な原理に立っている。
・人生にたいする態度は能動的であり、たえず拡張し変化を求める。
・業績本位である。
・社会的な視野は広いが、価値判断それ自体は自己中心的である。

(『価値意識の理論』1966、弘文堂 p285 傍点などを省略)

「地方の名士」によくいそうじゃないですか。ロータリークラブとかで社会奉仕活動をしながら、一方で、高級クラブで女体盛りを楽しみ、ハニトラ大好きみたいな。

自分は社会的に成功したから、大衆に当然のごとく道徳を説く立場にあるが、自分に関しては道徳的に甘く、特権的に享楽する資格があると思っている。まあ、そういうタイプ。

そういう人が、次のステップとして、政治家を目指すのもよくあることでしょう。


そういう人たちを否定するわけではないが、右翼や保守にはもう一つのタイプがある。

参政党は、そちらのタイプに見える。

いわば右の理想主義、「お花畑」だ。

「親米保守」は、日本の伝統を心から尊敬しているわけではない。しかし、参政党のような「右」は、日本の伝統や過去を、どちらかというと「理想化」する。

その構成員は、プチブル層よりも、庶民に近いと思う。


だから、右の現実主義と理想主義、日本保守党と参政党は、いがみ合う関係になる。


参政党を全肯定するわけではない。

でも、これから必要なのは、参政党のような「右」だと思う。


神谷代表は、「日本をアゲていきたい」と繰り返し言う。

参政党がいちばん重視しているのは「教育」だ、と言う。

彼らは、将来の「愛国心のある日本人」を育てたいと思っている。


日本人から愛国心をなくすために血道を上げてきたのが戦後日本なので、参政党の言うことは、いちいち戦後日本人の神経を逆撫でする。

いまの日本人にとってはそうだが、しかし、将来の日本人を育てるためには、彼らの方向性は正しい。

全部正しいわけではない。しかし、そういう方向性をまっすぐに示している点では、評価しなければならない。


私と同じような思いを、堀茂樹・慶應大名誉教授(フランス文学)のX投稿に発見した。

堀氏は、思想堅固なリベラルの、偉い人だから、おこがましいけれど、私と同じような点で参政党を評価していると思うので、引用しておきたい。


1990年代以来、超高学歴層は大概、国民集団(ネイション)からの個人的離脱(抜け駆け)をエリートの印とするグローバリズムに嵌まっています。そんな彼らには、そもそも、日本を復活させて次世代の同胞にバトンタッチしたいという参政党の素朴で庶民的な「想い」に共鳴する人生観が欠けているのです。


高学歴信仰やアカデミア崇拝は、偏差値教育で助長された権威主義的「迷信」です。本来の知性の産物ではありません。
●私は今春から「参政党現象」を観察し、参政党のエンジンがメンバーの「思い」である事を確認しました。自分を超える何か――子供や孫、同胞、日本国など――への「思い」である事を。


そう、武田邦彦、吉野敏明などと組んで「ゴレンジャー」などと言っていた時期があったと聞くと、今の参政党に比べた場合のあまりの幼稚さに、少し茫然とします。デマ屋らと決裂したからこそ強くなった訳で、それは本当に良かったが、しかし、なぜ一時期は組んでいたのか、それは解明したい点です。


草の根政党の生成と成長にはきっと数次にわたる脱皮が必要なのでしょう。神谷宗幣氏自身も、この十数年、すさまじい勢いで人格的に成熟してきているように見えます。彼の相貌の変化にそれが如実です。人間が自らの志に本気になると、ここ迄やれるのか、変われるのかと驚き、私は舌を巻いています。



<参考>


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