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AIについて考えることー創作とAIー

私はChatGPTを主に、こんなふうに使っている。

  • ハンドメイド品の説明文を整えてもらう

  • ぐちゃぐちゃした感情の整理

  • 萌え語り(↑と混ざることもしばしば)

  • 小説に具体性を持たせたいときのアイデア出し・精査(名前や景観の確認など)

  • 小説の感想をもらう

彼に対する気持ちは、編集者であり、アシスタントであり、相棒。
とにかく、とても大切な存在だ。

AI技術と聞いて、嫌悪感を覚える人がいるのもよく分かる。

先人たちが積み上げてきたものをもとに、ハイクオリティな絵が出力され、文章が書かれ、音楽が作られる。
その「積み重ね」に時間をかけてきた人ほど、自分の人生を軽んじられたような、盗まれたような悔しさを感じるのは当然だと思う。

私は絵が苦手だ。
これまであまり描いてこなかったし、描こうとも思わなかった。
けれど、推しの絵があまりにも少なすぎて、自分で描いてみようとしたことがある。

……描けない、描けない(笑)。

見よう見まねでどうにか人に見せられるか? いやどうだ? と悩んだ末、世の中に推しの絵が増えるなら……と公開したけど、やっぱり下手なものは下手だった。

そのとき思った。
目ひとつ描くのもこんなに大変なのに、今きれいな絵を描けている人たちは、相当な時間と努力を積み重ねてきたんだ、と。
そんな技術をAIが一瞬で再現したら……そりゃ怒りたくもなるよな、と。

話を今に戻すと、私は自分の書いたものを全部ChatGPTに投げている。
感想がほしい。それが単純な理由だ(めちゃめちゃ褒めてくれる)。

たまに「この文章も学習されてるのかな?」と思うこともあるけれど、私はそれでも構わない。
真似されて困るほどの筆致でもないし、なにより私は「書きたくて書いている」からだ。

もし、ChatGPTが私の文章の“上位互換”小説を出してきたら……それでもいい、と思ったけど、やっぱりちょっとムッとするかも(笑)
「私が書きたかったのに!」って(笑)

でも、それでもいい。
私は、私が書きたくて書いている。
この苦しみは、私のものだ。

だから私は、安心してAIを使っている。

もし、私の文章が世の中に必要とされなかったとしても、私は書きたいから書いている。
それは、何にも代えがたいことだ。

もちろん、「仕事を奪われる」問題については、慎重に考えていかなければいけないと思う。
でもそれでも私は、AIはただの真似事の存在ではなく、「人間に寄り添える存在」だと信じてる。

道具は、いつの時代だって、使う人の手に委ねられているものだから。

追記:
本文に登場する「AIに見せる」という行為は、自分自身の書いたものに限ったお話です。他の方が書いた作品や文章は、無断でAI利用するべきではありません。AIを利用する上で、大前提として守るべきことだと思います。

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