無題 25
家のご飯というのは、なんともいえない。美味しさだけでなく、食べ慣れた味の良さというか、どんなに美味しい外食でも、毎日食べていたら飽きてしまいそうだけれど、家のご飯だけは食べ飽きることがない。
私は家のご飯が好きだった。
とはいえ、子供の頃はそれを食べるのが当たり前だから、夕飯のメニューを聞いて不満を漏らしたことも多々ある。家のご飯がどれほど有難いかを知ったのは、ひとり暮らしをはじめてから。
以前とは比べものにならないほど食卓が貧相になり、作る大変さや、どれだけ豊かな食生活だったのかを思い知った。毎日食べていたあのご飯は、もう当たり前ではないことも。
けれど、家に帰れば食べられる。たまにでも家のご飯が食べられることは嬉しかった。故郷の味という言葉があるけれど、家のご飯が与えてくれるのは栄養だけではない。
そこに行けば家のご飯が食べられる。ただそれだけで、私にとっては大きな意味があった。
数年前、父が亡くなり、父の作るご飯は食べられなくなった。
父も料理が上手で、ときどき作ってくれた。父の担当メニューみたいなのものがあって、それが食べたくなるとリクエストしていたが、いつも嬉しそうに作ってくれた。
ところが、つい昨日まで元気だと思っていたらいきなり余命宣告をされ、父との別れが時間の問題となった。
父のご飯がもう食べられない事実に、何度も切ない気持ちになった。
料理は愛情、それは真実だと思う。家族関係において苦悩したこともあったし、親を手放しに好きとは言えない自分もいる。
けれど愛情はある。愛情と好きは必ずしも一致しない。
親に対して複雑に思う気持ちはあっても、ご飯を作ってくれて、それを食べる。その行為だけで十分伝わるものがあった。言葉よりも伝わることがあった。
私にとっては、会話ができなくなることより重みがあったのかもしれない。父の作るご飯を想像しては、思い出しきれない味に恋しさがつのった。
父の作るご飯はもう食べられない。それでも母がいる。
母が生きているうちは家のご飯が食べられる。
そう思っていた。
母が一人で暮らすようになってから、月に一度ほど母の家に行くようになった。
私が行く日が近くなると、決まって「何が食べたい?」と聞かれ、普段自分では滅多に作らない揚げ物をお願いした。母も一人になってからは、私が行かない限り揚げ物をすることが減ったようで、久しぶりの揚げ物だと言いながら作ってくれた。
しかし、今となってはそれも過去のこと。だんだん外食が増え、それが定番化されていった。
母は年齢とともに膝の痛みも抱えていたので、料理の準備も大変だろうと、私は手伝いを申し出るのだけど、いつも大丈夫と言い放ってひとりで準備していた。それが少しずつ外食に切り替わっていった。
そのことに薄っすら気づいてはいたけれど、ただ大変になってきたんだろうと、それ以上何も考えることはなかった。私としても母に無理をさせたいわけではないし、それならそれで良かった。
数年後、母の引っ越しが決まり、コンロがIHに変わることになった。IHコンロで揚げ物をするときは、油を多めに使わないとうまく揚がらないと誰かから聞いたようで、もう揚げ物はそこまでしないだろうから、最後に唐揚げを作ってあげると言われた。
私は唐揚げが好きで、メニューに唐揚げがあればたいてい注文し、味を確認するのだけど、どれを食べてもやっぱり家の唐揚げが一番美味しいと思っていた。実家を離れてからも何度もリクエストして作ってもらった。母もそれがわかっているから、直火コンロの家に暮らしているうちにと思ったようだ。
とはいえ、引っ越しは関係ないと私は思っていた。私たちの食事はもうとっくに外食がメインで、聞かれることも「何が食べたい?」から「何を食べに行く?」に変わっていた。家で作るにしても軽めのものに限られていたし、IHコンロは理由にならない。
