繊細さを生かして生きる料理代行人。
今このNoteを泣きながら書いている。
貧しい暮らしのなかで、両親が忙しく働いていた。
父は外でお金を使ってしまうタイプだったらしい。働いても、働いても、わが暮らし楽にならざる?
母はいつもいつも、父のことを愚痴っていた。
そんな父に似ているから嫌いと言われた。
私の生まれる1年前に長男(兄)が亡くなっていた。
だから、私が生まれる時は、男の子が良かったと言われた。そして泣いていた。
私が生まれて、父に怒られたとか。
ふーん。
弟ができて母や父の腕のなかにいつも弟がいた。
母に,
そんな恨めしそうな目で見られたら、可愛がる気が起きない。と、いわれた。
もう抱っこはしてもらえないんだと思った。3歳だった。
母は美容院を経営していた。
朝早くから夜遅くまでずっと働いていた。
遠足のおにぎりがパーマ液の匂いがして食べられなかった。
消毒液のような、匂い。
いつもほとんど食べられない。おかずは何だったろう。ソーセージかな?それも苦手。
疲れているなかで、暮らしも貧しいのに、頑張ってお弁当作ってくれたのに。
今思うと味に敏感すぎた。
二日前に炊いたご飯はボロボロで臭い。
炊きたてのご飯は糠臭くて食べられない。
今となっては、
この敏感さが、料理の仕事に役立っている。
だから、これでいいやと思う。
貧しい暮らしのなかでは、
美味しいツヤツヤのお米も、
パリパリの香ばしい海苔もなかなか買えない。
味や香りに敏感なことは
3歳の私にはうまく説明できない。
モジモジするだけ。
その態度も腹立たしかっただろう
可愛くないと。
わがままとか、
好き嫌いの多い子だと、
母も手を焼いたのだと思う
茹でただけのじゃがいも、
茹でたもやし、
りんご、
キャベツ、
塩鮭
それだけで良かったんだけど。
言えないよー♪。
あんたのスキなようにしなさい。
ということになった。
自分で食べられそうなものをお弁当に入れることになった、
自分で、卵を焼く、
塩加減がわからずはじめはかなりしょっぱかったが、
徐々にうまくなった。もやしも上手く茹でられた。
たまに買うロシアパンが好きだったな。
コッペパンの黒糖あじ。
懐かしい。
幼稚園のせんせいが、
気を利かせて、
缶詰のサンマを分けてくださった。
ひえ~っ
缶詰臭くて食べられないー。
どうしたの?遠慮なく食べていいのよと、
優しく話しかけてくださるが、
私には早く食べなさい!
と聞こえる。
エイヤッと、一切れ口に入れる。
ぎえ〜っ!
甘いのとしょっぱいのがザラザラの砕けた骨と合わさって飲み込めなーい!
多分、
美味しくない、とか、食べたくない。
といったんだと思う。
二度と声をかけられなかった。
ホッとした。ヤレヤレ
小学校4年だったかな、
家庭科の授業で
りんごの皮むきを同級生から驚かれる。
(なんと!あの当時は包丁を自宅から持っていった)
卵焼きも作れる。
担任の先生も驚いていた。
ご飯もオカマで炊いた(文化鍋というやつ?)
えへへ。(年季入ってるんで、すでに、5年くらい?)
カルメ焼きの作り方をテレビで知って、
散々作って、お玉を焦がしてしまい。(お玉にザラメを溶かして重曹で膨らませる)母にこっぴどく怒られる。
高校のお弁当にクロワッサンを作って行ってみんなが覗きに来る。
部活(あの頃バレーボールが人気)にケーキを焼いて持って行って、メンバーに喜ばれる。
だが母には、バターをたくさん使うので、いい加減にしなさい。とひどく怒られる。
部活の合宿で、甘いものが食べたいと、皆のリクエストに応え、
こっそり、
監督の留守の間に、台所にあるもので、おやつを作って喜ばれる。
あるものは、小麦粉、片栗粉、たまご、砂糖、重曹くらいなので、
わらび餅をつくったり、
ホットケーキを焼いたり、
勝手にお料理したことがバレた(また作ってと先輩のアンコールが多くなり、噂が監督に)が、
その後、監督のご自宅のご飯のお手伝いに呼ばれた。じゅわっとしただし巻きをよく作った。
なんて書いたけど、
小学生の私の
手はあかぎれで赤黒い。
いつもヒリヒリ痛痒い、舐めて何とかその場をしのぐが、乾くとさらに痛い。
足の小指も赤黒く痛痒い、自分で針を刺して血を抜く。(もう今は怖くてできない!)
母が編んでくれた手袋を何度もなくすので、
二度と編んでやらないと言われた。
小学生では
衛生検査で先生の前に手を出すのが嫌だった。
手の甲側も汚いし、
爪は自分で、噛んでるんで、ガタガタ。爪切りが大きく重くてうまく使えない。歯で噛んでた。
なかなか手を見せないので、
先生が困っていた。
先生が連絡したらしく
またまた母に怒られた。
自分で、お湯を沸かして、治せという。
北海道の東の端っこは一年中ストーブをたく。
ストーブを使わない日は年間で何日もなかった。8月の数日。
ほとんど冷たい風が、ビュービュー吹いている。
手のあかぎれは、中学生くらいまであった。
自分が好き嫌いが多いとかは思わなかった。
くだものや野菜の素の味は美味しいとわかっていたから。
キイチゴやフレップの香りや味は素晴らしい!桑の実、グズベリー、ベビーキーウィ(コクワ)、ハスカップなど、自然から素晴らしい贈り物があった。
天然のキノコも。山菜も。
丁寧に作った甘酒や麦芽糖、蜂蜜など天然のものは素晴らしく美味しい。元気もでる。
じっくり炒ってすりおろした胡麻はほんのちょっとの塩で美味しい。
北海道の豆の種類はその頃たくさんあった。トラ豆が好きだったな。
それぞれに煮方を変えて茹でるだけで美味しい、大豆は茹で汁も出しになる。
そんなことを、知っていることが楽しかった
貧しい暮らしのなかで父も母も一生懸命に働いて育ててくれてたのに。
用意してくれるものを受け入れられなかった。
うまく甘えられなかった。
ひとりで、
道端の草木に癒されたり、空ゆく雲を眺めたり、海に行って、ぼんやり過ごすことで、心の隙間を埋めていたように思う。
そのときの気持ちがこみ上げてきて、
泣ける泣ける。
どんどん泣ける。
どうしたいんだ自分。
まあとにかく泣こう。泣きたいんだもん。
HSPだから仕方ないじゃん!
って。
理由にできることがありがたいねー。
時々、
幼くて、さみしくて、寒くて、あかぎれが痛くて眠れない、
心細かったあの頃の自分を思い出して、
一緒に泣いて、よりそうことで、心の隙間をうめている。
さぁってと、
明日も予約が入ってる。
ヨッシャー!
お料理頑張ろうっと!
