小澤征爾の過小評価
classicstoday.comのデイヴィッド・ハーウィッツが、YouTubeで「なぜ小沢征爾は過小評価されるのか」を論じていた。
小澤征爾は日本で評価されず、アメリカで成功したわけだが、そのアメリカでも過小評価されているという。
それでは、小澤征爾は、一体どこで正当に評価されているんでしょうね。
ハーウィッツが言うように、アメリカにも「クラシックの正統はヨーロッパの白人しか分からない」という偏見があった。(だから、バーンスタインまで、メジャーオーケストラにアメリカ出身の指揮者はいなかった)
日本の音楽批評界では、アメリカで成功した後も、小澤征爾への評価は一貫して低かった。そこには、ひがみもあっただろうが、アメリカ同様「西欧白人」コンプレックスがあった。
小澤征爾の録音でも、国民楽派系というか、ロシアものやフランスものは、比較的評価が高かったと思う。
しかし、ベートーヴェンとか、ドイツ・オーストリアのクラシック正統レパートリーになると、小澤を評価する人はほぼいなかった。
これは、海外でも同様の傾向ではなかったか。だから、彼はロシアやフランスもの、そして現代音楽の録音は多いが、モーツアルト、ベートーヴェンといったレパートリーは、あまり録音させてもらえなかったようだ。
聴衆は、小澤征爾に、正統ではない、何かエキゾチックな魅力を求めた、とも言える。
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私自身も、小澤征爾に長年、偏見を抱いてきた人間だ。
小澤というと、私の世代には、何と言っても武満徹との「ノヴェンバー・ステップ」の印象が強い。
小学生の私は、そのステージをテレビで一生懸命見ていた。
だから、まず現代音楽の指揮者というイメージだったし、その後は、日本の批評界の言にしたがって、ストラヴィンスキーやビゼーの録音を小澤の本領だと思って聴いていた。
しかし、その評価に最も不満だったのは、おそらく小澤自身だろう。
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2年前に定年退職し、これまで買っておいて聞かなかったCDを、やっと落ち着いて聴けるようになった。
ある時、自分の持っているCDの中で、ベートーヴェンの第5のベスト演奏を選ぼう、と思い立った。
貧しいコレクションだが、それでも10種類以上の演奏はある。
私の1位は、小澤とサイトウ・キネンの演奏だった。
自分自身、意外だった。
その後、同じ小澤とサイトウ・キネンのバッハ「ミサ曲」を聴いた。
陶然とした。こんな美しい音楽があるのかと思った。
その後、ブラームスを聴いた。
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で、思ったのだが、小澤の演奏は常に美しい。
そこから、
「美しいだけで、何かが足りない」
という感想と、
「これ以上ないほど美しい」
という感想が生まれる。
小澤の演奏を聴くと、私は、どちらかの感想を持つ。
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ただ、少なくとも、小澤がクラシックの正統レーパトリーに不向きだということは全くないことを確認できた。
むしろ、小澤の演奏は常に立派だから、音楽が立派でない場合は、音楽が演奏に負けている印象を持つことがある。
小澤の常に立派な演奏には、正統レパートリーほどふさわしいと言える。
これまで偏見を持ってきた罪滅ぼしに、老後は小澤を中心に聴いていきたい。
