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開かれなかった音楽会

忘れられない施主さんがいる。
地下に音楽室を作りたいというご夫婦だった。

地下室にグランドピアノを置き、友人たちを招いて演奏会を開きたいと考えている、少しおちゃめなおじいちゃんだった。


その家はミサワホームのO型だった。
私は昔からこの家が好きだった。
玄関ホールから真っ直ぐ伸びる階段。
二階には田の字型に配置された四つの部屋。
量産型のプレハブ住宅なのに、どこか洗練されている。
当時としては珍しかった四角い雨どいも印象的だった。

私は当時ミサワホームで働いていたので、O型には何度も出会った。
同じ商品なのに、住む人によって少しずつ表情が違う。
だから見るたびに面白かった。

そんなO型の中でも、この家は特別だった。
地下室があったのである。
しかもその地下室は、家の中からではなく玄関脇の外階段を下りて入る独立した空間だった。

鉄の扉を開けると、大きな部屋と小さな部屋が二つ。
大きな部屋にはグランドピアノが置かれていた。

その空間を、本格的な音楽室にしたい。
それがご主人の希望だった。


ご主人は、自分が作りたい音楽室を説明するために、私を音楽室がある個人宅へ連れて行ってくれた。
どれも普通の住宅ではない。
演奏会が開けるような小ぶりなホールを備えた住宅だった。

私はただ圧倒されていたが、ご主人の関心は部屋の豪華さではなかった。
音だった。
壁の素材。
天井の形。
音の反射。
音の拡散。
音楽室にとって大切なのは、見た目よりもまず音なのだと、熱心に説明してくれた。

私は音響の知識をほとんど持っていなかった。
それでも話を聞きながら、自分なりに考えた。

音を乱反射させるために、壁に木製の中空の三角ピラミッドを並べたらどうだろう。
私は縮尺模型を作って提案した。
模型はケント紙で作った。

美大受験の時に、ケント紙で立体を作る課題は何度もやった。
だから私にとって模型作りは特別なことではなかった。
頭の中にあるものをケント紙で形にする。
私は、そういう作業が好きだった。

ご主人はその案を採用してくれた。
私は、それが本当に嬉しかった。


工事は順調に進んでいた。
ところが途中で問題が見つかった。
地下室が浸水するのである。

原因を調べると、新築時の施工で撤去されるはずだった型枠が残されたままになっていた。
そのせいで排水がうまく機能していなかったのだ。

問題は、その型枠を撤去することだった。
高さ50センチほどしかない空間に潜り込み、ノミで少しずつ削るしかない。

そんな仕事を引き受けてくれたのは、70歳を超えた小柄な大工さんだった。
しかし何日も作業しても終わらない。

私は言った。
「明日は私が代わりますよ」
そして自分も床下に潜った。

削って、削って、削った。
すると突然、本来あるはずだった穴が現れた。
その瞬間から地下室の水は流れるようになった。
音楽室はようやく安心して使える空間になった。


原因は新築時の施工にあった。
でも、その家はすでに築30年以上経っていた。
保証の話にはならない。
工事費は必要だった。
私は説明しなければならなかった。
正直、気が重かった。

でもご主人は、床下に潜る大工さんと私の姿を見ていた。
そして言った。
「そこまでやってくれているなら仕方ないね」
その言葉に救われたのを覚えている。


浸水問題は解決した。
音楽室も完成に近づいた。
ところが最後に残ったのが、荷物だった。

地下室にはご主人の人生が積み上がっていた。
新聞の切り抜き。
雑誌。
資料。
書類。
段ボール。
ただ、それは仕事の記録というより、ご主人が興味を持ったものの集積だった。

なぜ取っておいたのか聞くと、必ず話が始まる。
そしてその話が面白い。
だから片付けが進まない。
奥さんは笑いながら言う。
「ずっと片付けてって言ってるのに」
たぶん50年くらい。


私は何度もその家へ通った。

お茶を飲みながら奥さんの話を聞いた。
奥さんは本当に人を笑顔にする人だった。

ある日、ご主人に初めてデートに誘われた時の話をしてくれた。
嬉しくて嬉しくて、走って家に帰り、お母さんに報告したのだという。
その話をする奥さんは70代だった。
でも私には、恋をしたばかりの少女にしか見えなかった。

またある日は、20万円近くする掃除機を勧められた。
床の水拭きまでしてくれる大型の掃除機だった。
もちろん20代の私には到底買えるものではない。
それでも奥さんは本気だった。
「本当にいいから買った方がいいわよ」
そう言う姿がおかしくて、私は何度も笑った。

ご主人は、仕事の話になると少年のように夢中になった。
でも、その一方で、若い私をからかっては楽しそうに笑う、おちゃめな人でもあった。
奥さんもそれを見て笑う。
奥さんはたぶん50年以上、そんなご主人を見てきたのだろう。
呆れているようでいて、どこか楽しそうだった。


ついにご主人が片付けを決意した。

作業をするのは、ご主人の事務所にインターンとして来ていた大学生だった。
そしてなぜか私も、そのプロジェクトに召喚された。
未来の音響設計者かもしれない彼は、一生懸命段ボールを運び、資料を整理していた。

ところが作業はまったく進まない。
段ボールを開けるたびに面白いものが出てくる。
ご主人が説明する。
私は質問する。
奥さんは思い出話を始める。

気づけば全員で記事を読んでいる。
片付けるために集まったはずなのに、誰も片付けていない。

そしてインターンの彼は、気に入った記事を毎日一枚持って帰っていた。
黙々と働いていたのは彼だけだった。


音楽室は完成した。
私がケント紙で作った模型も実物になった。
グランドピアノも置かれた。
浸水もなくなった。

でも結局、地下室は片付かなかった。

ご主人の人生は整理しきれなかったのである。
「片付いたら演奏会に招待するよ」
そう言われた。
私はその言葉を信じていた。

でも、その音楽室でピアノを聴くことは一度もなかった。


何年か後、海外のコンサートホールでご主人の名前を見かけた。
その時初めて、私が思っていた以上にすごい人だったのだと知った。
でも私が思い出すのは、その名前ではない。

音楽室で一番大事なのは音なんだと熱く説明してくれたこと。

地下室に積み上がった段ボール。

「嬉しくて走って帰ってお母さんに報告したの」
と、70代になっても笑いながら話してくれた奥さん。

そして、段ボールを開けるたびに始まる思い出話。

片付けるために集まったはずなのに、ちっとも片付かなかった午後。


リフォームの仕事をしていたはずなのに、
私が今でも覚えているのは、家のことより人のことばかりである。


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