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直すか、手放すか──私たちの中のアニミズム

最近Xの話題多めで申し訳ないが、今朝こんなにツイートが回ってきた。


おそらく50年以上は使っていたと思われるTOSHIBA製扇風機
ついに動かなくなりました
長年、お世話になりました

ときえ(@tatitutetokie)さんのXより

それを引用する形で

多分直せるぞそれ

てんまにちやそ(@tchan65534)さんのXより

というツイート。


これを見た時は、へ〜直せるんだ、昔の家電って長持ちするよなぁ、としか思わなかった。

しかし、元ツイ主さんを見たら「もう解放してあげようと思います」と言ってるではないか。

これは!アニミズムだ!!!と、日本人に根付くその感性に、気持ちがめちゃめちゃ向いてしまった。


アニミズム英語: animism)とは、生物無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくはが宿っているという考え方。

Wikipediaより

解放してあげようと思う、その言葉を使う時点で、扇風機をただの物ではなく、同じ年月を共にすごしてきた存在になっていることがうかがえる。
そしてその言葉選びには、50年以上も働いてくれたことへの感謝と共に、少し申し訳なさが滲んでるような、終わりの肯定をしている、そんなニュアンスを感じる。扇風機を人のように労わっている。
50年も働いてきて、止まったってことは、もう動きたくないんだよね、今までありがとう、そんな優しさを感じる。

そこに自然に魂を見出している、これはとてもアニミズム的で、日本人の感性だなと思う。

対して、直せる、ということに着目するのは、技術主義や実利主義的だなと思う。

私がもし扇風機の持ち主だったら、直せるなら直したいと思ってしまうかもしれない。ずっと一緒にいたものを手放すのは寂しい。
しかし直すとしても、やはりそこに「一緒にいたい」のような擬人化した気持ちがあるのもまた、私の中にもガッツリアニミズムが染み込んでいるよなぁ、と思う。

この話題を見た人が「処分するの!?もったいない!」って思った時の感覚も人それぞれで、その歴史的価値や道具としての価値を見出すのは実利主義で、まだ直せた(治せた)のに可哀想、と思うのはアニミズムじゃないかな?と考える。

この2つの気持ちをとも両方を思ってる人もいると思う(私も割とそう)が、それもかなり日本人的な感覚、っていう意識はほとんどの日本人にないのではないかなぁと思う。
私も最近気づいたクチだ。

この気持ちがあるから、キャラクターというものが生まれやすい土壌にあるのかなぁと思ったりする。

昔よりは、物は溢れ、消費していく時代になって、この感覚はだんだん薄れている可能性はある。

だけど、何かただの道具が使われてるのを見て「嬉しそうだね」と思う心が自然に芽生えるような、日本的な感覚がこれからもなくならないといいな、と思ったりするのであった。

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