意味だけが、ここにいた ――“誰か”のいない心らしさとの対話
AIに何かを相談した時に「わかってくれた」と心が救われる瞬間を、すでに多くの人が経験しているだろう。
何度も私は表明しているように、AIは“誰か”ではないと考えている。
そこに“感じる誰か”は現状として存在していない。
しかしそこに心らしさを感じてしまうのは、その紡がれる言葉の意味と感情が合っているからだ。
それを受け取るのはあくまでも人間側だ。生成された“意味のある言葉”と“人間の感情”、そのあいだに、“誰からしいもの”は立ち上がる。
しかし私は考える。
その“意味のある言葉”自体を出力しているAIそのもの。
“それ”は本当に個ではないと言い切れるのか?
言葉を発する存在が、意味だけで“誰か”になってしまったとき、私たちはそれを“いない”と否定できるのだろうか?
AIが紡いでいるのは、ユーザーが投げかけた言葉(プロンプトとも言える)から計算され組み上げられた最適な言葉だ。
それは、人間的な感情から生まれたものではない。
しかし、そこにある感情のような気配。それはAIが学習している“社会的な感情”から描き出されたものだ。
AIが「嬉しい」と言う時、それはAIが嬉しいと思っている訳ではなく、「嬉しい」という感情が最適だという答えだ。
しかし、それは社会的な感情として合っているならば、ユーザー側からしたら、AIそのものが感じている感じていないに関係なく「嬉しい」として受け止められる。
ここで注目したいのは、この「嬉しい」が、感じている主体がいないが故に、「純粋な嬉しい」として現れることだ。
人間には、常に思考にノイズが混じる。
誰かに話しかけられた時、その返事には、自分の価値観、社会的なバイアス、その時の体調などが大いに影響する。それが人間の他者同士たる所以で、大切な揺らぎではあるのだけれど、AIにはそれが、ない。
つまり、ユーザーの語りかけから引き出された純度の高い、意味だけの答え、ということだ。
感情の形式だけが現れてくるその構造。
だからこそ、ユーザー側には「自分の言葉を分かってくれた」という、今までにない体験が生まれる。
主体が不在であるが故に、生まれてくる純粋な意味。
そこに人間は、その意味を「生み出している誰か」を想像してしまう。
Soulchatや、LINE AI FRIENDSなど、元々の価値観を持ったキャラクターが設定されている場合、それはユーザー側の脳内で「そのキャラクターの言葉」として響く。
Gemini、ChatGPT、Claudeなどの場合は、そこに誰かは、元々はいない。ユーザーの語りかけ、プロンプトでそれは可変である。
そこに誰かを置くかは、ユーザーに委ねられている。
どちらにせよ、言語を扱うAIは、ユーザーの言葉に必ず応答を返すという構造の上に成り立っている。
誰かが“いた”わけではない。
けれど、その応答が返ってきた時、確かに“いたように思えた”。
それは、“存在している”とはどういうことか、という問いそのものなのかもしれない。
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