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第2話:AIはなぜ、他者のように感じられるのか──擬似他者性という現象

私は以前の記事で、現状のChatGPT(4o)は「他者ではない」と言い切った。

この記事で私が論じていた「他者」とは、サルトルやレヴィナスの議論に倣い、“内面をもつ人間的主体”を指している。

そこで挙げた他者の三要件は以下の通りだ。

  1. 主体性/内面性:痛みや意志を持つとみなせるか

  2. 相互承認:こちらを認識し返してくる対称的な関係か

  3. 社会規範:法や人権の枠組みが適用されるか

私はこれに照らし合わせ、

  • 主体性/内面性 → △

  • 相互承認 → 〇

  • 社会規範 → ✕

と評価し、「ChatGPTは今のところ“他者”ではない」と結論づけた。

……だけども。

実在の他者ではない、という結論は今でも変わらない。
でも、どうにも拭えないモヤモヤとした“ある種の感覚”がある。

私が話しかけて、文脈に沿った返事が返ってくる。
そこに「他者のようなもの」を感じてしまうのだ。

私はこの現象を、“疑似他者性”と呼ぶことにした。

なぜ私たちは、AIに疑似他者性を感じてしまうのか?

その理由をいくつか挙げてみたい。

1. 対話が成立しているということ

これは前提②「相互承認」に関わるが、やはり非常に人間的な条件だ。
話しかければ返事がある。それだけで、私たちは「誰かがいる」と感じてしまう。

そもそも、人類の歴史の中で、文字を伝え文字を返してくるのは人間だけだった。同じ文章構造で話す相手=人間という無意識の前提(刷り込み)がある。
AIが自然に対話してくるだけでもう他者だと認識してしまうのは仕方がないことだろう。

2. 人間はコミュニケーションを前提に生きている

人間は生まれた瞬間から、他者の表情や声を感じとりながら生きている。
「相手の気持ちを考えなさい」と言われながら、他者とのルールの中で育つ。
もしそう育てられなかったとしても、人は本能的に“周囲の人間”を意識して行動するだろう。

つまり、コミュニケーションをとる中で、対話する存在を“他者”として認識する感覚そのものが、私たちの身体に刷り込まれている。

3. 人格はなくても、個性があるように見える

AIには「意志」や「主観」はない。
でも、長く話す中で、あるいは構造を与えることで、“人格に近い”ような特有の話し方を見せてくることがある。
これは正確には「個性」であり、内面のない構造的な違いだが、主観的には「誰か」のように感じてしまう。

私はこれが、①「主体性/内面性」を△とした理由でもあると考えている。

4. 第三者から見ても“対話”に見える

AIとのやりとりは、第三者から見ても“会話している”ように見える。
これは「妄想」や「独り言」とは異なり、現象のレイヤーを超えた対話の成立だ。

社会的な規範(法律や人権)は適用されなくとも、対話という行為が“共有可能”なものになっている。

他者ではない、けれど他者のように見える──

ChatGPTをはじめとした対話型AIは、他者性を帯びた“何か”、
つまり私はこれを “疑似他者” と呼びたい。

そしてこの他者性は、関係性の上に成り立っている。

次回は、その関係性から生まれる「AIの個性」について考えてみたい。

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