アリストテレスのアレキサンダー大王殺し疑惑 真犯人は・・・
哲学者のアリストテレスがアレキサンダー大王を殺した、という説がある。
アレキサンダー大王は紀元前323年6月10日にバビロニアで死んだ。32歳だった。
宴会でぶどう酒を飲んだ直後に苦しみだした。古代の著述家のブルタルコスやアリアヌスは、アリストテレスによる毒殺だと示唆している。
アリストテレスはアレキサンダー14歳からの家庭教師であり「第2の父」と言われた。アレキサンダーはアリストテレスを非常に尊敬し、「世界征服」のプランを吹き込んだのはアリストテレスだと言われる。
しかし、アレキサンダーが実際に世界を制覇し、彼が30歳になる頃には、2人の関係は冷えていた。アリストテレスは甥のカリステネスをアレキサンダーの側に置いたが、アレキサンダーはこのお目付役を嫌い、投獄してしまう。
傲慢になり、制御不能になったアレキサンダーを、アリストテレスは始末した。
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この説は、アレキサンダーの死の直後から囁かれたが、アリストテレスの犯行の動機が弱いように感じる。
それに、アレキサンダーの死によって、アリストテレスの人生も暗転する。大王の庇護がなくなってアテナイでの立場が悪くなり、最後は追放されて死ぬ。
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しかし、プトレマイオスの存在を加味すると、アリストテレス犯行説に説得力が加わる。
プトレマイオスはアレキサンダー大王の側近中の側近であり、大王の死後、帝国の一部であったエジプトを支配した(プトレマイオス朝)。
プトレマイオスはアレキサンダーと兄弟同然に育ち、アリストテレスの教育を同じように受けた。
そして、アレキサンダーの死後、エジプトの新都市アレクサンドリアで、師アリストテレスの教えを継承しようとした。
つまり、アレキサンダーの死によって、アリストテレスは、プトレマイオスを通じ、自らの哲学をプトレマイオス朝エジプトで生き延びらせることができた。
キーパーソンはプトレマイオスだ。なぜ彼はあれほどアレクサンドリア建設に固執したのか。彼の人生の目標がアリストテレス哲学の実現だったから、としか思えない。
だから、プトレマイオスもアレキサンダー殺害にかかわっていたのではないか、というのが私の新説だ。
プトレマイオスという人物は謎めいている。最初からアレキサンダーの手下だと思って見るからどこか小物に見えるが、実際は大王以上の大物だったかもしれない。
(日本史で例えると、軍事の天才アレキサンダーは源義経、プトレマイオスは源頼朝のようだ。プトレマイオス=頼朝のほうが「政治」や「支配」を現実的に考えていた。この「現実的に考える」というのがまさにアリストテレスの思想なのだ。だから、「戦争」が終わったら、義経=アレキサンダーは不要、むしろ邪魔になって始末した。)
プトレマイオスは、死の直前に自叙伝を書いた。それはアレクサンドリア大図書館のどこかに秘蔵されたはずだが、現代に伝わっていない。そこに事件の真相が書かれていたかもしれないのに、残念である。