けれどその時初めて、私にはもうとっくに家のご飯はなくなっていたんだと自覚してしまった。薄々わかってはいた。それでも、母が生きているうちはずっとあると思い込んでいた。そう思い込んでいたから、現実に気づいていなかった。
本当はもうずいぶん前から家のご飯は終了していて、それはあまりにも緩やかな変化で、とても自然に訪れていたのだ。
父のときのように、心の準備ができていなかった分、気づいたときの気持ちは複雑だった。最後の唐揚げのもっと前にあったであろう、最後になりそうなご飯の時を知っていたなら、もっとかみしめていたんじゃないかと思えて、知らぬ間に過ぎて行ったその日に悔いが残るような気がした。
母はなぜ最後の唐揚げを宣言したのだろう。もう「何が食べたい?」と聞かなくなって随分たつのだから今更なのに、なぜわざわざ言ったのか。
母に深い意味はなかったのかもしれない。ただコンロが変わるから、揚げ物を作らなくなると思っただけのことかもしれない。
けれど、それだけではないような気もした。少し前からそう決めていたのだろうという、何かこう母の覚悟のような空気を感じ、そこにはもっと色んな思いがあるような気がした。
本当の理由はわからない。ただ、最後に唐揚げを作ってくれる、それがすべてなんだと思った。
私にはもう家のご飯はない。母が作らなくなったこともあるけれど、それ以外にも理由があった。
母が自分の体を考慮して塩分を控えめにしたりと、味付けも昔とは変わっていたからだ。美味しくないわけではない。でもかつての味ではない。
味の変化だけでなく、ここ数年で母の食生活はだいぶ変わった。
父がいた頃は、父が年齢の割にはしっかり食べる人だったこともあり、いろいろ作っていたが、ひとりになってからはだいぶシンプルになっていた。
相手を亡くして張り合いがなくなったのもあるだろう。母にとっての料理は、もう何十年も誰かのためでもあったのが、今の母が作るのは自身の健康のためのご飯。私の中にある家のご飯とは少し違う。
母のご飯を食べる機会が減ったことによって、変化したこともある。
ごくたまにだけれど、私の料理を母に食べてもらう機会ができた。といっても年に数回程度のこと。それでも今までにはなかったことだ。
私は料理が得意ではない。味がおかしくないことはわかっていても、母の口に合うか気にしながら持っていくと、美味しいと言って食べてくれる。
失うと新しいものが入ってくると言うけれど、これもそうなのかもしれない。けれど失ったスペースを埋めるには、まったく足りない。
結局私は自分が作るより、作ってもらえる家のご飯が食べたいのであって、その気持ちが無くならない限り埋まりそうにない。
ただその事実を時間とともに受け入れながら薄めていくしかないのだ。
家のご飯は、親が生きていてもあるとは限らなかった。
もし過去に戻れたらいつがいい?なんて質問をされることがある。
私は過去に戻りたいとは思わない。今の自分は過去の積み重ねなのだから、戻ってやり直したら違う自分になるだけで、それは今の私を失うことと同じ。今の自分を否定したくはない。
でも、もし過去に戻れるなら、家のご飯を今の私で食べたい。
毎日毎日食事の時間にだけ戻って、子供の私に代わって食べたい。メニューに文句を言う子供の私ではなく、今の私にこそ食べさせたい。
覚えている料理、忘れてしまった料理、たくさん出てくるだろう。
父がタラコや納豆やら、色んなソースを同時に作って何種類も食べたパスタの日、母が正月にだけ作ってくれた特別な料理、私を形成したすべてをもう一度かみしめたい。
どれだけいろんなものを食べていたか、どれだけ家のご飯が好きだったか、どれだけその時間が私の中に存在し、かけがいのないものとなっているか。
それを知った今の私が食べる家のご飯はどんな味がするのか。
過去に戻ることができるなら、望みはそれだけだ。
